第18話 彼は理想のひと(He is my Prince Charming)

文字数 3,795文字

 ニューヨーク マンハッタン コロンバス アベニュー
 New York Manhattan Columbus Avenue
 イタリアン レストラン2階
 Italian Restaurant second floor

 二人はイタリアンレストランの2階でふたたび会う約束を交わした。休日を狭い自宅アパートで過ごしたジャックは、夜が訪れるのを待ちきれずに家を飛び出して来ていた。

 シックな着こなしの赤いタートルネックにツイードのジャケット、ジャックの首周りには、濃紺で肌触りの良いカシミアのマフラーが巻かれていた。

 マギーと約束した時間より1時間も早く店に着いたジャックは、バーテンが立つカウンターの席に腰掛け、ショコラをつまみに、12年物のシングルモルトウイスキーを楽しむ。琥珀色(こはくいろ)の液体が注がれたショットグラスの隣には、氷水の入れられたチェイサーが置かれていた。

 イタリアンレストランの2階には、ジャック以外にはまだ客の姿は見えなかった。ダイナミック型のスピーカーからは、ジャズピアノの名曲が流れて出ている。

 酒と薔薇の日々(Days of Wine and Roses)
 懐かしのスタンダード ナンバーである。

「懐かしい曲だね」
 ジャックはグラスを拭き続けるバーテンダーに声を掛けた。

「演奏者はオスカーだね」
 そして演奏者を当ててみせる。

「良く解りますね。ピアノの()き方だけで演奏者がわかるのですか?」
 楽し気に演奏を聴くジャックの姿を見て、若いバーテンダーが(はず)んだ声で応える。

「ハイスクールの頃に彼の大フアンでね! CDはたくさん持っていたし、コンサートにも行ったことがある。彼はね、ひと昔前のレスラーみたいな太くて厚い上半身を持っている、そして驚く程、足が長い」
 ジャックは若いバーテンダーとの会話も楽しんでいた。

 
 その頃マギーは、美容室に居た。

 大きな鏡の前、簡素なアームチェアーに座り、長く(つや)やかな髪の毛を馴染(なじ)みのヘアードレッサーに(ゆだ)ねていた。

 ラフな分け目で立ち上がり額をみせる長めのバング、両サイドには細かく(たば)を取った緩めのカールがかけられている。マギーの端正な顔まわりに、大人っぽい雰囲気が漂っていた。

 リップにはスイートなコーラルピンクが塗られ、程良く膨らんだ形のよい唇に(うるお)いと艶をもたらしていた。

「いかがですか?」
 閉じ合せの鏡を手にするヘアードレッサーが、バックとサイドの仕上がり具合をマギーに確認する。

「ありがとう。とても良い仕上がりね!」
 そう言うと、マギーは椅子から立ち上がる。ヘアードレッサーにチップを渡し礼を述べると、レジへと進んで行く。

 白のドレストレンチコートを太い赤のエナメルベルトでしめ、赤い円筒型バックを手にすると、マギーは颯爽(さっそう)と夜の街頭(がいとう)へと消えて行った。

 ジャックとの大切な約束の場所、コロンバス アベニューのイタリアンレストランに向かい、足早に歩くマギー。その瞳が、高級紳士服専門店に設置された陳列窓(show window)に引き寄せられる。

 高級紳士服専門店のショーウインドーに飾られていたのは、一着のチェックシャツ。

「可愛らしいチェックシャツね!? ワイドスプリットの襟が素敵だわ! ジャックには、きっと好く似合うわね!!
 そう呟くと、マギーは嬉しそうに紳士服専門店へと入って行った。

「ショーウインドーに飾られたチェックシャツを見せて下さらない?」
 客の居ない店内に入ると、マギーは直ぐに店主に申し出た。

「はい。ただいまお持ちします」
 愛想(あいそ)のよい中年の店主がマネキンからシャツを脱がせ、マギーのもとに運んできた。

「サイズもちょうどいい」
 店主から渡されたシャツを手に取り、マギーは自分の胸元に(がら)を合わせる。

「入荷したばかりの最新のデザインです」
 中年の店主はそう答えた。

「それに作りも上等です!」
 店主はそう付け加える。

「そうね。よし、これを包んでください。プレゼント用の包装で」
 シャツの品質に自信を覗かせる店主の前で、マギーはとても嬉しそうな表情を見せた。

 その時、背中越しにマギーを呼び掛ける声がする。
「部長。部長」

(役職を連呼(れんこ)する聞き慣れた声)
 ライズ ゴールド ムーン社秘書室副主任、マギー専属の第一秘書であるジェミニが高級紳士服専門店に現れたのだ。
 
 しかもこんなタイミングで…

「ジェミニ。何よあなた!? こんな所で」
 うんざりと後ろを振り向いたマギーが声を上げる。

(夢も覚めるわ) 
 マギーはげんなりとジェミニの姿を確認する。

「こんな所もなにも… 何ですか部長の方こそ! 紳士服専門店でいったい何をしているんですか?」
 若いジェミニがマギーに尋ねる。

「いいのよ、貴方には関係のない事。さあ(すみ)やかにここから立ち去りなさい」
 マギーはジェミニに命令の口調で言葉を告げる。

「怪しいですよね、部長。だけど部長には彼氏いませんでしたよね!?
 手狭(てぜま)な高級紳士服専門店のレジの前で、ジェミニはしつこく詮索(せんさく)をする。

「いいこと。これはプライベートな問題。貴方が詮索する必要は無いの!」
 マギーは(にら)みを利かせて答えた。

「部長」
「何よ!?

「昨日、テレビを見ました。ニューヨーク総合私立大学物理学教授ジャック ヒィーリィオゥ ハリソンさんのバイクの後ろに部長が乗っているのを…」

 マギーは黙っている。

「それでどうして… 部長は、そのジャック教授とややこしい関係になったんですか? 部長の特別休暇とは何の為に取得した休暇なんですか!? まさか結婚なんて事は無いですよね?」
 ジェミニがマギーに早口で尋ねる。

 マギーは、この降って()いた災難の対処法を考えている。

 そこに、チェックシャツの包装を済ませた店主がやって来る。

「300ドルです」
 店主が手提げ袋に収めた商品をマギーへと手渡す。

「ありがとう」
 代金をキャッシュ(現金)で支払ったマギーは店主に会釈(えしゃく)をすると店を出た。

 ニューヨーク マンハッタンの街角、ジェミニはマギーの後を付いてくる。

「シャツ一枚に300ドルも御掛けになったんですか!?
 マギーの横を歩きながら、ジェミニが尋ねる。

「いい加減にして頂戴。もう何なのよ貴方は!?
 マギーが街角に立ち止まりジェミニの行為に憤慨(ふんがい)する。

「部長。今日はヘアスタイルも抜群だし、コートもバッグも総てが光輝いていて… 僕は心配なんです。部長が… 僕の知らないどこかに行ってしまうような気がして。どうですか、これから僕と食事に行きませんか? 僕にだって、馴染みのバーくらいはあるんです。そこで部長のお好きなものを… 僕が何でも御馳走致しますから」
 ジェミニは、『とても良い考えが浮かんだ』そんな様子でマギーを食事に誘った。

「ハッキリとお断りするわ!」
 マギーはそう言うと、通りに停まっていたイエローキャブに素早く乗り込む、即座に運転手にドアを閉めさせると車を急発進させた。

「部長」
 いまにも泣き出しそうな表情を見せ、若いジェミニがマギーの乗るイエローキャブを追い掛けてくる。

「運転手さん。チップは弾むわ。お願い、追い掛けて来るうざい男を完全に引き離して!」
 麗しい女性の申し出に、運転手は無言でアクセルを踏み込んだ。

 ジェミニは排ガスにまみれながらも懸命に走り続けていたが、そこで気が付く。ボブの自転車が直ぐ近くのベンチに置かれている事を思い出したのだ。

 ジェミニは急いで車線を横切ると、ベンチで寝そべるボブの自転車を断りもなく持ち出した。そしてペダルを強く踏み込むと、マギーの乗るイエローキャブを猛追(もうつい)する。

「部長!」
 ほっと息を吐き、後部座席にもたれ掛かるマギーの耳にも、その声は聞こえてきた。運悪く赤信号でイエローキャブは横断歩道の手前で停止をしていた。

 ジェミニはマギーの乗るイエローキャブに追い付くと、後部座席の窓を激しく叩いた。

「ジェミニ。いい加減にして頂戴。私、本当に迷惑なの!」
 マギーはイエローキャブの窓を開いてジェミニを睨みつける。

「部長。それでは3分でいいです。3分だけ僕の話を聴いてください」
 告白の覚悟を決めたジェミニが窓枠(まどわく)(すが)り付く。

 そこに巡回警備中のポリスマンが通り掛かり、ジェミニに話し掛ける。

 マギーはイエローキャブの後部ドアを開け街頭に降り立つと、通り掛かったポリスマンに向かい声を掛けた。

「ポリスマン。告訴(こくそ)はしないけど、そのストーカー男を数分だけ拘束(こうそく)して頂戴。もうイエローキャブの後を追って来れないように… 私とても迷惑してるの!」
 マギーは巡回警備中のポリスマン二人に、ジェミニを拘束する依頼をした。

「部長。それはないですよ!」

 ジェミニの両脇を一人のポリスマンが羽交い絞めにする。

「ポリスマン、ありがとう。感謝するわ! その人、私の同僚なの… だから告訴はしないのだけれど… 少し指導して欲しい、もう私にしつこく付き纏わないように… それが済んだらお家に返してあげて。お願いね、お勤めご苦労様です」
 マギーを乗せたイエローキャブが、無情にもジェミニの視界から離れて行く。

「この自転車は君の物ですか?」
 もう一人のポリスマンがジェミニに尋ねる。

「僕の物ではなく、友達の物ですが、無断で拝借(はいしゃく)してきました」
 正直に事情を話すジェミニだったが… 二人のポリスマンは明らかにジェミニに不審な視線を向けている。

 ジェミニは窃盗(せっとう)または遺失物横領(いしつぶつおうりょう)嫌疑(けんぎ)を掛けられて、パトカーに乗せられる事となったのである。
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登場人物紹介

ニューヨーク マンハッタン アッパーウエストサイド。 

世界一の都市にそびえ立つ超高層マンションに住む。

しかもこの若さで一流企業の部長(general manager)様だ。

クッキー&クリームと世界規模で展開するチェーン店コーヒーを

こよなく愛する魔女。

マギー・ロペス(Maggi.Lopez)。

ジャックの最愛の恋人。

十七年前に突然とジャックの前から姿を消した。

アクエリアス(Aquarius)。

若き俊才、ニューヨーク総合私立大学航空宇宙物理学教室教授。

ジャック・ヒィーリィオゥ・ハリソン(Jack.Helio.Harrison)。


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