第27話 恋人が帰ってくる(Lover come back to me)
文字数 5,087文字
ニューヨーク マンハッタン
New York Manhattan
摩天楼 の足もとをすり抜ける一台の車両、フロントが大きく前に突き出た形容、白色に輝く重厚なボディが、周囲に厳粛 な空気を醸 し出す。ロールスロイスファントム、路面を駆 る王者の風格がそこにあふれ出ていた。
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、ウィンザーから自家用ジェットで空港に降り立った二人は、最高級の車に乗り換え、ニューヨーク総合私立大学へと向かっていた。
「おじさん。この洋服、私に似合っているかしら? 髪型はどう? 変ではない!?」
アクエリアスはジャックとの再会を前にして、自身の装 いがにわかに気になりはじめていた。
「その髪型も、その服装も、今の君にはとても良く似合っている。更には洗練されたその着こなし… アクエリアス、今日の君はパーフェクト だ! なに一つも心配はいらない!」
セラヌは車内でハーブティーの香りを楽しんでいる。
「ありがとう。おじさんに褒 めていただければ、私も少しは安心が出来るわ! それでも、おじさま… That's right 、これからは、おじさんを、おじさまと呼ぶことにする。何時までもおじさんじゃ、時代的にもそぐわないもの… けれど、ジャックは大人の男性に成った。おじさま、それに比べて私はあまりにも子供過ぎない?」
アクエリアスは、大人の魅力を持てない自分の幼さを憂慮 したのである。
「16歳は人間の一番素敵な季節じゃないか⁉High School 時代の君をジャックは見たことがないだろう。僕はMiddle School の頃の君もジャックに見せてあげたいくらいだ」
セラヌは自信を失いかけるアクエリアスを励 ます。
「それも面白いわね⁉ おじさま。私、Elementary School の頃にジャックに出会いたかったわ」
セラヌとアクエリアスは話し続ける。
そして車両は、ニューヨーク総合私立大学正門に緩やかに停車をする。
「アクエリアス、さあ行っておいで。君の花婿をここに連れて来るんだ。ジャックは今、深く傷ついている。彼の心を癒 してあげられるのは世界中でたった一人、君と言う存在だけなのだから」
白い革張りのシートに優雅に腰掛ける魔王セラヌが、愛らしい少女にそう告げる。
セラヌの申し出に、やや緊張の面持 ちをした少女がこくりと頷いた。
すべすべと滑 らかで、ふわふわとした手触 りの、マシュマロのような肌をしたアクエリアスの胸元には、水瓶座をあしらった大切なペンダントネックレスが輝いている。綺麗に揃えられた少女の膝の上には、黒いエナメルキルティングの小さなバッグが置かれていた。
銀髪 の運転手が車外からドアを開けると、アクエリアスは迷うことなく真っ直ぐと学舎へと歩いてゆく。
夕暮れが過ぎ、人気 の途絶 えた構内、かつて学んだ学舎に戻って来た少女は、静かに建物の陰へと消えて行った。
ニューヨーク総合私立大学 Private University in the City of New York
【物理学教室小講堂】
いつものように一人、物理学教室小講堂の黒板に向かい、航空物理学の数式にとり組むジャック ヒィーリィオゥ ハリソン。しかしジャックは、何一つ集中が出来ずに立ち尽くしている。
小講堂に置かれた旧式なラジオからは、にぎやかに話すDJの声が聞こえていた。
長い時間を掛けて築き上げてきた研究の成果は、その全てを破棄 することに決めていた。
何をすればいい?
これから何をすればいい?
それさえもわからずに、ジャックは何時もの習慣で唯、ここに立っているのだ。
『ジャック。貴方はタフよ! どんなことでも乗り越えられる』
遠い昔の恋人、アクエリアスが言ってくれた言葉が懐かしい。
「僕はもう駄目さ…」
ジャックは一人呟 く。
ジャックの心はノックダウンで敗北を喫 したボクサーのように、惨 めに傷ついていた。
ほんの数日前、アクエリアスの面影を持つ素敵な女性、マギーと出会い、自分の年齢も顧 みずに恋をした。しかし恋した女性は、世にも恐ろしい魔女だったのだ。
まるで、最愛の恋人が帰って来たような幸せな薔薇 の日々、楽しい時間を過ごしたジャックに、突如として突き付けられた悪夢と喪失感 。
それは彼の心に深い悲しみを残していた。
「だからと言って、彼女を傷つけることはなかった…」
ジャックは優しいマギーの心を傷つけた事を後悔していた。
そして今、合衆国連邦国防総省本部庁舎並びに合衆国連邦捜査局の圧力により、ジャックの研究の道は閉ざされようとしていた…
「ねえ、ジャックどうしたの? 貴方、まるで元気がないわ!」
静まり返ったニューヨーク総合私立大学の構内、ジャック以外には誰も居ない小講堂に、するりと入ってきた少女がいる。
ジャックは不意に現れたその侵入者が、自分の隣に近づくまで、まるで気付く事も出来なかった。
少女はスエード素材の黒いブーツを暖かに履き、胸元で切り替えのある黒いニットのワンピースを着ていた。大きな瞳の上ぎりぎりに揃えられたマッシュバング、少女の細い首元には栗色の柔らかいカールが取り巻いていた。
ジャックが、美しい少女をぼんやりと見詰める。
長身で四肢は長く、まだ未発達で量感 を感じない事で、かろうじて(成人では無く)少女と解るのだ。
「君は誰?」
ジャックが少女に尋ねる。
「わからないの!?」
少女があどけない微笑みでかえした。
「ええと…」
ジャックが考える素振 りをする。
「君はとてもお洒落 な少女 だね!」
ジャックが突然と現れた少女に話し掛ける。
「当然よ。貴方に会いに来たんだから」
「ふふっ。不思議な少女 だ」
ジャックは呟いた。
「だけど、もう学生は皆、既に帰宅した時間だ。君はまだ若すぎてここの学生でもない年齢にも見えるのだけれど… いいやそんな事よりも早く帰宅した方がいいよ。あまり遅くなると、この辺りは物騒だからね!」
ジャックは少女に優しく語りかける。
「貴方はどうするの? まだ帰らない?」
少女は大きな瞳を、真っ直ぐにジャックの視線に合わせている。
「僕はまだ数式の…考察 の途中なんだ。今日中に片づけなければならない仕事もたくさんある。これでも、とても忙しいんだ」
ジャックは少女に無理に笑顔をつくって見せる。
「嘘よ! 私さっきから黙って貴方を見てたの。あのドアの陰から黙って貴方の姿を… 貴方は溜め息ばかりを吐いて、俯 いてばかり…」
「僕を、見ていたんだ!?」
「そうよ…」
少女は答える。
「君の言う通りだ。僕にだって、たまにはこんな事もある!」
ジャックは少女の瞳を見詰め、彼女の指摘を素直に聞き入れた。
「ジャック、貴方らしくもない。貴方はもっとタフな筈よ!?」
目の前に立つ少女が不思議な言葉を告げる。
ジャックの耳には懐かしい音階の響き。
その言葉を前に、ジャックは自分の胸の内を吐き出すかのように… 少女を相手に話を始めた。
「君はまだ若すぎるから、きっと解らないだろうけど… 僕ぐらいの歳になると気付く事があるんだ。大人の世界にも苦しい事や悲しい事がたくさんあるんだって」
ジャックは少女にそう話した。
「そう。解るわ」
少女はジャックの瞳を真っ直ぐに見詰め、ジャックの言葉を素直に肯定 する。
「君に解るの?」
ジャックはあどけない少女の受け止めに驚いている。
「ええ、良く解るわ。それで貴方に何があったの? ねえ、ジャック。私におしえて!?」
少女はブーツを履 いた脚をクロスさせながらジャックに尋ねる。
「若い君にはくだらない大人の恋の話さ…」
「恋?」
少女は意外な事を聞いたというような表情を見せる。
「とても優しい女性に出会えたと思ったら、それは魔女の誘惑だった。勿論、君にはそんな経験はないだろう!?滅多 にない特別なケースだ」
ジャックは少女に向かい、お道化 て話した。
少女はジャックの様子を黙って見詰めた後に、急に不機嫌な表情を見せる。
「ジャック。貴方、素敵よ! 貴方は以前よりも、もっと素敵になった! だけどジャック、貴方、浮気をしたのね!?」
少女は目を吊 り上げてジャックの直ぐ側にまで近づく。
「待ってくれ。僕が誰と交際しようと、君みたいな未成年者に浮気と呼ばれる筋合いはないし、それに僕はこれでもまだ独身の身の上だ」
ジャックは不意に起こったこの予想外の出来事に戸惑 い、狼狽 して数歩後ずさる。
「当然よ!!」
少女はピンクに染まった頬を膨らませる。
「それで貴方、浮気はしたのね!?」
更に少女が目を吊り上げてジャックに詰め寄る。
「待ってくれ。正確には全くの未遂 で、魔女の誘惑には落されてはいない」
少女の余りの剣幕を前に、ジャックは総てを正直に答える。
「へえーっ。誘惑だなんて、ジャック、貴方にもその気はあったんだ!?」
少女はあきれたような仕草をしてジャックの瞳から目をそらした。
「ちょっと待ってくれ。君は確かに僕の知り合いだ。何故だか解らないけど僕は君を知っているし、君は僕を懐かしい響きでジャックと呼んでくれている。だけど君の名前が出てこない。僕の知り合いの妹さんであるとか? それとも僕の知り合いのお嬢さんであるとか? ごめん混乱しているんだ。僕は何故か君をとても良く知っているのに、君の名前が出てこないんだ!」
ジャックは自分の頭に少女の名前が浮かんでこない事を素直に詫びた。
「いいわ。浮気未遂は許してあげる。それよりジャック、何を言っているのよ! 貴方が私を忘れる訳がないでしょう!? 私は何時も知っていた。貴方の心がいつも泣いていたのを… どうして居なくなってしまったの? 永遠に私と離れたくなかったのに!! って」
少女のグラマラスな瞳から涙がこぼれ落ちた。
「ちょっと待って。君は何を言っているんだ?」
ジャックは黒板を背にして立ち尽くしている。使い古された黒板、どこか悲し気なジャックをいつも見詰めてきた…
「ダ、カ、ラ、私は準備をしに行っていたの。永遠に貴方と暮らせるように、美しい姿のまま二人が永遠に居られるように…随分 待たせたけど、ジャック、それを手に入れたわ!」
ジャックは眼を見開いて驚きを隠せないでいる。
「ジャック、私が誰だか貴方にはもう解っているでしょう。ごめんなさい。寂しい思いをさせたのね。でももう大丈夫… 永遠に二人が離れる事はないの! ジャック、永遠によ!!」
少女の手がそっとジャックの頬に触れた。
ジャックは何度も瞬 きを繰り返している、そして彼のブルーの瞳に視界を遮 る涙が次々と湧 き出てくる。
「君は… アクエリアス!?」
ジャックの口から涙とともに言葉がこぼれる。
「君は、僕のアクエリアスだ!」
ジャックの震える唇のわきを大粒の涙がこぼれて行く。
「そうよ、ジャック。貴方に会いたかったわ!!」
アクエリアスが華奢 なからだをぶつけるようにして、ジャックに抱きついてゆく。
「アクエリアス。僕はもう死んでもいいよ! 君とだったら、”悪魔の誘いでも、何にでものったんだ”」
優しいにおいのするアクエリアスに抱き締められたジャックが、堪 えきれずしゃくりを上げる。
「ええ、ジャック。行きましょう。私は貴方を迎えに来たの…」
アクエリアスが細くやわらかな腕でジャックを抱きしめている。
「貴方の良く知ってる人もいる、フォーマルなスーツの貴公子、私達の足長おじさん。助けてあげて… 今あなたの力がとても必要なの」
アクエリアスのやわらかな懐 に抱きしめられたジャックが二度三度と頷く。
「髪型を変えたので直ぐに解らなかったのね!?」
アクエリアスはジャックの瞳からこぼれる涙を唇で啜っている。
ジャックはもう言葉も出せずに、優しい香りのするアクエリアスの胸元にしがみつき泣きじゃくっていた。
物理学教室小講堂のわきに置かれた古びたラジオからは、人類の平和を願うクリスマスソングが流れ出ていた。
あの日、彼女はブルーグレイのダッフルコートを着ていた。狼の牙のような大きな留め具を几帳面に填めたその中には、黒いボタンの付いたドーリーシルエットのワンピースが隠されていた。冬の季節、彼女の細い首元はキャメルカラーのマフラーで覆われ、クリスマス用の装飾 に身を包んだニューヨークの街並みには、人類の平和を願うクリスマスソングが響き渡っていた。クリスマスの装飾で彩 られた点滅するケーキ屋のツリーの前で、彼女への愛を告白した。
遠い日、永遠の交際を始める約束を交わした。
La Fin
New York Manhattan
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、ウィンザーから自家用ジェットで空港に降り立った二人は、最高級の車に乗り換え、ニューヨーク総合私立大学へと向かっていた。
「おじさん。この洋服、私に似合っているかしら? 髪型はどう? 変ではない!?」
アクエリアスはジャックとの再会を前にして、自身の
「その髪型も、その服装も、今の君にはとても良く似合っている。更には洗練されたその着こなし… アクエリアス、今日の君は
セラヌは車内でハーブティーの香りを楽しんでいる。
「ありがとう。おじさんに
アクエリアスは、大人の魅力を持てない自分の幼さを
「16歳は人間の一番素敵な季節じゃないか⁉
セラヌは自信を失いかけるアクエリアスを
「それも面白いわね⁉ おじさま。私、
セラヌとアクエリアスは話し続ける。
そして車両は、ニューヨーク総合私立大学正門に緩やかに停車をする。
「アクエリアス、さあ行っておいで。君の花婿をここに連れて来るんだ。ジャックは今、深く傷ついている。彼の心を
白い革張りのシートに優雅に腰掛ける魔王セラヌが、愛らしい少女にそう告げる。
セラヌの申し出に、やや緊張の
すべすべと
夕暮れが過ぎ、
ニューヨーク総合私立大学 Private University in the City of New York
【物理学教室小講堂】
いつものように一人、物理学教室小講堂の黒板に向かい、航空物理学の数式にとり組むジャック ヒィーリィオゥ ハリソン。しかしジャックは、何一つ集中が出来ずに立ち尽くしている。
小講堂に置かれた旧式なラジオからは、にぎやかに話すDJの声が聞こえていた。
長い時間を掛けて築き上げてきた研究の成果は、その全てを
何をすればいい?
これから何をすればいい?
それさえもわからずに、ジャックは何時もの習慣で唯、ここに立っているのだ。
『ジャック。貴方はタフよ! どんなことでも乗り越えられる』
遠い昔の恋人、アクエリアスが言ってくれた言葉が懐かしい。
「僕はもう駄目さ…」
ジャックは一人
ジャックの心はノックダウンで敗北を
ほんの数日前、アクエリアスの面影を持つ素敵な女性、マギーと出会い、自分の年齢も
まるで、最愛の恋人が帰って来たような幸せな
それは彼の心に深い悲しみを残していた。
「だからと言って、彼女を傷つけることはなかった…」
ジャックは優しいマギーの心を傷つけた事を後悔していた。
そして今、合衆国連邦国防総省本部庁舎並びに合衆国連邦捜査局の圧力により、ジャックの研究の道は閉ざされようとしていた…
「ねえ、ジャックどうしたの? 貴方、まるで元気がないわ!」
静まり返ったニューヨーク総合私立大学の構内、ジャック以外には誰も居ない小講堂に、するりと入ってきた少女がいる。
ジャックは不意に現れたその侵入者が、自分の隣に近づくまで、まるで気付く事も出来なかった。
少女はスエード素材の黒いブーツを暖かに履き、胸元で切り替えのある黒いニットのワンピースを着ていた。大きな瞳の上ぎりぎりに揃えられたマッシュバング、少女の細い首元には栗色の柔らかいカールが取り巻いていた。
ジャックが、美しい少女をぼんやりと見詰める。
長身で四肢は長く、まだ未発達で
「君は誰?」
ジャックが少女に尋ねる。
「わからないの!?」
少女があどけない微笑みでかえした。
「ええと…」
ジャックが考える
「君はとてもお
ジャックが突然と現れた少女に話し掛ける。
「当然よ。貴方に会いに来たんだから」
「ふふっ。不思議な
ジャックは呟いた。
「だけど、もう学生は皆、既に帰宅した時間だ。君はまだ若すぎてここの学生でもない年齢にも見えるのだけれど… いいやそんな事よりも早く帰宅した方がいいよ。あまり遅くなると、この辺りは物騒だからね!」
ジャックは少女に優しく語りかける。
「貴方はどうするの? まだ帰らない?」
少女は大きな瞳を、真っ直ぐにジャックの視線に合わせている。
「僕はまだ数式の…
ジャックは少女に無理に笑顔をつくって見せる。
「嘘よ! 私さっきから黙って貴方を見てたの。あのドアの陰から黙って貴方の姿を… 貴方は溜め息ばかりを吐いて、
「僕を、見ていたんだ!?」
「そうよ…」
少女は答える。
「君の言う通りだ。僕にだって、たまにはこんな事もある!」
ジャックは少女の瞳を見詰め、彼女の指摘を素直に聞き入れた。
「ジャック、貴方らしくもない。貴方はもっとタフな筈よ!?」
目の前に立つ少女が不思議な言葉を告げる。
ジャックの耳には懐かしい音階の響き。
その言葉を前に、ジャックは自分の胸の内を吐き出すかのように… 少女を相手に話を始めた。
「君はまだ若すぎるから、きっと解らないだろうけど… 僕ぐらいの歳になると気付く事があるんだ。大人の世界にも苦しい事や悲しい事がたくさんあるんだって」
ジャックは少女にそう話した。
「そう。解るわ」
少女はジャックの瞳を真っ直ぐに見詰め、ジャックの言葉を素直に
「君に解るの?」
ジャックはあどけない少女の受け止めに驚いている。
「ええ、良く解るわ。それで貴方に何があったの? ねえ、ジャック。私におしえて!?」
少女はブーツを
「若い君にはくだらない大人の恋の話さ…」
「恋?」
少女は意外な事を聞いたというような表情を見せる。
「とても優しい女性に出会えたと思ったら、それは魔女の誘惑だった。勿論、君にはそんな経験はないだろう!?
ジャックは少女に向かい、お
少女はジャックの様子を黙って見詰めた後に、急に不機嫌な表情を見せる。
「ジャック。貴方、素敵よ! 貴方は以前よりも、もっと素敵になった! だけどジャック、貴方、浮気をしたのね!?」
少女は目を
「待ってくれ。僕が誰と交際しようと、君みたいな未成年者に浮気と呼ばれる筋合いはないし、それに僕はこれでもまだ独身の身の上だ」
ジャックは不意に起こったこの予想外の出来事に
「当然よ!!」
少女はピンクに染まった頬を膨らませる。
「それで貴方、浮気はしたのね!?」
更に少女が目を吊り上げてジャックに詰め寄る。
「待ってくれ。正確には全くの
少女の余りの剣幕を前に、ジャックは総てを正直に答える。
「へえーっ。誘惑だなんて、ジャック、貴方にもその気はあったんだ!?」
少女はあきれたような仕草をしてジャックの瞳から目をそらした。
「ちょっと待ってくれ。君は確かに僕の知り合いだ。何故だか解らないけど僕は君を知っているし、君は僕を懐かしい響きでジャックと呼んでくれている。だけど君の名前が出てこない。僕の知り合いの妹さんであるとか? それとも僕の知り合いのお嬢さんであるとか? ごめん混乱しているんだ。僕は何故か君をとても良く知っているのに、君の名前が出てこないんだ!」
ジャックは自分の頭に少女の名前が浮かんでこない事を素直に詫びた。
「いいわ。浮気未遂は許してあげる。それよりジャック、何を言っているのよ! 貴方が私を忘れる訳がないでしょう!? 私は何時も知っていた。貴方の心がいつも泣いていたのを… どうして居なくなってしまったの? 永遠に私と離れたくなかったのに!! って」
少女のグラマラスな瞳から涙がこぼれ落ちた。
「ちょっと待って。君は何を言っているんだ?」
ジャックは黒板を背にして立ち尽くしている。使い古された黒板、どこか悲し気なジャックをいつも見詰めてきた…
「ダ、カ、ラ、私は準備をしに行っていたの。永遠に貴方と暮らせるように、美しい姿のまま二人が永遠に居られるように…
ジャックは眼を見開いて驚きを隠せないでいる。
「ジャック、私が誰だか貴方にはもう解っているでしょう。ごめんなさい。寂しい思いをさせたのね。でももう大丈夫… 永遠に二人が離れる事はないの! ジャック、永遠によ!!」
少女の手がそっとジャックの頬に触れた。
ジャックは何度も
「君は… アクエリアス!?」
ジャックの口から涙とともに言葉がこぼれる。
「君は、僕のアクエリアスだ!」
ジャックの震える唇のわきを大粒の涙がこぼれて行く。
「そうよ、ジャック。貴方に会いたかったわ!!」
アクエリアスが
「アクエリアス。僕はもう死んでもいいよ! 君とだったら、”悪魔の誘いでも、何にでものったんだ”」
優しいにおいのするアクエリアスに抱き締められたジャックが、
「ええ、ジャック。行きましょう。私は貴方を迎えに来たの…」
アクエリアスが細くやわらかな腕でジャックを抱きしめている。
「貴方の良く知ってる人もいる、フォーマルなスーツの貴公子、私達の足長おじさん。助けてあげて… 今あなたの力がとても必要なの」
アクエリアスのやわらかな
「髪型を変えたので直ぐに解らなかったのね!?」
アクエリアスはジャックの瞳からこぼれる涙を唇で啜っている。
ジャックはもう言葉も出せずに、優しい香りのするアクエリアスの胸元にしがみつき泣きじゃくっていた。
物理学教室小講堂のわきに置かれた古びたラジオからは、人類の平和を願うクリスマスソングが流れ出ていた。
あの日、彼女はブルーグレイのダッフルコートを着ていた。狼の牙のような大きな留め具を几帳面に填めたその中には、黒いボタンの付いたドーリーシルエットのワンピースが隠されていた。冬の季節、彼女の細い首元はキャメルカラーのマフラーで覆われ、クリスマス用の
遠い日、永遠の交際を始める約束を交わした。
La Fin