第3話

文字数 1,270文字

☆3



 公言はしていなかったはずだがゲイであったミシェル・フーコー『性の歴史』は、自分の性について語ることでもある特性上、フーコーはこの『性の歴史』の構想自体、思想的営為の最初期からあたまのなかではしていたと考えるのが妥当だろう。性の問題は、人生にとってクリティカルなものだからだ。
 だが、そこに至るまでに、誰も書き記していない論考を重ねないと〈前提〉が出来ない。
 つまり、もしも『性の歴史』を最初に書いていたら説得力がない、と言い換えることが出来る。
 なのでステップを踏むという側面もほかの著作に課されたミッションのひとつだったはずだ。
 具体的には、ほかの先行する書物で、監獄や精神病院には同性愛者もぶち込まれていた、という歴史的事実を語ることなど、である。
 そこまでしないと誰も〈先鞭を付けていない〉当時に〈重大さ〉をインパクトを持って伝えることは出来なかったのではないか。

 話を僕に戻すと、書かないと安心してこの世界からいなくなるわけにはいかないことを長年多々抱えて、その〈総量〉が肥大してきている。
 知り合いの編集者さんと前に会話したときに「なにを」「誰に」、または「どこで」言うかという選択、それが大切だということを直接ではないがおっしゃっていて、僕はそれを学んだばかりなので、この「なにを」、「誰、またはどこで」書くかの選択、そしてそれを「どのタイミングで」するべきかというのは、フーコーも意識していたはずだと思うようになった。フーコー『性の歴史』に関しての僕の考えはそういう話からの推測である。推測の域を出ないが、でも、僕はそうなんじゃないか、と思っている。

 現在に話をまた戻すと、数年前まで言っても信じてくれなかった「事実」などの一部が、社会的な契機により信じてもらえる状態にもなった。
 一端を書くと、社会的信用がありそうな誰もが知っているどこかの〈業界〉の権威ある著名な男性が、男性(もちろん女性のときもある)に性的なことを強制する話が〈事実〉であることなどだ。
 昔、通っていた病院の医師に思い切って「(どこかの世界において)権威を持った男性に、やらせろ、と言われたことがある」ことなどを話したら「そんなことがあるわけないでしょう? 誇大妄想ですね。入院しますか?」と言われ、黙るしかなくなったことがあり、以来僕はこういったことを語ることはなくなった。
 自分と関係ない話をしているわけでなく、実際にそういうことに巻き込まれたこと、周囲の人間がそういうので泣き寝入りした事例など、たくさんあった。
 だが、書けなかった。
 僕は、たとえその周囲の人物たちに僕が裏切られて僕が地獄に落とされても、でも、僕はそいつらを〈売る〉ような真似が出来なかった。
 だが、もういいだろう。そういうのも含めてこの話では途中でそういった内容を語ることにもなるだろう。

 一言加えると、僕は今回は、性を巡る話を語ることだけをするわけではない。
 様々な、喉から出かかっても出せなかったことを書いていくだけで、そのなかに、そういう内容も含まれる、という話だ。


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