第7話
文字数 1,023文字
☆7
社会的信用がある、というのはその人間の潔白とイコールではない。学歴や役職、職歴の話だけをしているわけではない。探偵を雇って身元調査してもそれが〈保証〉してくれるとは限らない。人間は置かれた環境に左右されるのは、身元調査をする側だって同じであることも考えてみよう。どこにだってパワーゲームはある。よって、〈完璧なものなんて存在しない〉。
ただし、信用がない人間が信用がないのにはなにかしらのファクタが存在するだろう。マイナスの出来事の方が多いだろうが、世の中には「流言」という「計略」が存在し、さっきまでの話と真逆のことを言うようだが、「貶める」ために「悪い噂を流す」人間、団体は多く実際に存在する。
繰り返すが、世の中に「絶対」なんて存在しない。
本当に「どうやってんだこれ?」という方法で人間を追い詰めることが出来るのだ。
それに対してのよくある反証に「おまえなんぞを追い詰めるのにそれほどまでに〈コスト〉をかけることってあり得ないのではないか」という意見がある。
だが、それは追い詰められているその人間を〈中心〉に据えていると仮定するから生まれる。ひとを盤上の駒として考えるなら、中心というのはすなわち〈キング〉である。別に追い詰めている人間がチェスの〈キング〉であると決めてかかるから、この論理が破綻して見える。悪意を持った他人や団体が、自分をチェスの〈キング〉だから追い詰めていると考えたら大間違いで、ほかに〈キング〉がいると考えたらどうだろう。
チェスをやったことはあるだろうか。将棋でもいい。いきなり〈キング〉を取ってチェックメイトは出来ないのが普通だと考えると、この場合どうだろうか。追い詰められている人間が〈ポーン〉でも、〈確実〉に取っておかないと〈キング〉を追い詰めることが出来ない場面だって多々ある。
つまり、ポーンを確実に取っておきたい局面において、それに〈コストをかける〉場合は、意外と多くあるのではないか。その可能性を考えた方が良い。
人間は全く他人と関わらないで生きるのは不可能だ。間接的であれ、他人とは関わっている。
ならば、自分がチェスのキングであると他人が考えていなくても、言い換えると〈自分〉が〈中心〉だと考えるとあり得ないが、他人にとってチェスのポーンであっても、他人にとってそのポーンを確実に取らないとキングを〈倒せない局面〉は存在し、〈布石〉として〈倒す〉と考える悪意ある人間もいる、というわけだ。
社会的信用がある、というのはその人間の潔白とイコールではない。学歴や役職、職歴の話だけをしているわけではない。探偵を雇って身元調査してもそれが〈保証〉してくれるとは限らない。人間は置かれた環境に左右されるのは、身元調査をする側だって同じであることも考えてみよう。どこにだってパワーゲームはある。よって、〈完璧なものなんて存在しない〉。
ただし、信用がない人間が信用がないのにはなにかしらのファクタが存在するだろう。マイナスの出来事の方が多いだろうが、世の中には「流言」という「計略」が存在し、さっきまでの話と真逆のことを言うようだが、「貶める」ために「悪い噂を流す」人間、団体は多く実際に存在する。
繰り返すが、世の中に「絶対」なんて存在しない。
本当に「どうやってんだこれ?」という方法で人間を追い詰めることが出来るのだ。
それに対してのよくある反証に「おまえなんぞを追い詰めるのにそれほどまでに〈コスト〉をかけることってあり得ないのではないか」という意見がある。
だが、それは追い詰められているその人間を〈中心〉に据えていると仮定するから生まれる。ひとを盤上の駒として考えるなら、中心というのはすなわち〈キング〉である。別に追い詰めている人間がチェスの〈キング〉であると決めてかかるから、この論理が破綻して見える。悪意を持った他人や団体が、自分をチェスの〈キング〉だから追い詰めていると考えたら大間違いで、ほかに〈キング〉がいると考えたらどうだろう。
チェスをやったことはあるだろうか。将棋でもいい。いきなり〈キング〉を取ってチェックメイトは出来ないのが普通だと考えると、この場合どうだろうか。追い詰められている人間が〈ポーン〉でも、〈確実〉に取っておかないと〈キング〉を追い詰めることが出来ない場面だって多々ある。
つまり、ポーンを確実に取っておきたい局面において、それに〈コストをかける〉場合は、意外と多くあるのではないか。その可能性を考えた方が良い。
人間は全く他人と関わらないで生きるのは不可能だ。間接的であれ、他人とは関わっている。
ならば、自分がチェスのキングであると他人が考えていなくても、言い換えると〈自分〉が〈中心〉だと考えるとあり得ないが、他人にとってチェスのポーンであっても、他人にとってそのポーンを確実に取らないとキングを〈倒せない局面〉は存在し、〈布石〉として〈倒す〉と考える悪意ある人間もいる、というわけだ。