第30話 第8章 天使と堕天使
文字数 2,803文字
いつも通り受付後、面談を待機した。
「三林様。七番にお入りください。」
柳瀬が座っていた。
「三林さん。検査結果です。こちらをご覧ください。」そう言ってパソコン画面に映していたカメラ画像とCT画像を並べて指をさしていた。
「胃がんの二期だと思います。スキルス胃がんのため発症は半年前だと思います。
びまん浸潤型の四型と思われます。
通常の胃がんとは異なり、潰瘍などの病変を作らないために内視鏡検査など肉眼で確認する検査では発見が困難です。また、スキルス胃がんは進行が早いんですが・・・」
玲子は呆然としていた。
「先生、治療は可能なんでしょうか?」
「勿論です。手術にて患部摘出後、化学療法と放射線治療があります。治療が続きますから心身ともご負担がかかるものと思いますので心療内科含めてサポートもさせていただきます。」
「先生、よろしくお願いします。私。まだまだ死ねませんから。」
暫く病院のロビーの横にある図書室内のソファーで玲子は座っていた。
病は自分を離してくれないんだと悲しさと悔しさで一杯だった。
走馬灯のように昔のことが蘇った。
二年前に、突然の出来事があった。元夫の三林恭司が自動車事故で緊急搬送されたことを聞いたのだった。青天の霹靂だった。
恭司とは娘、洋子が誕生する直前に離縁となっていた。家柄の違いとは言え理不尽な別れだった。ただ恭司が家族を守るための離縁だとじっくり話してくれたことで、心が保たれたのだ。
恭司はその後の生活も十二分にサポート、洋子の教育費等、生活支援は言うまでもなく、家購入やお店の開店にも資金を惜しみなく出してくれていた。それだけに恭司の事故には驚嘆したのだった。
二人の約束として、洋子を立派に育てぬてゆくこと、恭司は再婚しないこと、子供は洋子一人としてゆくゆくは恭司が父親であることを成人した洋子に告げることがあった。
三林の名前を変えなかったのも約束の一つだった。その洋子が成人した年に事故にあったのだ。青天の霹靂だった。
三林恭司は生活費や資金をある人間を通じて玲子に渡していた。父、連太郎に何らかの情報漏れがあった時に、証拠を残さないように画策したのだった。それ故に恭司が事故後、昏睡状態の中でもこの支援は継続していた。
玲子は、洋子の独り立ちの時期にこんな病気になったことがなにより悲しかったこともある。洋子に話す前に木越に携帯で電話した。
「もしもし。三林さんですか。木越です。」
「木越さん、すいません。今、病院におります。お時間をいただけませんでしょうか?」
悲痛な声に木越は即答した。
「いつものカフェでお待ちください。すぐに病院に向かいますので。」
そう言った後、木越は電話でタクシーを呼んだ。
いつもと同じ病院からの景色が違って見えていた。
カフェで珈琲を頼んだ後、時間が止まっていた。しばらくして目の前に木越が現れた。
「三林さん、お待たせしました。」
「木越さん、どうしてもお会いしたくて。」
気丈な玲子も涙を溜めて木越を見つめた。
「いったい何があったんですか?病気も順調に回復されているとメンバーからも伺っています。」
「木越さん、うまくいかないですね。人生って。」
玲子は担当医師より診断結果を受けたこと、その告知が余りにもショックだったことを伝えた。
「玲子さん、それは大変でしたね。気落ちされて当然です。今は、気持ちがギリギリでしょうからそれを肯定してください。そう考えて当然だと思うんです。」
「はい。」
玲子はその一言で落ち着きを戻していた。
「木越さん、こんなことってあるんですね。てっきり良くなっているんだと思い込んでいました。」
「それも当然です。そう思いたいのは普通ですよ。」
玲子は、滝の流れのように話した。
洋子の独り立ちのこと、元夫の交通事故のこと、昨年その夫の父親が急逝したこと、離縁した理由等も全て打ち明けていた。
玲子は恭司が入院している高輪医科大学病院には事故後から定期的に訪問していた。父親が急逝してからはより頻繁に見舞いしていたのだった。
恭司の母親は既に亡くなっていたが、離縁してから一年ごとに会っていたことも話した。恭司の母親、京子にも洋子の存在は隠していたが、時折、恭司の病院で会っていたのだ。洋子の存在を知ったらどれだけ喜んでくれただろうと思い、後悔していることも木越に告白した。果たして、自分達の人生の選択は間違っていなかっただろうかと自問自答していることも隠さず気持ちを伝えていた。
木越はゆっくり、時折頷いてすべてを聞き取っていた。
「三林さんも、人生の岐路に何度もたってらっしゃるんですね。」
「今思うと、本当に色んな事がありました。娘、洋子には安寧な人生を歩ませたいと思っています。それだけが望みなんです。」
「娘さんにはこれから話すんですね。」
「そうです。恐らくこの病を話したら娘は独り立ちを断念するかもしれません。劇団もやめて私の介助を優先するかもしれません。
それは避けたいんです。
娘の夢を私の病気のせいで崩したくないんです。」
「なるほど。親ならばそう思うことも当然ですね。」
「いったいどうすればいいのか・・・」
「三林さん、先ず私ならどうするかをお話ししますね。参考になればいいですし、また参考にされなくても全く問題ないので、安心して聞いてください。
先ず、病気には立ち向かいます。もちろん頑張りすぎずに自分のペースで担当医師の助言そして周りの友人にも相談しながら治療を継続します。家族には治療継続を積極的に実施してゆくこと、そして手術についてはやはり事前に話します。現在は胃がん治療も相当進んでいること、かつ二期であることで早期手術が実施できると前向きに話します。
当然心配はされるでしょう。
そこで娘さんの独り立ちですね。成人として最初の一歩になるわけです。巣立ちです。
ここで重要なのは全く頼らないのはダメです。親子なんですから頼りましょう。
但し、あくまでもサポートです。何かあったら必ず頼ることを娘さんに告げることが大切です。
今、ご自宅は経堂ですね。病院は恩寵医大付属病院ですね。祖師谷大蔵駅近くですが、胃がんであれば恐らく埼玉の慈恵医大がんセンターへの転院治療を推奨されるはずです。慈恵医大として最新治療の設備が整備されていますから胃がん治療には最適なはずです。
娘さんはどの辺で賃貸物件を探されているかはわかりませんが、できれば埼玉に居ていただきたい。お二人で当面暮らすのもいいのです。何かあった時に近くに住まいがあればベストですから・・・」
「あくまでも私の見解です。」木越は付け加えた。
具体的な木越の見解内容は玲子にとっては有難かった。
こんな指導者が傍にいることが幸運すぎるとも思っていた。
「木越さん,有難うございます。すごく参考になります。ただ、娘は世田谷下北沢が劇団の本拠地でアルバイトも渋谷になりますから埼玉は遠すぎます。」
木越は笑顔で言った。