第25話 第7章 必然と偶然
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「そうなんですよ。私も同感です。」玲子は同調していた。
木越は続けた。
「ところが人生はわからないものです。長女は孫が二歳の折に離婚しました。夫の重なる不倫が原因です。次女は出版社で頑張っていましたが、自律神経失調症で退社が余儀なくなりました。 そんな人生の岐路に立って、その後の行動が、二人のその後の人生に大きくかかわっています。
長女は慰謝料、子供養育費用を希望するも最初の二ヶ月以降は無くなり、今は母子家庭で派遣社員として事務員として慎ましく生活しております。次女はアルバイトをして専門学校で声優の指導を受けて、あらゆるオーディションを受け、海外アニメの小さな役柄を獲得して、挑戦を重ねて、今やテレビアニメの人気声優になりました。」
「お嬢さんすごいんですね!」
「三林さん・・私が思うのは、人生の岐路に立った時、それまでの経験や人生観が簡単に崩れていくんだということなんです。その岐路に立った時に、その人間がいかに夢を目指して人生を再出発出来るかが重要なんだと思うんです。安心安定は確かに親の理想です。
でも親も子供の人生の岐路を予想することはできません。全て子供の人生であり、親は寄り添うしかないんです。」
玲子は頷いていただが、言葉を返した。
「でも、親は子供をできる限り安定させていきたいのが本望ですよね。間違っていますか?」
「三林さん、僕が反省しているのは、子供の夢までもその秤で測ってはいけないということなんです。あなたも若い頃に夢をもって芸能界に望まれたはずですよね。」
玲子の頭にその言葉がガツンと響いていた。
しばらく黙っている玲子の顔を見ながら木越は付け加えた。
「人は岐路に立ってからがその人の人生の本番かもしれません。人生は流転するものです。仕事、家庭、子供、夢それぞれにです。
でもその時に親は常にサポートすることはできません。親からの少しの助言をすることは必要不可欠だと思いますが、それは、必然でなく偶然に子供たちの人生観に響くのは子どもたち自身のそれぞれの環境にあるんですよ。
子供は環境で自らを成長させてゆくんです。
現在、ひきこもり問題をご存知だと思いますが、ここにも同じことが言えます。
八〇五〇問題や九〇六〇問題の根源もやはりこの必然と偶然の取り違いにあるんだと思っています。親は子供を一生サポートできないのがわかっているのに放置してしまうんです。その勘違いの優しさが子供の偶然の環境を閉ざしてしまうんです。
先程、お話させていただいたように、岐路に立った時のモチベーションを前向きに持てる環境づくりが大切なんですよ。」
玲子は木越の言葉を真摯に受け止めていた。
「私が過保護だったんですね。娘の夢への挑戦を見守らないといけなかったんですね。」
「三林さん、親が娘を心配するのは当たり前です。但し、あくまでも助言のみ、結論と指針は子供自身で決めさせることが大事なんです。私もこの人生観にはいろいろな人の人生を鑑みて痛感してきたことです。大上段からお話して恐縮です。」
「いえいえ、すごく心に入ってきました。
私も親の意見をあまり聞いていなかったのに娘には違う事を望んでしまう。いけないですね。」
「親も子供と一緒に成長するんです。」
二人は時間を忘れて余談を愉しんだ。
「木越代表は企業をリタイアされてこのNPO団体を設立されたのだと会員の方から伺いました。お仕事は何をされていたんですか?」
「私は商社系列の不動産会社に長く勤めていました。サラリーマンでした。」
「代表は企業の社長経験者だともお伺いしました。」
「雇われ社長ですよ。グループ会社の社長でした。我々の時代はまさに高度成長末期の時代でしたね。」木越は続けた。
「その会社での経験の中でもある人間の青天の霹靂を今でも忘れません。その人間の存在が私にとって人生の岐路を促したのかもしれません。」
「そんな方に出会われたんですね。」
「私が社長職時代に、将来を嘱望していた人材がいましてね。グループ会社へ出向してきた本社の期待の社員でした。ある事件があって彼は退社したんですが、その後の彼の人生には感嘆するものがありました。
決して後ろ向きな姿勢を出さずに、その後の岐路においても全て前向きに挑んでいきました。私も定年後に監査役の道もあったんですが彼に影響されたんですよ。この団体の設立も彼の生き方に影響されたのかもしれません。」