第22話 第7章 必然と偶然
文字数 2,184文字
翌日、恭司は婚姻後、一切足を運んでいなかった渋谷区松濤にある連太郎の本宅に那須川と出向いた。
連太郎は一代で三協薬品を兵庫県から全国組織を拡充してきた。松濤に豪邸を建てたのは数十年前になる。地元では三林御殿と称されていた。
都会には無い広大な敷地の中に平屋の日本家屋で、文化財と言っていい程の貴重な木材を使用した数寄屋づくりの仕様も連太郎らしい家の演出と言えるものだった。
重厚な大門を潜って中庭に入り、庭園を経て正門に入った。
玄関には母親の京子が待ち構えていた。
「恭司さん、おかえりなさい!」
京子は嬉しさで笑顔満面で迎えた。ただ、恭司の顔つきが強張っていたのを察知してすぐにとりなした。
「那須川さん、いつもお世話になっております。この度はご足労いただき恐縮です。こちらへ。」玄関口にいたお手伝いの女性を促して、本宅に招き入れた。
「お父様が居間でお待ちです。」
那須川と恭司は長い廊下を通って広々した居間に入った。中央に宮中のような風情を醸し出している空間があった。そこに連太郎はソファーに腰かけていた。
「那須川先生、ご足労いただき痛み入ります。
お忙しい中、恭司のことで骨折りいただいている旨伺いました。有難うございます。」
「滅相もございません。恭司様より緊急事案としてご相談いただきました中、本件は、社長にご相談申し上げるべきと思料いたした次第です。」
恭司は目線を久々に連太郎に合わせていた。婚姻の相談依頼の接見だった。
「那須川先生、恭司、本題に入ろう。ではその相談を聞かせてくれ。」
恭司は、何より父親の力を借りたくなかった。
学生時代から父とは違う道を歩むつもりで父とは袂を分かっていたのだ。
長兄、浩一の不慮の事故による急逝がなければ決して三協薬品には入社することは無かったのだ。営業開発室長として取締役の位置でグループをサポートすることになったのも、京子のたっての願いと亡き兄の遺志の引継ぎの為だった。しかし、今回は藁をもすがる気持ちで一杯だった。
「お父さん、いえ、社長、本日はお時間をとっていただき有難うございます。今回は会社組織とは関係ないお願いに参りました。」
恭司は深々と頭を下げた。
「那須川さん、話を進めてください。」
那須川は、事の次第を説明した。恭司の妻、玲子の失踪と誘拐犯からの身代金要求、そして、其の期限が差し迫っていることを伝えた。
目を瞑って連太郎は頷いていた。
恭司も真摯に手のひらを合わせて同調していた。
女給が紅茶を差し出した。
「那須川先生、恭司と二人で話をさせていただけますか?」連太郎が切り出した。
「了解いたしました。私は別室で待機致します。」那須川は部屋を退出した。
「恭司、事態は把握した。大変な人生の岐路に立ったわけだな。一億円だったな。すぐ用意させよう。」
そう言って檜机、机上の電話子機をとって、電話しだした。
「三友銀行、渋谷支店長を呼び出してくれ。」
連太郎は秘書に指示していた。
「社長、いえ、お父さん申し訳ございません。」恭司は恐縮していた。
「恭司、お金は心配しなくていい、人命第一だ。大切な人なんだろう。理解している。」
恭司は連太郎の目を見直した。
人が変わったんだろうか?と躊躇した。
すぐにその見解が間違っていることを痛感する。
「恭司、但し、家族、三林家として順守してもらうという条件付きだ。」
恭司は目くばせした。
「条件とは何でしょう!」
「一つは三協薬品グループの代表として事業承継を必ずすることだ。」
恭司は何でもするつもりだった。玲子さえ助けられるなら・・・。
「承知しました。尽力致します。」
「あと一つ条件がある!」
「何でしょうか?」
「玲子さんは助けるが、無事が判明したら、離縁することが条件になる。」
恭司は、半ば連太郎の気性をわかっているつもりだったがまさか条件に婚姻解消を持ち出すとは思ってもみなかった。
少し沈黙した後、恭司が話した。
「お父さん、玲子は妻です。彼女を失ったら僕には何も残らないんです。何とかこれを条件にすることだけは考え直していただけないでしょうか?」
連太郎はまっすぐ恭司の目を見て話した。
「恭司、三林家、三協グループの総帥になるということを頭において欲しい。
玲子さんは三林家の家族としては認められない。まして総帥の伴侶として相応しくない。」
「そんな・・・」
「恭司、条件を呑むか否かはお前次第だ。人命をとるか、自分の気持ちをとるかだ!」
恭司は少し目を閉じて、連太郎に向かった。
「お父さん、その条件を呑みます。玲子を助けてください!」
「わかった!それでいい。」
「お父さん、条件は呑みます。但し離縁後、僕は伴侶を一切持たないこととします。これは僕の 最後の砦として認めていただきます。」
連太郎は次世代、孫を含めて閨閥の枠に置いていた。伴侶無しは認めたくない恭司の返し刀だった。だがすぐに気持ちを整理できたのが海千山千の知略で時代を切り抜けた連太郎ならではだった。婚姻しなくても子供は認知もできるしそういう家族の増やし方もあると判断したのだ。まさに戦国武将の考えそのものだった。
「それは恭司の考えだ。致し方なかろう。」
恭司は那須川を居間に再度呼び、本題に戻って、十二月二十八日までに一億円を準備することを連太郎を前に取り纏めた。
恭司は、連太郎の計画通りに事が動いていたことを知る由も無かった。