第32話 第8章 天使と堕天使
文字数 2,012文字
連太郎が亡くなった後は、理事長になっている。恭司が事故、連太郎亡き三林グループの総帥代理といっていいくらいの位置にいたことになる。隆も役員であり、三林家の三男であったものの総帥の器ではなかった。グループの役員達も裕子がいることでグループの引き締まりが保てているものと周知していたのだった。
但し、裕子は断じて三林薬品の社長推薦には応じなかった。裕子には三林の姓を浩一の逝去後、旧姓の安藤に戻していたのだ。
安藤家は京都にある老舗薬品開発会社である京辰薬品開発株式会社の創設家だった。
安藤辰五郎が創始者であり、二代目の辰巳が裕子の父親だった。
京辰薬品開発は昭和の世界大戦後、大衆薬の開発が転機となり事業を拡充した。創設は初代辰五郎だったが、前身の堀川忠兵衛商店から三百年の歴史を持つ老舗薬品会社を引き継いだ名家だったのだ。
徳川時代に偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」(わやくしゅあらためかいしょ)を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立した折に初代頭取に堀川忠兵衛の名前がある。時代は江戸から明治の世へと大きく変わろうとしていた。明治以降、西洋医学が本格的に導入されるようになり、医薬品の製造技術は飛躍的に進展している。
他の薬種問屋が新しい分野である「製薬」に着手する中、堀川忠兵衛は、武田長兵衞、田辺五兵衞、塩野義三郎、上村長兵衞とともに、大日本製薬株式会社(現・大日本住友製薬)を設立したのだ。
昭和になり、ますます製薬開発が活発になり、一九三四年、創業以来続いた屋号を合名会社「堀川忠兵衛商店」(資本金十六万円)に改組・改称して近代的経営への切り替えを図った。この時に代表を引き継いだのが医学博士の安藤辰五郎だった。
また、販売力の強化・充実を進め、医薬品需要に応えるべく、製薬研究を開始してゆく。
終戦時、会社工場含めて戦火に巻き込まれて事実上の事業廃止にいたってしまう。そんな中、終戦の年、一九四五年、辰五郎は、自己投資で会社、京辰薬品株式会社を創設したのだ。一九四七年に専務だった長男、辰巳が代表に就任、辰五郎は会長職に退いている。
徳川時代から三百年を係争する老舗の会社として安藤家は事業を守っていた。
三林家としても、連太郎としてもこの安藤家との繋がり、閨閥づくりに尽力したのだった。
長男浩一との結婚相手として安藤家の長女だった裕子の白羽の矢があたった。
裕子は自由奔放な性格で、恋愛結婚が夢だったが、浩一とのお見合い時に、浩一に一目惚れしてしまった。爽やかな笑顔と日焼けした甘いマスクの浩一は理想の相手だった。
浩一も一目で裕子を気に入っていた。
両家の結婚は速攻決まったのだ。
「玲子さん、お邪魔したわね。私は先に失礼します。恭司さんと夫婦水入らずでね・・」そう言って裕子は病室を出て行った。
玲子は恭司の真横の椅子に座った。
「恭司さん。今日はあなたに報告とお願いがあるのよ。」
恭司がうっすら笑みを浮かべたような感じがした。
玲子は先ず洋子が独り立ちする事を伝えた。引越先を上尾にしたことも伝えた。
「恭司さん、もう一つの報告は少し心配をかけるかもしれないわ。私、また癌が見つかってしまったのよ。何か追いかけられているみたいだわ。今度は胃なの。」
恭司は目を瞑っているままだった。
「洋子が大人になったって感じたわ。私をしっかり守りたいって。今度入院する病院は上尾にあるのよ。だからそこに借りるって。私も通院になったらそこで一緒に暮らすのよ。
だから。恭司さん安心してね。」
玲子は恭司の頬を撫でて話した。
「玲子、頑張るんだよ。」
恭司がそう話しくれたような気がしていた。
「それとお願いがあるわ。洋子の将来をこれからも守ってあげてほしいの。万が一私が居なくなってもね・・・」
「今まで一杯援助してくれたおかげで洋子も私も充実した生活を送れたわ。感謝しています。洋子にあなたの存在を隠し通していることだけが気がかりだけど・・」
「お父様が亡くなった後、もう話してもいいんだと思ったけど裕子さんに相談したら、隆さん含めた相続絡みで問題があることを聞いてね。今も隠し通しています。恭司さんにしかり相続してもらえればそれは必ず洋子さんに引き継がれるってことも裕子さんから聞きました。三林の姓にしたままにするといった約束はあなたはこういうことも想定していたのね。洋子の安全を一番に考えてくれてありがとう。」
玲子はもう一つ恭司に伝えた。
「恭司さん、偶然がいっぱい重なっているの。
昔、あなたに話した私たちのキューピットも私たちの傍にいたことがわかったわ。
これはきっと偶然じゃないわ。必然だったのよ。」
病室に西日が入って、二人をオレンジ色に包んでいた。