第34話  最終章 流転の天使

文字数 2,631文字

次の朝、川畠はいつも通り北部バスで大宮の会社に向かっていた。北区役所前で乗車して宮原を経由して大宮東口駅までの十五分程度のバス通勤だった。
運よく空いていたので窓側の席に座った。

窓から見る景色はいつも通りだったが、昨日の好美の言葉が蘇っていた。
「何故、あの日にバスでの事案と殺人事件が洋子さんに重なって起こってしまったんだろう。偶然なのだろうか?それとも誰かが二つの事案と事件を計画していたのだろうか?」自問自答を続けていた。
川畠も以降の警察捜査の状況が気になってきたので中山に携帯メッセージで連絡した。
「今夜、情報交換を大宮で。」
いつものタイミングより一週間早い情報交換になってしまうが、気持ちが高まって致し方なかった。
中山から返信メッセージが届いた。
「以心伝心だ。今日いつものところで・・・」

一月元旦、高輪医科大学病院に洋子は向かっていた。三月は自分の誕生月だったこともあり二十五歳、大人の女性としてしっかり将来を見据えて新たに仙台での生活に挑戦することを父、恭司に伝えるつもりでいた。
病院内に入ると、中央の受付カウンターにひな祭りらしい人形のディスプレイと桃の花が散りばめられたテープが天井に飾られていた。
いつも自分の誕生日に町中がひな祭り一色になることが嫌な時期が洋子にもあったが、今は嬉しい気持ちが優先していた。
「お父さん!洋子よ。」
いつもより弾んだ声で恭司のベッドに寄り添った。
恭司も早五年、寝たきりの状態にある。事故による脳血管疾患で五年生存できたこと自体、生命力があったんだと洋子は感じていた。
出来れば母親と三人で過ごせる日があったらどんなに幸せだったかとも思っていた。
しかしながら、恭司の娘ならではのポジティブシンキングがその後ろ向きな気持ちを払拭していた。
「今日はお正月ね。飾り物買ってきたわ。」そう言って、洋子はテーブルに対の虎の首振り人形を飾った。
「お父さんとお母さんだよ。」
洋子は恭司を見つめてそう話した。

暫くして、叔父の隆が病室にやってきた。
「洋子ちゃん、早いね。お昼過ぎに来るんだと思っていたよ。」
「叔父様。こんにちは。私も今来たところです。」
「おお、干支の人形だね。いいねえ。」
「今日はお正月ですもの。」
隆も洋子に会えて嬉しい気持ちだった。家族が一人増えたことが何より嬉しかった。
「今日はもう一人家族が訪ねてくるよきっと。」
「もう一人?」洋子が尋ねた。
「そう、もう一人だよ。」

 

二〇二〇年、年明けになって、玲子は胃の摘出手術を上尾の恩寵医大付属癌センターで受けていた。多臓器への転移やリンパ管への転移を鑑みての全摘手術、大手術だった。
執刀医は柳瀬医師だった。手術は無事終わり
集中治療室を経て一般病棟に移った時は二月になっていた。
劇団の練習を終えて、洋子は病室に見舞いに来ていた。感染症予防最中、但し面会は出来ない状態だったため、ラインでフロアの待合室で対面した。
看護師が病室に居て玲子にタブレットを向けてくれていた。
「お母さん。よく頑張ったね。私よ。洋子です。」
まだ人工呼吸器を挿管されている玲子は眼で洋子に精一杯に答えていた。
「お母さん、私主役に抜擢されたのよ。次の舞台のヒロイン役。頑張るわね。」
玲子は嬉しそうに目を潤ませていた。
その後、半年に渡り化学療法と放射線治療に
日々、玲子は臨んでいた。
しかし、病は進んでいたのだ。リンパ管への転移とともに肺にも転移していることが判明した。
玲子はベッドで柳瀬医師にしっかりした眼で聞いた。
「先生、私の余命はどのくらいでしょう。」
少し時間をおいて柳瀬は玲子に向かい話した。
「三林さん、手術はもうしない方がいいと思います。ペインケアでゆっくり過ごしていただく方が良いと判断しています。
余命は人それぞれですが、後半年だと思ってください。」
「そうですか。わかりました。
先生、有難うございました。私も精一杯、病気に向かってきましたから悔いは微塵もありません。ホスピスで余命を楽しみたいと思います。」
「力不足、申し訳ございません。」
柳瀬は目を伏せていた。
玲子は、看護師に洋子との面談を依頼した。
ガラス越しの面談は特別に許された。
桜咲く季節になっていた。
病院七階にあるカフェに特別室があった。
洋子はガラスの向こうで待っていた。
「お母さん!」洋子は久々に会えた車椅子に座る玲子を見て叫んだ。
「洋子、しばらく見ないうちに素敵な女優さんになったわね。」満面の笑みの玲子だった。
「お母さん。顔色がいいわね。退院できるんじゃないの。」二人は笑顔で向き合った。

玲子は洋子に今後について話をした。終活の気持ちでメモしていたノートを看護師経由で手渡した。
「後で、それを読んでね。」
「それと今、あなたに話しておきたいことがあるの。」
「なんなの?」
玲子はこの時に、本当は恭司のことを伝えたかった。でも恭司の存在を知ってしまったら洋子は会いたくなるに違いないと確信していた。恭司と事故前に約束していたことを胸に刻んでいたのだ。恭司は顧問弁護士に遺言状を預けていることを玲子に告げていた。
自分の財産一五%三林財団へ寄贈する事、そして残りを全て洋子に贈与する事だった。
但し、恭司自身が逝去するまで弁護士事務所に守秘させていることも併せて玲子に告げていた。玲子にも自分の存在は洋子に伏せるように告げていたのだ。
玲子は洋子にガラス越しに向かい話した。
「あなたには三軒茶屋のお店と経堂の自宅を引き継いでもらいたいわ。相続に関わる費用は預貯金を使ってね。それとあなたには二つ守り神があることもわかっていてほしい。」
洋子は少し怒って言った。
「お母さん、遺言みたいな言葉はやめてよ。
まだまだお母さんには私の舞台を観てほしいんだから。」
玲子は微笑みながら話を続けた。

「一つの守り神はテーブルにある「天使の飾り盾」お母さんにとって大切な守り神だったから、きっとあなたも守ってくれるはず。大切にしてね。
そしてもう一つは、あなたを影ながら守ってくれていたもう一人の天使がいるってこと。
今はあなたの傍にいない天使がいるのよ。その存在だけは感じていてほしいの。」
「それは亡くなったお父さんの事なの。」
「天使のようなあなたのお父さんよ。」
洋子は何度も頷いていた。
「お母さん、二つの天使を心に留めおきます。」
「そう、そうしてね。」
これが玲子の遺言になった。
面会の一カ月後の二〇二〇年五月二十一日朝に静かに息を引き取った。

手術後、四カ月の急逝だった。


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登場人物紹介

川畠真和

主人公  還暦を迎えて再雇用でサラリーマン生活最中に殺人事件に巻き込まれる。自分自身の人生の変遷と事件関係者の人生に交わりが生じていた事がわかった時に、流転の天使の意味を知ることになる。

中山次郎

主人公の友人。元警視庁捜査一課刑事。現在は渋谷区内で探偵事務所を開設させている。ひな祭り殺人事件の被害者、関係者がクライアントだったことから事件に巻き込まれる。

三林洋子

母1人娘1人で生活する25歳の活発な女性。劇団ミルクでアイドルを続けている。3月卒業間近に事件の被害者になってしまう。

川畠好美

川畠真和の妻。元、真和の開発マンションモデルルーム受付スタッフ。秋田酒造メーカーの経営者時代に再会し、結婚にも至っている。真和にとってかけがえ無い存在。

三林玲子

三林恭司の妻であり洋子の母親。洋子の将来をいつも心配している。、世田谷でコーヒーショップを経営しながら洋子を育て上げた。物語の主要な存在でもある。

三林恭司

三林洋子の父親。三協薬品の営業開発室長(取締役)。誠実でかつ実直。三林家の長男が急逝し俳優業を止めて家業を継承している。

吉島あきら

川畠真和の旧友。元丸幸商事の同僚。退社後は不動産会社を経営の傍ら、芸能プロダクションも併せて経営している。川畠とは東京都内で頻繁に飲み歩いていた。

三林連太郎

三協薬品グループ総帥であり創設者。絶対権力を維持しながら事業拡大してきた業界のフィクサーでもある。

浩一、恭司、隆の父親でもある。

三林隆

三林家の三男。幼いころから過保護で育ち、根っからの甘えん坊体質。三協薬品グループ会社の研究開発センター所長職。ギャンブル好き。

小川孝

光触媒コーティング事業会社、アンジェ&フューチャー社長。吉島の後輩でもあり川畠とも面識有。おとなしい性格の反面、ギャンブルとアニメにのめり込んでいる。

安藤裕子

三協財団の理事長。三林浩一の元妻。恭司の相談相手でもあり、かつ連太郎の事業においても参謀として活躍する才女。京都の京辰薬品開発会社の二代目辰巳の長女でもある。

杉尾留美子

介護士。三協タイムサポートに勤務している。横浜関内にあるカジノ「ステイタス」のバニーガール小林佳代の友人でもある。心優しい人柄で友人たちにも好かれている。

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