末の松山

文字数 556文字

末の松山
 芭蕉は、その後も丹念に歌枕を訪ね歩いている。しかし、それはやはり心躍らせるものではない。だから、芭蕉は句を詠むこともしない。

それより野田の玉川沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造りて末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も終はかくのごときと悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が嶋もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声声に、つなでかなしもとよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず。ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。

 芭蕉は『平家物語』の平曲を語る琵琶法師に触れている。これは義経への伏線であるが、芭蕉はこのパフォーマンスをあまり気に入っていない。ただ、こういう地方にあっても、語り継がれていることの意義を認めている。

 ストリートビューで「末の松山」を確かめると、住宅の2階よりも高く育った見事な松と石碑があり、前に軽トラが駐車している。宮城県多賀城市八幡にある「末の松山」は2014年10月に「壺碑」や「興井」、「籬が島」、「本合海」と共に、『おくのほそ道の風景地』に指定されている。

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