尿前の関

文字数 1,568文字

尿前の関
 この「尿前の関」から第3部に入る。それは鼠の関までの出羽路である。第2部が歌枕探索による無常と不易流行の確認の過程だとすれば、第3部は土地の人々との交流の中で新たな俳諧の原理を見出すものである。言い換えると、第2部が今の状況から古人の思いを辿ろうとする旅であるなら、第3部は同時代の人々の営みなどから古の名残りに触れるものである。出羽の旅には厳しい山道が控え、人との出会いが詳しく描かれる。この章はその予兆である。芭蕉はもはや歌枕に固執しない。むしろ、伝統は庶民の日常生活に息づいている。

 尿前の関跡は宮城県大崎市鳴子温泉にある。「尿前の関」を入力して、ストリートビューで見ると、森の中に、雑草の生えた平地が広がり、苔や草に覆われた石段の上に石が積んである。おそらく、芭蕉に関心があるなどの人を除けば、あまり訪問者もいないだろう。観光用の尿前関御番所跡の写真──時代劇で見かける番所のイメージそのものの──とずいぶん違う。

南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎みづの小嶋を過て、なるこの湯より、尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

 蚤虱馬の尿する枕もと

あるじの云、是より出羽の国に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究境の若者反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我我が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森〃として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、此みち必不用の事有。恙なうをくりまいらせて、仕合したりと、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。

 「尿前の関」だけに、「尿」を織りこんだユーモラスな句「蚤虱馬の尿する枕もと」を詠んでいる。芭蕉は、元々、お笑いから出発した俳諧の芸術性を高めることに取り組んでいる。だが、その原点の機知を忘れることはない。行き詰まりに直面した際、原点回帰することで新たな可能性を発見することもあり得る。

 芭蕉の最高傑作の一つと言われているのが「古池や蛙飛びこむ水の音」である。これは1686年頃の作であり、まだ軽みをつかんでいない。季語は「蛙」で、春を指す。蛙は和歌などの伝統において止まって鳴くものとされている。一方、芭蕉はそれを動くものとして描く。しかし、蛙につきものの音は鳴き声として表わさない。芭蕉はその蛙が水に飛びこむ際の音に転倒する。そこにどこかユーモラスさがある。しかも、場面は古池である。名もなく、昔からそこにある。具体性が弱く、漠然としている。それは従来の伝統が見逃してきた場所である。芭蕉は和歌など古典を踏まえつつ、それを自らの修辞によって転倒し、俳諧の原点である娯楽性も加味させる。この句は文学史の再構成を具現している。傑作と呼ぶほかない。

 この方向の行く先は最晩年の「秋深き隣は何をする人ぞ」がよく物語っている。これには季語もなく、典拠も見られず、場面も漠然としている。「蛙」のような目に見えて動く物はなく、わずかに音の気配を句から察することができるだけだ。詫び、すなわち引き算の美意識が推し進められている。写実的であるが、描写しているのは輪郭がはっきりしない世界である。ただ、笑いはある。それはユーモアと言うより、ペーソスである。ペーソスが芸術性と娯楽性や通時性と共時性の調停であり、従来の文芸にはなかった新しさであろう。
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