笠島

文字数 922文字

笠島
 陸奥の旅が5月であることがここの記述から理解できる。笠島は現在の宮城県名取市にある。この章から宮城県に入る。JR館腰駅から道路に沿って歩いて行けば、川内沢川にかかる橋の傍らに句碑があるはずなのだが、見当たらない。

鐙摺白石の城を過、笠嶋の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと人にとへば、是より遥右に見ゆる山際の里をみのわ笠嶋と云。道祖神の社、かた見の薄今にありと教ゆ。此比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪笠嶋も五月雨の折にふれたりと、

 笠嶋はいづこさ月のぬかり道

岩沼に宿る。

 「藤中将」は藤原実方のことである。実方は平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人である。小倉百人一首の 51番「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」の作者としても知られる。

 実方への言及は歌枕をめぐるエピソードを芭蕉自身の旅とかけるためだろう。実方は、一条天皇の面前で藤原行成と和歌について口論し、腹を立て、相手の冠を奪って投げ捨ててしまう。天皇は激怒し、彼に歌枕を見てくるようにと陸奥への左遷を命じている。

 芭蕉は歌枕を見るように命じられた藤中将実方の墓を見出せない。また、西行が藤中将について「枯野のすすき形見にぞ見る」と詠んだ薄にも辿り着けない。これは歌枕を求める旅が実際にはそうならないことを暗示する。

 この碑は館腰神社のすぐ前を通る奥州街道(旧国道4号線)を南に約400m下った、川内沢川にかかる橋のすぐ南に立っており、別名「芭蕉の句碑」・「笠島塚」・「芭蕉塚」とも呼ばれています。
  碑の正面に大きく「道祖神路」と刻まれ、北面に道祖神社や中将藤原実方の由来、碑建立の趣旨が説明され、道祖神社・名取川・仙台城下への距離が刻まれてい るため、一種の道標であると考えられます。南面には「笠島はいづこ皐月のぬかり道 はせを」と見事な筆跡で刻まれています。
 なお、この碑は高さ84cm以上、幅24cmを測る。安政3年(1856)に仙台の小西利兵衛と地元の人々によって再建されたもので、それ以前は「笠島塚」と言われる道標があったと伝えられています。
(名取市『道祖神路の道標』)

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