第75話 好きと好きの違い ~理解者と信頼~ Bパート

文字数 5,137文字


「どうしたの? あっちのお姉ちゃんに用事かな?」
 わたしは男の子の前で再びしゃがむ。
「うん。あのお姉ちゃんにこの前のハンカチを返したくて」
 でもこの男の子はわたしには目もくれずにずっと愛さんの事を目で追っている。
 この男の子の気持ちの答え合わせがしたくて、
「ハンカチを返すだけで良かったら、お姉さんが返しておくんだよ」
 まだ小学生の男の子に少し意地悪を言う。
「……」
 でも男の子はわたしの言葉には答えずに、返すはずのハンカチに皴が出来る事を気に止める事無く、力を入れて握る。
 私の中で答え合わせが終わったから、
「このままだとあのお姉ちゃんが心配してしまうから、こっちでみんなで遊ぶんだよ」
 男の子の手を取って、さっきの少女の “けんけんぱ” を見るために立ちあがる。

 初めは元気がなさそうだった男の子もみんなと遊んでる間に気が紛れて来たのか、少しずつ元気を取り戻してる。
「お姉さん! 私キレイに出来てる?」
「キレイに出来てるけど、こけて怪我しないように気を付けるんだよ」
「わぁー男子って高く飛べるんだ! かっこいいー」
「これくらい普通だって」
 さっきの少女もそうだし、今はみんな楽しそうに遊んでる。
 わたしは体を動かすのが得意じゃないから、愛さんも参加してくれるようになって本当に助かってる。
 本当に、どこでどんな縁があって、それがどうつながるかなんて本当に分からないもんだよ。
 その愛さんが望む笑顔をみんなが浮かべているからと、少し安心して朝の事を思い返す。

 わたしが空木くんの事を理解していると思い込んで、わたしに嫉妬をしたのが分かってしまった。
 それだけ愛さんが空木くんの事を想っていると言う事だから、そのいじらしさと言うか、愛さんなりのやきもちの妬き方に可愛さを感じたのは確かなのだけど、それは同時に心の底から信頼されて

のだと言う事に気付かされてしまう。
 しかもわたしに対して罪悪感を持っていないのだから、間違いなく愛さん自身気付いていないのも容易に想像がついてしまう。
 だから聡い愛さんなら間違いなく気付いてしまうから、私の聞きたい質問にはフタをしないといけない。
 そしてこの質問に対する回答も絶対ではないのだろうけど、恐らくである答えは予想が付く。
 でも愛さんの感情が私に向いてしまう事を、愛さんに言った事をまったく実践できていないわたしが責める事は出来ない。お門違いも甚だしいのだ。
 だからわたしと愛さんの中で信頼「関係」は成立していない。今あるのはわたしから愛さんに向けた “無償” の信頼と、理解だけだ。ううん。これだけだと愛さんがわたしの事を全く信用していないように聞こえてしまうけど、それだと語弊が出てしまうんだよ。
 以前愛さんに話した通り、物の受け渡しをしたとしてもお互いの持つ印象が変わらないくらいには信頼「関係」は出来ていると思ってる。そうじゃないと逆にわたしの方が辛い。
 ただ物や、目に見える形での表層心理では信用・信頼はしてもらっていても、愛さんが大好きな空木くんや、愛さんが親友と迷いなく言い切れる子の話となると、さっきみたいに全く違う感情をわたしに対して抱く事は予想に難しくないし、実際さっきも向けられたばかりだ。
 つまりわたしと愛さんの仲では感情に根差した心理である中層心理では、

わたしに対する信頼は低い事も十分予想できる。
「さっきからあのお姉ちゃんを見てどうしたんだよ?」
「別に何でもない」
「向こうの遊びが良いのなら、向こうに行っても良いよ。その代わり向こうからこっちに女子を一人呼んで来てよ」
 もう遊び飽きたのか、児童たちが姦しくなる。
「あれ? もう疲れちゃった?」
 男の子が愛さんの方へ向かうのを微笑ましく見ていると、少女がわたしの横に座る。
「それもありますけど、お姉さんとお話がしたいです」
 私の横に座った少女がわたしの左手を手に取り、手の平から指先までふにふにとマッサージのつもりなのか揉んで来る。
「もちろん良いけど、どんなお話が良いのかな?」
 愛さんの方が一段落するまではと思い、少女のお話に付き合う事にする。
「もう一人のお姉ちゃんといつも一緒にいますけど、仲良しさんですか?」
「もちろん大の仲良しさんなんだよ」
 だから一番の理解者でいたいと思うし、愛さんと本心では信頼「関係」を築きたいと思ってるんだよ。
 ただ偶然にもわたしの考えていた事も愛さんの事だったから、少し驚きはしたけどさっきの思考を続けながら、少女とお喋りをする。
「全然性格とかタイプは違いそうですけど、仲良しさんなんですか」
「タイプや性格は全然違うかも知れないけど、あのお姉ちゃんはとっても優しいんだよ」
 そう。だから愛さんが今更の自責をしなくても良いように、わたしとの信頼「関係」が浅い事を気付かせたら駄目なんだと、そこは愛さんの性格をある程度理解できた時から気を付けている。
「性格の全然違う人と仲良くなる方法を教えて欲しいです」
 もしわたしとの「関係」が浅い事に気付いた愛さんなら、間違いなくわたしとの「関係」を深くするために、愛さんはわたしに秘密にしている事を教えてくれるだろうし、わたしもまた教えたくなってしまう。
「全然違う人と仲良くなるためには、自分から優しくするんだよ。でも全部相手の言う事を聞いてあげるのと、優しさは別だから、そこも気を付けないとダメなんだよ」
 でも聡い上に、優しすぎる愛さんにわたしの事を話すと、たとえどこにでもある少しだけ悲しい話だったとしても愛さんは心を痛めてしまうだろうし、わたしとの接し方も変わってしまうかもしれない。
「やっぱり難しいんですね」
 だからこそ、愛さんの笑顔を曇らせたくないわたしは気を付けないといけない。
 ただ、今は愛さんと空木くんが信頼「関係」を深めている最中なだけに、その途中でわたしとの事に気付くかもしれないから、一応その時の準備だけはしておいた方が良いのかもしれない。
「ううん。そんな事は無いんだよ。相手の事がよく分からなくて優しくするのが難しかったら、その仲良くなりたい子と、何でも良いから秘密を作ってしまえば良いんだよ」
 ただそれはそれで気がかりな事が無いわけではない。
 もう愛さんとも三年以上の交流になるけど、愛さんからわたしに踏み込んで来たことはほとんどない。
 もちろん礼儀正しい愛さんの事だから、他人の領域に無遠慮に入って来ないだけかもしれないけど。
「秘密ですか?」
 気が付けば私の手を揉むのを辞めた少女が次は頭を撫でて欲しいのか、わたしの左手を自分の頭の上に持って行く。
「そうなんだよ。二人しか知らない話って、なんだかドキドキしない?」
 少女の頭を優しく撫でながら、簡単な心理学を使った行動を教える。
 そう、これはとても簡単な話で、二人、お互いだけしか知らない事だから、他の人が知りえるまでの間は、秘密を守ってくれているのを確認するのが簡単な分、お互いがお互いの事を信頼できるようになるのが早いから仲良くなりやすいのだ。
 これは男女の “つり橋効果” と同じだったりもする。
 だからその秘密はうっかり口にしてしまう物じゃなくて、日常から少し離れた秘め事の方が安全だったりするけど、あまり離れすぎて全く話題にも意識にも上らないようなものだったりすると確認する機会がなくなってしまう分、逆に意味は無くなる。
 “つり橋効果” なのに “つり橋” じゃなくて一本のロープにぶら下がっている場合の事を思い浮かべてもらったらお互いの事を考えている余裕が無い事も分かって貰えると思う。
「分かりました。私もお姉さんとあのお姉ちゃんみたいに、その人と頑張って仲良くなってみます。また何かあったら聞いても良いですか?」
「もちろんなんだよ。その勢いで友達100人作るんだよ」
 仲良くなるのに頑張るって可愛いなぁって思いながら、少女の笑顔が少しでも増えるようにと応援する。

 こっちの話が終わったところでちょうど愛さんの方も一段落ついたのか、こっちへ戻ってくる途中で男の子が愛さんに話しかけているのを眺めていると、
「じゃあ今の話は私とお姉さんだけの秘密です。あのお姉ちゃんにも言ったら駄目なんですよね?」
「もちろんなんだよ。わたしも秘密を守るんだよ」
 少女がわたしとの信頼「関係」を作ろうとしてくれる。
 男の子が無事にハンカチを愛さんに返して、それを愛さんが本当に嬉しそうに受け取って頭を撫でるから、男の子の顔が真っ赤になってる。
 わたしもそれに倣って少女の頭を一撫でしてから
「あんまり仲良くして目立ったら他の人に聞かれてしまうから、一緒にみんなの所に戻るんだよ」
 少女の背中を言葉で押すと、
「そうですね! 続きはまた来週ですね」
 とても嬉しそうにみんなの輪の中に入って行く。
 そして愛さんの方も嬉しそうに男の子と手を繋いで、円陣を組む時みたいに全員が一つにまとまる。
「……」
 せっかくだからとこのまま今日は愛さんに任せてみる事にする。
「じゃあ今日は暑いのと、お姉ちゃん明日テストだから勉強しないといけないから、今日はこれで終わりで良いかな?」
 わたしの意図を分かってくれた愛さんが児童たちに今日の終わりを告げると、一斉に文句が飛び交う。
「今日もう

1

時間遊んだら、来週はもう一回テストだから、

0

時間しか遊べないけれど良いのかな?」
 愛さんの質問に

0

時間って遊べないって事じゃんかー」
 ひとしきりの文句を聞き終えたタイミングで、
「じゃあ今日は我慢して、また来週たくさん遊べる人ー」
 愛さんの質問に対して、今度は全員がまっすぐに手を上げる。
 そうしていつもよりも早く今日の課外活動が終わる。

 愛さん本当にお見事なんだよ!


 最後帰る間際まで元気に愛さんの近くから離れなかった男の子を何とか帰して、試験対策の続きをするためにもう一度わたしの家に帰る途中、
「ああやって男の子って強く、カッコ良くなって行くんですね」
 愛さんが本当に愛おしそうな表情を浮かべて、あの男の子の話をする。
「ハンカチ。返してもらえた?」
「はい。とは言っても皴だらけですけれど」
 そう言って嬉しそうに手にしたハンカチをわたしに見せてくれる。
「朱先輩の言う通り、やっぱり物は必要なかったみたいですね。次の日の日曜日に仲直りをしてってあの男の子が勇気を出してご両親に言ったら――」
 愛さんの言葉の途中でわたしは、首を横に振って愛さんの言葉を止める。
「愛さんの嬉しい気持ちはよく分かるけど、愛さんが初めに寄り添った先に出来た二人だけの信頼「関係」の話なんだから、無暗に喋ったらダメなんだよ」
 クライアント(C)とバイザー(V)の関係。スーパー(SV)に言う事はあっても、あくまで二人寄り添って築き上げた信頼「関係」の話。わたしとあの少女、愛さんと空木くん、そして今日の愛さんとあの男の子。
 それにもう愛さんと空木くんと二人だけの秘密もあるんだよね。わたしは心の中だけで愛さんに質問する。
「そう……ですね。あの小さな男の子の気持ちも、ちゃんと一人の人間として大切にしないと……ですね」
 だから二人の「関係」の事、初めては実らないと言うから、わたしはあの男の子の気持ちについて口出しはしないようにする。
「愛さんがいい子過ぎるんだよ。そんなに良い子過ぎると、次は空木くんが心配したり “やきもち” を妬くんだよ」
 その代わり、さっき愛さんが浮かべていた表情に対して、男性側からの心情を口にすると
「……」
 ものすごく驚いた表情に、また空木くんの事でやきもちをわたしに妬いているのか、一抹の不満を載せた表情をわたしに向ける愛さん。
 わたしはやっぱりと言う気持ちと、遅かったのかなって言う二つの気持ちを同居させながら、
「続きは家に帰ってから、勉強しながらなんだよ」
 今朝の内に夜ご飯の下ごしらえだけはしておいて本当に良かったと心底思いながら、テスト勉強は捗るのかと一抹の不安も合わせて帰路に就く。

―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
      「私、やっぱり男性慣れしないといけないと思うんです」
          どうしてもその思いが抜けない愛さん
        「愛さん。天然とか、純粋とか言われた事ない?」
          これもたまに優希君から言われる言葉で
           「はい。私が一番の親友ですから」
             自信を持って言い切る愛さん

           「ここってものすごく遠いんじゃ?」

         76話  信頼の天秤 ~わたし・親友・先生~

           
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