第79話 近くて遠い距離 3 ~親友・幼馴染~ Aパート

文字数 6,856文字


 9日の木曜日。全てのテストの終了を告げるチャイムが鳴る。
「はい! 試験終了。試験官ないしは副試験官が全員の確認を終えるまで、そのまま何も触れずに、机の上に手の平を上にして置いて座って待つように。後、口も開くなよ」
 そして男子生徒には担任の巻本先生が、女子生徒には穂高先生がカンニング対策だと思うけれど、順に持ち物検査の要領で生徒をその場に立たせて男子ならズボンのポケット、女子ならスカートのポケット、それに胸ポケットと、長袖の生徒には服の袖の部分もチェックして行く。それで全て問題が無かった生徒から、机の上の物はそのままにして、一旦教室の外に放り出される。

 女子である私は名簿順で言うと蒼ちゃんよりかは早い順番になるから、
「……はい。良いわよ」
 保健の穂高先生のほんの軽くだけのチェックで教室の外へと吐き出される。
「ありがとうございます」
 私は嫌な顔をした穂高先生に見送られながら、火曜日の事を思い出す。


 テストの際には机に直接答えを書く生徒もいると言う事で、名簿順に座り直して各自で机に落書きがないかどうかをチェックしてから、次に先生たち二人の試験官が机の上に何も書かれてはいないかを、机の上に何もない状態で見て回る。
 初めに生徒は見た時に申告があれば問題無し。ただし、次に試験官がチェックをした時に見つかった場合は、一回目なら未遂と言う事で厳重注意。二回目ならカンニング扱いで学期末テストはすべて得点無しの成績で出すとの事。
 どうして二回目があるのかと言うと、副教科を合わせた全てのテストの始まりに毎回チェックを行うからなのだ。
「はい。それじゃあ机の上に筆記具だけを出して、筆箱を含む腕時計も全部カバンの中にしまってくれ。もちろん机の中にも何も入れるなよ」
 どうして中間の時とこれだけ差があるのかと言うと、全統模試を各学校で行う場合は、試験会場で受けるよりも条件が厳しいとの事。
「試験時間に関してはいつも通り、先生が持って来たこの時計で計るから安心しろよー」
 いくら受験生とは言え、毎テストごとに繰り返されるこのチェックに生徒の方も辟易としている。
「それと今日の午前中は数学のテストだけで180分。3時間と長いから、トイレによる途中退室が認められている。男子は俺が、女子は保健の先生が付き添いをするからその際には黙って手を上げる事」
「女子生徒も安心してね。女子のトイレを男性教諭が待ってるって事は無いから」
 そう言ってあたかも素知らぬ顔でクラスに手を振る腹黒教師。
 全く何が “安心してね” なんだか。こんな手段を使ってまで蒼ちゃんに近づこうとするなんて、安心できるわけ無いっての。
「……」
 先生がこの時間を使って何をしようとしているのかを見抜こうと、見ただけで分かる訳は無いって分かってはいても担任の先生なんてそっちのけで、穂高先生を見つめていると、私に対して勝ち誇るかのような心底腹立つ以前のあの挑発的な態度は何だったのかと言うほどの嫌そうな顔を私に向ける。
「先生! 俺の時も是非付き添いをお願いします!」
「ごめんね~先生のタイプじゃないから、担任の先生お願いするわね」
 それも一瞬の事。調子に乗った男子生徒が、腹黒教師にお近づきになろうとしているのだけれど、あんな腹黒女のどこが良いのか、久々にいつまでたってもアホな男子の姿を見た気がする。
 ……まさか優希君に限ってそれは無いよね。
「それでそのトイレ退室だが、希望する者はその場で小さくで良いから手を上げてくれ。女子なら保健の先生が、男子なら俺がそこまで行ってアイマスクを付けてから外まで誘導する」
 そんな私の視線を気にしてか、担任が私の方に視線を向けてくるけれど、十中八九腹黒教師に打ち明けた事を聞きたいのだと当たりを付けて、担任の方は放っておく――のを、
「……」
 腹黒教師が苦笑いをして、それを蒼ちゃんが見た後、瞳に警戒の色を浮かべてくれる。
 言わなくても考えている事が分かってしまうと、色々とやりにくい事も多いけれど、こういう時はありがたい。
「……」
 私は再び腹黒教師の方を向いて表情を崩すと、今度は腹黒教師の方が嫌そうに私から視線を逸らす。
「それと教室内に戻ってきて席についてもらう時はもう一度アイマスクをしてもらうからな。後、教室内に最低一人は試験官がいないといけないって規則があるから、トイレは一人ずつだからなー」
 腹黒教師の反応に満足そうにしているのを、咲夜さんは不安そうに、蒼ちゃんは警戒心を浮かび上がらせて、それより何より顕著なのは
「……」
 私達のやり取りを見ていた例の二つのグループだった。
 咲夜さんを

二つのグループメンバーそれぞれが、独特な反応をしてしまったが為に、腹黒先生の中で間違いなく二点が、結ばれた線になったのが
「……」
 眇(すが)められた視線で分かった。
 そして教室の中で担任を除く一人の男子生徒を含む、数人の生徒が視線だけでのかけ引き、やり取りを済ませた中で
「じゃあ今から180分。健闘を祈る」
 長い数学の試験が始まった。


 数学は大問が6個でその中に小問・中問があるのが3つ。残りの3つは大問そのものだった。
 先生の話を参考にするなら、一つを完全回答した上で残りの二つを程々に取れば赤点は無さそうだけれど、私みたいに統括会に身を置く成績上位者としては、大問そのものにも手を付けないといけない。
 幸い分からないと言う事は無さそうだけれど、見直しの時間も考えると、1問あたり30分かけられるかどうかの話になってしまう。
 私はざっと時間配分をしたところですぐに回答に取り掛かる。

 思ったよりかは良いペースで問題を消化して、残り60分で最後の問題である6問目に取り掛かり始めた時、腹黒教師が蒼ちゃんの席の前で立ち止まる。
 蒼ちゃんも含めてそうだけれど、文系の人やもう目標が決まってる人、難関入試を考えていない生徒なんかは、赤点を免れるためだけの得点、ないしは本当にハナから諦めた生徒なんかは早々に鉛筆を手から離すか、そのまま机に突っ伏すかしている生徒も半分くらいはいる。
 ただ指定校や推薦を考えている生徒は、名実共にかどうかは知らないけれど、戸塚君みたいな一芸推薦以外の生徒はこのテストと、次の中間がモノを言うからと、特に数学は部分点も見込めるから1点でも多くとるために最後まで粘る。
 二分化した教室内でパティシエを目指すと言っていた蒼ちゃんは、当然前者に該当する。
 だから腹黒教師が目の前に来た時も、答案用紙は裏返しにしていた。
 そんな蒼ちゃんを何をするでもなく不躾に見続ける腹黒教師。
 そうなると私の方も警戒心で、試験どころの話じゃない。ホントこれで成績が下がったら絶対に腹黒のせいにしようと心の中で決意する。
 一方当然蒼ちゃんも、さっき警戒心を浮かべてくれていたから腹黒を一瞥だけして、手首をしっかりと掴んで顔をうつむける。
 その二人のやり取りを見て何を焦ったのか、咲夜さんグループの内の一人が手を上げる。
「……」
 そしてさすがは腹黒教師。先生の目が黒い笑みに変わる。
 そんな先生を見て、蒼ちゃんをダシにして生徒を

と理解する……と同時に先生に対する不信感と怒りが込み上げる。
 ただ状況だけを見れば、蒼ちゃんの前から腹黒教師はいなくなって、担任しかいなくなった教室内、状況が動く事は無くなったと言う事で、怒りを無言の集中力に変えて急ぎ6問目に取り掛かる。

 集中して解いた分残り時間は30分と言うところで、少しだけ余裕が出来る。
 一方腹黒教師の方も

生徒を骨までしゃぶりつ尽くすつもりなのか、まだ教室には帰って来ない。
 通常のトイレとは思えない長さだから、余計に目立ってると思うんだけれど……と考えていた所にやっと件の生徒を連れて帰って来る。
 残り時間は30分弱。見直しに10分程は欲しいからと考えても正味は20分程。ただギリギリだとこっちも進路のかかったテスト。余裕を見て20分の見直し時間は欲しい。
 本当なら試験が終わってからゆっくりと話をしても良かったのだけれど、あの腹黒教師の事だから、試験終了後すぐに理由を付けて逃げる事も考えられたから、
「……」
 腹を括って私が小さく手を上げると、
「――(はぁ?!)」
 何とそれに気づかないフリをして、私が視界に入らない様に、私より教室の後ろに移動してしまう。
 本当になんて先生なのか。朱先輩から聞いていたのとはあまりに違い過ぎて、10分くらいではとても足りないくらいの文句が頭の中に浮かぶ。
「あの、先生」
 でも、良くも悪くも私の事を気にしてくれている巻本先生が放っておく訳もなく、穂高先生に声を掛けてくれる。
 さすがにそこまでされて知らんフリ出来なかったのか、全く隠す気もなさそうに、みんなに見えるように私に嫌な顔を向けて、私にアイマスクを付ける腹黒教師。
「ごめんね。先生気付かなくて」
 先生が極小の声で言い訳をのたまう。何が気付かなくてか。自分勝手な言い草にほんっと腹立つ。
 これで見直しの時間が足りなくなったら、間違いなく先生の責任に出来ると思う。

 教室の前で喋る訳にはいかないからと、咲夜さんとよく話し込む廊下端の階段の踊り場の方へ足を向ける最中、
「トイレは良いの?」
 知らんフリを決め込んだ先生が白々しく聞いてくる。
「それ。分かってて聞いてるんですよね。


 少しでも込み入った話をする時間を少なくしたいのか、分かり切った事を聞く先生に牽制の意味も込めて、名字で呼ばせてもらう。
「……岡本さん。狡猾とか、腹黒いとか、嫌な女とか言われない?」
 自分の事を棚に上げてよりによって腹黒いって……ホントこの腹黒、私の事をどう言う目で見ているのか一度じっくりと腹を割って話をしないといけない。
 まあ向こうからは黒い何かか、埃くらいしか出てこなさそうだけれど。
「先生こそ生徒によって随分と態度が違うみたいですが、それだと何を考えているのか黒すぎて分かりませんね」
 それもさることながら、朱先輩の印象と私の印象があまりにも違い過ぎる。朱先輩が騙されているような気がする。
 それはつまり裏表があるって事で、今私に見せている方が表面の本性のような気がする。
「生徒によって態度を変えるのは当たり前の事よ。だって生徒一人ひとり個性が違うもの」
 しかも私には裏表を使い分けている事すらも全く

平然と言ってのける。

 本当に何なのか。私をそんなに挑発して楽しいのか。こんな先生今まで見た事が無い。
「生徒によって使い分けるって言うんなら、私の事は一体どう言う目で見てるんですか?」
 初っ端から保健室でのだまし討ち、そして場所を変えての軟禁。ああそっか、さっき先生に腹黒いって言われたっけ。
 私も負けじとこれ見よがしと先生の前で大きくため息をつくと
「それよそれ。その分かってて聞くところ。大人に聞くんなら子供らしく最後まで聞くもんじゃない?」
 鼻を鳴らして私を子ども扱いする腹黒教師。
 実際まだ自分の力だけで生活が出来るわけでも無し、何より一人暮らしですら嫌がっているくらいなのだから、反論なんて出来るわけがない。
「あら? 言い返して来ないの? せっかく次の言葉も用意して待っていたのに」
 そして反論出来ない私を更に煽って来る腹黒教師。
 ホンっとに腹立つ。どうして私がここまで先生に煽られないといけないのか。
 保健室内に向けて礼儀正しく頭を下げていた妹さんを見ても、腹黒教師の優珠希ちゃんに対する態度は推察できる。
「じゃあお言葉に甘えて

ですが、蒼依をエサにして

ましたね」
 腹黒が私に対してだけそう言う態度だって言うなら、こっちだって遠慮しない。
「エサって失礼ね。先生は防さんの答案は出来上がっているみたいだったから、邪魔にならないかなと思って、どんな人なのかを確かめようと思っただけよ」
 でも、この腹黒は一筋縄ではいかない。
「先生。私は確認って言ったんですけれど。大方蒼依に“何か聞けたら良いな”くらいのつもりで、試験開始の時に目を付けた生徒から話を聞こうと言う魂胆だったのかと確認したかったんですが」
 だから先生には抵抗自体が無駄だと言う事を、あえてこっちから教えてあげる。
「言っときますけれど、蒼依は喋りませんよ」
 嫌そうな表情を浮かべる腹黒先生に、蒼ちゃんが私にも口を割ってくれない事までを言う必要はどこにも無い。
 ただ私を通さずに直接蒼ちゃんに聞こうとしても、無駄だと言う事だけを分かって貰えればそれで十分なのだ。
「本当に先生には直接、接触はさせてくれないのね」
「私。あの時にちゃんと言いました。私を通してでしか喋らないで下さい。蒼依には少しでも嫌だと思ったら喋らなくても良いって言いますって」
 朱先輩が頼っても良いって言ってくれた

、私としては話をしたのだけれど、蒼ちゃんの事となると話は別だ。この腹黒先生に任せても良い、信用しても良いと言う安心が

見つからない。
「先生に喋らなくても良いって言う話をしたって言う事は、保健室へ連れてくる話はしてくれたの?」
「していませんよ。それに私が腹――先生と喋っている事は薄々気づいてはいるかもしれませんが、それすらも私は喋っていませんよ」
 アザはおろか、腕すらも見せてはくれない。私のためのお願いなら聞いてくれるけれど、最終的にそれが蒼ちゃんの為になるなら、私が実祝さんと仲良くしない限り、やっぱり聞いてはもらえないのだ。
「何それ。どういう事? 岡本さんの言葉をそのままなぞると、防さんには何も話してはいないけど、岡本さんを通してしか喋らないし、嫌な事も喋らないって事?」
「そう言う事ですよ」
 先生の質問に軽く答える。
 もちろんこの中には嘘も混じっている。特に腕のアザなんていくら実祝さんの事があったとしても、私も見せてもらえないし、特にクラス全員が

教室内で袖をまくる訳がない。
 そして蒼ちゃんには保健室の事は何も話せていない。
 ただ試験開始直前の時に、腹黒先生を見る私を見て蒼ちゃんに、私が腹黒先生の事を信用していないって言うのが伝わっただけの事だ。
「ねぇ。ちゃんと先生は包み隠さずに話してるのにどうしたら信用して貰えるの?」
 だけれど何度も言うように腹黒先生には、私を通してしか喋って貰えないと想わせることが出来ればそれだけで良いのだ。
「先生。仮に私がその答えを言ったとして、その回答通りに先生が動いて……それで信用できると思いますか?」
 私はこんな姑息な手を使う先生が、嫌がる蒼ちゃんに執拗に根掘り葉掘り聞くのが信用ならないのだ。
 さっきの

生徒の扱いを見ても、そこにどうしても引っかかって

信用できないのだ。
「……」
「先生の方に話が無いのでしたら、残りの時間、数学の見直しをしたいので、教室に戻りますね」
 本当はさっきの生徒に何を聞いたのか、先週までと打って変わってどうして私を見たとたんに嫌な顔をするようになったのかとか、色々と聞きたい事はあったのだけれど、こっちは試験中。どうしても時間が押してしまう。
「岡本さん。お願いだから先生の質問に答えて」
 私は先生の質問に直接の答えを出さずに教室に戻ろうとしたところで、先生も追いすがる。
「先生が初めに知らんフリをした挙句の果てに、妙な時間稼ぎまでするから、時間が無くなったんですよ」
 先生の質問を改めて払う。
 私が見破っていたのが意外だったのか、それとも本当にそんな意図はなかったのか、
「……」
 私に鋭い視線を投げる――
「先生。この試験が終われば本格的な夏ですね。今でこれだけ暑いと今年の夏は私にとっても大変そうです」
 ――顔や首元に滴り落ちる汗を先生がハンカチで拭いながら。
「それと先生。蒼依の“配慮”の件は本当にどうにもならなさそうなら“素直”に先生にお願いしますね。だから、アイマスクをお願いします」
 先生の言葉を信じるって意味も込めて“素直”にお願いをしたつもりだったのだけれど、
「その時に事情を聴くか、理由を話してもらうかはするわよ」
 先生が話を変えてしまう。
「そんな生徒の足元ばかり見る先生の事、信用すると思いますか? 私からの信用なんて取るに足らないものなんですね」
 先生の何が何でもと言う気持ちは、正直分からないではない。言い換えればそれだけ切羽詰まってるって事の裏返しにもなり得るから。
 でも蒼ちゃんを証拠に出すって言った時、思わず私の口調は変わってしまったはずだし、初めに蒼ちゃんをエサにして釣った事の牽制もしたはずなのだ。
「……」
 それ以降は穂高先生も黙って教室へ帰って、テストの見直しをする。残り時間は15分。
 5分オーバーだけれど、私にとっても大切な試験。今度は担任からの視線を感じはしたけれど、見直しに集中させてもらった。

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