第8話:和人の武田入社とリート投資

文字数 1,662文字

 そして、日本の製薬企業に入ると語り、10月、武田薬品から内定をもらったと発表。その後、2006年となって、1月下旬、伊勢昭二は、一橋大学を受験して、合格と勝ち取った。

 合格発表の日、いつも冷静な伊勢昭二も興奮して、やったーと雄叫びを上げたほどであった。これには、両親も喜んだ。合格祝いに豪華な昼食を食べるとき、俺は、将来、アメリカの金融機関で働きたいと夢を語った。

 その日の晩、伊勢和人が,家に帰ってきて、伊勢昭二が、一橋大学に合格したと聞くと、それは、凄いねと,褒めた。そして、兄は、弟に、俺は、難病を治す薬の合成する仕事を目指すと宣言した。これを見ていた母は、その話を聞いて感動して、涙を流した。

 その後、長男の伊勢和人は、武田薬品の独身寮に入り、家を出て行った。弟の昭二は、自宅から電車で約30分かけて一橋大学に,通い始めた。一方、世界情勢は,緊張感を増した。まず、2月4日、国際原子力機関「IAEA」は、緊急理事会でイラン核問題の安保理付託決議を採択した。

 しかし、イランのアハマディネジャド大統領は、4月11日、ウラン濃縮活動成功を発表、核開発を追求する姿勢を明らかにした。これに対し、国連安保理は7月31日、濃縮活動を8月31日までに停止しない場合、経済制裁を行うと警告する決議をして採択した。

 ところが、イランはこの履行期限も無視し、濃縮を続けていると国際原子力機関「IAEA」も確認した。これを受けて安保理常任理事国とドイツの6カ国は制裁決議案をめぐり協議を継続。その後、5月27日の早朝、インドネシアのジャワ島中部、マグニチュード6.3の大地震が発生した。

 震源に近いジョクジャカルタでは、沿岸を中心に多数の家屋が崩壊し、約5700人が死亡、20万人以上が家を失った。中ジャワ州にある世界遺産のヒンズー教寺院群、プランバナンの大半の建造物も全半壊した。インドネシア政府は「国家的災害」に指定した。

 その後、日本は陸上自衛隊員で編成する国際緊急医療援助隊を派遣し、被災者支援に当たった。7月17日にもジャワ島西部沖でMマグニチュード7.7の地震が発生し、津波で500人以上が死亡した。

 11月、イラクでは開戦から3年以上経た今も、イスラム教の宗派抗争に歯止めが掛からず、テロが激化、治安は悪化の一途をたどっている。11月には首都バグダッドのシーア派居住区で過去最大級のテロが発生し、200人以上が死亡。米主要メディアはイラクの現状を「内戦」と表現し始めた。

 国連報告書によると、テロなどで死亡したイラクの民間人は10月だけで3709人に達し、民間人の死者数としては月間で過去最多を記録。開戦後の米兵の死者も約3000人に上り、米国内では、野党・民主党を中心に米国民からも早期撤退を求める声が高まりだした。

 一方、伊勢家では、兄の伊勢和人は、5月連休、夏休みは、もちろん、付きに1,2回は、東村山の実家に帰ってきて,ゆっくりと過ごした。弟の伊勢昭二は、経済の新しい学問である投資工学の英語の本を読んで投資の勉強に力を入れた。
そして父が投資した不動産投資信託について良い選択をしたと褒めた。

 続けて、父に、今後、新しい投資をするときには、教えて欲しいと語ると、嬉しそうに了解したと答えた。兄の和人は、研究所では、上司からの指令で、基礎実験を繰り返すだけの日々に、そろそろ飽きたというと、まだ、10年早いと、父が、和人に,厳しい口調で言い、世の中、そんなに兄くないと言い切った。

 2007年5月7日、早朝、証券会社の担当者から日本ビルファンドの気配値が200万円で高く売りと助言され、すぐ、全株成り行き売りを指示。その後すぐ売れ、税引き後利益1454万円で投資残金が1550万円となった。その後450万円を送金し投資資金を2000万円にした。

 その後、2007年となった。昨年2006年頃から米国で、低所得者向け高金利型「サブプライム」住宅ローンの焦げ付きが多発。これをきっかけに世界の金融市場が大きく動揺した。
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