第11話:異常気象と伊豆へ温泉旅行

文字数 1,696文字

 そんな彼が、2月の寒い日に会社に出勤途中、突然倒れた。その後、すぐ救急車を呼んでもらい大学病院に運ばれたが、心筋梗塞と脳梗塞を同時に起こして亡くなった。そして、その情報を連絡してくる者が以前の会社内に一人もいなかったのだ。

 ただ、2月6日、F君の奥さんの実家のある宮城県で葬儀が行われるとのハガキが届いた。もちろん出かけた。行くと、F君の奥さんが、寄って来て、遠い所、ありがとうございますと来てくれた。4月、有給休暇を取ってハワイでゴルフするためクラブを買ったばかりと打ち明けた。

 本当に可愛そうでしたと言い、涙をこぼした。体調の悪い所、遠路はるばる、ありがとうと頭を下げた。そこで、私は、義理と人情だけは科かしたくないので、はってでも来るつもりでしたと言うと、また、泣いた。

 きっと、主人も喜んでるはずですと語った。その後、以前の会社の顔見知りの後輩たちが、声をかけて来たが、相手にせず、お線香をあげた。葬儀が終わると、誘いがかかったが、さっさとタクシーで、駅まで逃げるようにして帰った。

 そして、新幹線で、夜21時過ぎに、自宅に帰って来た。その後、F君の奥さんから5万円もお香典いただき、申し訳ありませんと言い、取り急ぎ、お返しの物を送りますと電話が入った。それに対し、私と彼は、同じ職場で、お互いに世話になった仲だから当然だと答えた。

 やがて、春になり、徐々に暖かい日が増えてきた。その頃、宮崎県で家畜伝染病の口蹄疫「こうていえき」が、国内で10年ぶりに発生、猛威を振るった。2010年4月20日に感染牛が初めて確認され細菌を大量に排出する豚にも感染。

 宮崎県東部の川南町を中心に急拡大した。国は家畜への初の注射接種で細菌を抑制をはかった。しかし、ブランド牛の種牛を含む牛豚約29万頭が殺処分された。東国原英夫知事は非常事態を宣言。

 イベントの自粛や立ち入り制限は大分など隣県にも広がり、宮崎の子牛をブランド牛に育てている全国の畜産農家にも影響が出た。宮崎県が口蹄疫の終息宣言を出したのは、約4カ月後の8月27日であった。

 日本列島は梅雨明け以降、広い範囲で猛暑に襲われた。2010年7月22日に岐阜県多治見市で最高気温となる39.4度を観測し、8月の平均気温はほぼ全国で戦後最高を記録。6~8月の平均気温も平年より1.64度高く、統計を始めた1898年以降で最高。

 熱中症により高齢者ら多数が、死亡。消防庁によると、7~9月の3カ月間に熱中症のために救急車で病院に運ばれた人は5万3843人と前年の4.2倍。気象庁の異常気象分析検討会は、30年に1回の異常気象と指摘。

 北半球中緯度の気温がエルニーニョ現象に続くラニーニャ現象で上昇した所に勢力の強い太平洋高気圧の影響を受けたのが主因と発表。尖閣諸島沖の漁船衝突事件をめぐり日本の海上保安庁巡視船が中国漁船の航行を妨害したと主張。

 それに対し、中国政府は、駐中国日本大使を繰り返し呼び出して、抗議するなど激しく反発。閣僚級以上の交流停止など報復措置を取った。9月18日には北京など各地で抗議行動が行われた。

 漁船の船長釈放後の10月4日、温家宝首相がブリュッセルで菅直人首相との非公式会談に応じ関係改善に踏み出したが、16日に成都、西安、鄭州で反日デモが発生。一部が暴徒化し日系店舗などに被害が出た。

 反日デモは、その後も散発的に続き10月末のハノイでの日中首相会談は非公式懇談にとどまった。この年は、伊勢夫妻の子供たちが、就職して家を出て行ったので、12月、列車で、南伊豆の下田温泉へ出かけた。

 海辺に建つ温泉ホテルに入り、翌朝、ホテルの庭を散歩して写真を撮ってきた。その日は、朝食後、9時過ぎにホテルをチェックアウトして、下田開国博物館へ向かった。館内に入り、江戸時代末期の日米修好条約の絵巻など多くの資料を見学した。

 その後、下田ロープウエイで、寝姿山の上から下田湾や遠くには伊豆七島の島が見える景色を眺め感動し、写真を撮った。その後、昼食を食べて、伊豆急で、熱海に向かった。16時前に、熱海駅についてバスでホテルに向かった。
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