第1話:療養生活開始と親友へのお見舞い

文字数 1,707文字

 1999年8月、夏休みを取り、伊勢知親は、奥さんと2人で、同じT自動車の同期入社で札幌在住の奈良隆次の所へ、出かけた。昼過ぎに千歳空港へ着くと、奈良隆次が、航空会社の出口に1人で待っていてくれた。

 久しぶりと挨拶して、一緒に昼食を食べようと言われ、空港内のレストランに入った。今年の1月から人工透析が、週3回に増えたと悲しそうに言った。そのため、奈良は、札幌市内のお得意さんの車の買い換えの仕事をしていると語り、新規開拓はできなくなったと語った。

 攻めの営業ができなくて、面白くないとこぼしていた。数年前まで札幌のトップ・セールスだったので落ち込んだようだ。

「でも、お前の能力をかって、火木土3日の仕事で、通常通りの給料とボーナスを出してくれるのだから、よいじゃないかと伊勢が、励ました」
「まー、そう考えるしかないよなと、笑顔がこぼれた」

 その点、お前は、バリバリ働けて,うらやましいと奈良が、伊勢に伝えた。まー、今のところなと、話すと、何しろ、健康第一だから、体だけは,大事にしろよなと、伊勢に、忠告した。

 わかったと言い、食後、奈良の車で、支笏湖へ向かい、丸山遠見望楼へ着いた。その木造の塔の一番上に登って、紋別岳、恵庭岳を一望して、多くの写真を撮った。そこから北上して支笏湖の反対側へ行き、オコタンペ湖展望台からの支笏湖を一望できた。

 緑色がかった青色の湖面の色は、神秘的である。そのご、展望台を降りて、散策してから、再び出発して、次ぎ、アシリベツの滝、不老の滝、白帆の滝と滝の公園を少し散歩。その後、札幌の市街地に入り、今日泊まるホテルまで送ってくれた。

 その晩、19時に、サッポロビール園で、奈良が、看護婦をしてる奥さんを連れてくるから一緒に、ジンギスカン料理を肴に、サッポロ生ビールを飲もうと言うので、現地で待ち合わせることになった。

 ホテルは大通公園の近くで、チェックインして、少し仮眠し、18時半に起きて、タクシーでサッポロビール園に向かった。到着すると、奈良が、こっちだと手を上げて呼んでくれた。

 そして、奈良が、これが女房の雅恵で、同じ年、開業医で看護婦をしてると紹介し、道産子だから酒は、強いと笑いながら言った。伊勢と奥さんも自己紹介をして、生ビールが、運ばれ、まず、乾杯、やがて、ジンギスカンを焼き始めて、話が始まった。

 雅恵さんが、この人、道産子じゃんないのよと言い、祖父が、越前、福井県の商人、つまり,北前船の商人で、ここの3代目であるが、昔、羽振りが良かったみたいよと語った。アルコールが入り、奈良が、だから、俺は、日本大学に入学させてもらったと説明した。

 もう少し頑張れば、東京都立大か千葉大に入学できたのだが、間違いなく東京へいくためm確実な日大に入ったと言うと、奥さんが、この人、負け惜しみが人一倍強いのよ言うと、伊勢が、充分,知ってると言い大笑いした。

 伊勢さんはと、雅恵さんが、伊勢に聞くと、伊勢が、私は、工業専門学校機械科を卒業して、ある機械メーカーの技術部門にいたが、あまり給料が、上がらず、将来性もないと思い、将来性のあるT自動車に転職したと打ち明けた。

 へー技術屋さんが、営業をしてるのですかと、驚いていた。伊勢が、私は、昔から人に説明するのが、好きな方で、営業に回されたと答え、会社の上司が決めたと明かした。

 伊勢の奥さんの克美さんは、何をなさっているのと聞くと、東京の外れの農機具の商店で、最近車の新車、中古車も取り扱うようになった店の娘だと,告げた。なる程といい、東京にも田舎があるのですかと言った。

 志村けんの「東村山音頭」で有名なった東村山の出身と答えた。西武新宿線が通っていますと言い、新宿まで、西武特急で30分、通勤快速45分と言うと、そんなに近いのですかと驚いていた。そんな話をして21時、お別れして,ホテルに戻り床についた。

 翌日は、伊勢と奥さんは、列車に乗って、小樽に行き、小樽運河沿いを散歩し、多くの名所、旧跡を巡り、写真を撮った。その後、小樽水族館へ行き、イルカのショーをみたり、イルカを眺め、特にアゴヒゲアザラシは、老人の様で実に可愛い。
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