第10話:金ETF投資、父が老人ホームへと後輩の死

文字数 1,704文字

 伊勢知親は、SPDRゴールド・シェアと言う投資商品を証券会社の担当者から紹介を受けた。この投資商品は、投資家金市場に参入するために、相対的にコスト効率が良く、より確かで、新しい手段を提供。

 これまでは、金投資の参入障壁には、購入方法、保管、保険の諸問題が、あった。さらに一部の年金基金や投資信託が金などの現物商品やデリバティブを保有できないという問題もあった。その問題を解決すべく開発された投資商品。

 それまであった市場へのアクセス、保管、売買コストの問題を解決するために設計された投資商品で、経費率は、年率0.4%と非常に小さい。この商品は、証券取引所で有価証券として売買が出来る上、現物受渡しの煩わしさもない信託契約の受益証券である。

 また、信託資産全体の一部を分割出来ない形で、所有する権利を保有。信託される資産は、主に金地金と、時に応じ現金に限られる。これに興味を持ち投資する気になった。この頃、伊勢知親の両親は、実家の離れに住んでいた。

 しかし、父の伊勢重義が、最近は、足が不自由になり、近くの老人ホームに、奥さんの伊勢茂子さんと一緒に入居すると言い出し、伊勢知親が、両親を車で、15分の老人ホームに送っていった。

 2008年10月27日、早朝、証券会社の担当者からSPDRゴールド・シェアの気配値が6720円で安いので買いと指示され,同意し、2600株、成り行き買い指示し1750万円購入でき、残金が250万円となった。

 この話を知った伊勢昭二は、父の投資の選択に対して素晴らしいと賞賛した。2009年、伊勢昭二は、M商事の入社を検討するために春休みにM商事の研修を受けた、そして、率直に入社を検討していると伝えて3週間の研修をこなした。

 それを終えると父に企業の業績や規模では、M商事が、第一候補だと話した。それに対して、自分に合った会社を選んだ方が良いと助言された。その後、夏休み、M物産の入社を検討するため研修に参加することにして応募した。

 そして、車内の雰囲気は、この会社の方が自分に合っている感じが、したので、再度、父に相談すると、自分に合っている会社の方が、頑張れるのものだと、父の伊勢知親が、自分の社会人時代の思い出を語った。

 それを聞いて、M物産の採用試験を受けると告げた。その後、研修を受けた2ケ月後、M物産からの内定通知が届いた。やがて2010年を迎えた。そして4月から、伊勢昭二が、M物産に入社して、社内研修を開始した。

 その後、本社の総務で、仕事をして英語の研修を受けアメリカ出張へ出られると語った。2010年1月19日、日本航空が、会社更生法の適用を東京地裁に申請、経営破綻した。負債額は約2兆3千億円と事業会社では過去最大。

 京セラ創業者の稲盛和夫氏を会長に迎え、政府が出資する企業再生支援機構の下で再建を目指し事業規模を縮小させる政策をとった。そのため、内外45路線からの撤退やグループで約1万6千人の人員削減など抜本改革に着手。

 パイロットや客室乗務員の退職数は目標に届かず、最大200人を整理解雇する。更生計画は債権放棄に応じた銀行団などの合意を得て11月末に確定。支援機構は公的資金3500億円を出資した。

 2010年2月2日、以前、勤めていた。自動車会社で、東北に転勤していた時、一緒に働いていた4歳年下のF君が、亡くなったと通知が届いた。
そこで、会社時代の同期の松波君に電話し詳細と聞いた。

 それによると、F君は、ゴルフが上手でお客さんに好かれて業績も良く、伊勢が、退職して3年後、その営業所の所長になった。しかし、会社の方針として最近若手の抜擢という事があり40歳になると所長定年と呼ばれて若手に交代するようになった。

 そのため、F君は、単身赴任で東京営業所の部下なし課長に横滑りしたそうだった。彼は、もともと、山梨出身で、実家が事業をしていて中学から日大に入り、上品で、憎めない性格の持ち主であった。

 そのため伊勢の様に、上司に反発することは、ほとんどなかった。それが裏目に出て、都会の1人暮らしで、ストレスが溜まっていると、こぼしていたようだった。
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