第7話:災害と沖縄桜見物と子供の将来

文字数 1,676文字

 これからもお元気でと言ってくれ、もし相談事が、あれば、連絡して下さいねと言うと、その時には、宜しくお願いしますと言い、葬儀会館を後にした。夕方、東京に着くと、急に疲れが出て、風呂に入ると、すぐに床について寝入ってしまった。

 翌、2004年12月1日は、9時すぐまで寝て、太陽が上がると、この家で、一番、陽の当たる2回の書斎に入り、インターネットで,持ち株の価格を確認して、経済の本屋、株の本を読んで、勉強を続けた

 その後、2004年12月26日「日本時間9時58分」、インドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1のスマトラ沖地震が起こった。

 この地震による揺れは、スマトラ島、バンダ・アチェ付近で震度5強だったが、直後にインド洋を大津波「波高2~10メートル」が襲った。津波はインドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、スリランカ、インド、モルディブ、ソマリア、ケニアなどに押し寄せた。

 この津波により死者が、約22万人、行方不明者7万7千人、負傷者13万人という大惨事に発展した。この災害で、欧米、日本人観光客も大勢が、死亡した。やがて2005年を迎えた。2005年は、2月7日から、伊勢夫妻は、沖縄に避寒旅行に出かけた。

 2月8日の朝、レンタカーを借りて沖縄本島中部の本部町と名護市にかかって連なる八重岳に出かけた。ここの桜は、台湾原産のカンヒザクラ「寒緋桜」と呼ばれる種類。沖縄では、ヒカンザクラ「緋寒桜」とも呼ばれている。

 八重岳は、標高453メートルで、沖縄本島で2番目に高い標高の山。頂上に続く道沿いに約7千本のカンヒザクラが植えられていてドライブしながら花見という感じ。暖かい車内で桜を見ている人が多く、10台以上の小型車が停車している。

 その後、名護市のもう1つの桜の名所「名護中央公園」。約2キロの遊歩道にカンヒザクラが並び、エメラルドグリーンに輝く東シナ海と鮮やかなピンク色の花びらとのコントラストが楽しめた。

 南部の桜スポットとして名高い与儀公園にも行ったが、2月中旬から下旬が見頃で、まだ、つぼみが、多かった。そうして、那覇に帰ってきて、夕食を食べて、ホテルに入り、床についた。翌日は、お決まりの首里城見学と、牧志公設市場見学をしてきた。

 首里城の城壁からの景色は素晴らしい。首里城も、そのデザインと、紅色には、驚かされた。その晩、那覇のステーキ屋でオリオンビールを飲みながら旨いステーキを食べた3日目、2月10日は、レンタカーで、泊港を見学してから、那覇空港へ行き、東京に帰ってきた。

 その後、少しずつ暖かくなり春を迎えた。そんな4月25日朝、JR福知山線塚口~尼崎間で、通勤・通学客らを乗せた上り快速電車が脱線。107人が死亡、555人が負傷し、JR史上最悪の惨事となった。

 世界では、相変わらず、英国やエジプトなど世界各地で同時爆弾テロが相次ぎ、多数の犠牲者が出た。いずれも手口から、テロ組織アルカイダや同組織と関係のあるイスラム過激派の犯行とみられる。

 ロンドンでは7月7日、地下鉄と2階建てバスを標的とした4件の爆弾テロで56人が死亡。8月末、アメリカでは、超大型ハリケーン「カトリーナ」がニューオーリンズなど米南部を襲った。

 ジャズの街ニューオーリンズは堤防の決壊で水没、死者は1300人超と、1928年以来最悪の被害となった。被災者救済の遅れは、イラク戦争の泥沼化とこの台風被害でブッシュ政権の支持率低迷した。

 英国では主要国首脳会議「サミット」が開かれており、議長役のブレア首相は急きょロンドンに戻った。エジプトでは同23日、ホテルなどで爆弾テロが起き、88人が死亡。バリ島でも10月1日、レストランなど3カ所で、爆発が発生し日本人1人を含む20人余が命を落とした。

 この頃、次男の伊勢昭二は、都立国立高校でもトップクラスの成績で、国立高校の近くの一橋大学経済学部を受験することを決めた。兄の伊勢和人は、東京農工大で、生命工学を専攻して、医薬品企業の研究所を目指すと両親に話した。
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