ルゥナ外伝 第7話
文字数 2,318文字
翌日、ナミキから連絡が入った。昼下がりに路面電車の駅で待ち合わせた。ナミキの奥ゆかしい所作に少し慣れはじめた。その日、彼女が出会ってから同じ服装をしているのに気付いた。何か拘りがあるのだろうかと、僕は余計な詮索をしてしまった。
二つの短いトンネルの間にあるその駅は、降りた記憶がなかった。線路の山手には、神社仏閣が幾つも点在していた。海に緩やかに下る民家が立ち並ぶ路地は、迷路のような小径が入り組んでいた。ナミキの後ろを歩きながら方向感覚が狂っていくのが分かった。
『海に向かっているのかな。‥‥潮の匂いがしない。』
僕は、そう思いながら数日続く猛暑の太陽を仰ぎ見た。
長く歩いただろうか。古い家屋が連なる路地の突き当りに連格子の簡素な門はあった。古い木の表札は、名前が色褪せて読めなかった。玄関に入ると、季節が違うかのように冷気が漂っていた。
「‥‥上がって。」
奥から聞こえた若い男の声に僕は驚いた。ナミキは、勝手知った家なのか僕を促して先に上がった。鬱蒼とした庭の広縁に若い男が、黒い羅紗の着物姿で立っていた。女性かと見紛う程に綺麗な顔立ちだった。夏なのに透き通るような白い肌をして、肩まで伸ばした金髪が僕の第一印象を困惑させた。年齢が読めなかった。僕は、ここに来るまで高齢の男性と思い込んでいたのだ。
「‥‥昨日、お話ししました。レイアさんです。」
ナミキが、畏まり紹介した。
「シオンです。」
若者は、綺麗な声で名乗った。僕の初対面の挨拶に軽く会釈を返してから暫く眺めた。
「‥‥最近。誰かと再会しましたか。」
シオンの不意な問いかけに僕は、たじろいだ。直ぐにその意味が理解できなかった。
「その再会は、大切にしなさい。君に会うべくして巡り逢えた人ですからね。」
そう言ってから、一呼吸置いて尋ねた。
「何を見ていたと思いますか。」
僕に、数週間前のルゥナとの会話を想い返させた。
『‥‥似ている。』
僕は、そう思った。
静かな沈黙の中で、地中から琴のような微かな音色が耳に届いた。石の蹲の水面が揺れて僕を呼んだように感じた。
「‥‥音でしょうか。」
「なるほど、よく見えている。」
シオンは、感心したように言った。
「蹲の下に水琴窟が拵えています。‥‥さぁ、此方へ。」
和室の奥の間に絨毯が敷かれて古い時代の円卓と椅子が置かれていた。
「君には、少し冷房が効きすぎているでしょう。暑いのが苦手なので。」
僕の持参したロールケーキをシオンは、ナミキに預け台所に下がらせた。
「良い娘でしょう。」
僕は、返事に困った。親類なのかと邪推した。
「君を見て解った。あの娘が、気にするはずだ。彼女は、面白い星を持っているだよ。男の運を上げる。」
僕は、いよいよ言葉に迷ってしまった。僕の困惑を見透かしたようにシオンは、笑みを浮かべて話を変えた。
「何か、聴きたいことがあるとか。」
僕は、集落の謂れを尋ねた。ルゥナのことを隠したままに。シオンの説明は、平家の落人伝説に始まった。
「郷土史では、平家の落人が住み着いたとされているんだけどね。あの土地は、万葉の昔から暮らす一族がいた。その土地に、落ち延びた平家の貴人が匿われたという口伝から【平家の隠れ里】と呼ばれている。」
シオンの説明は、自分で見たかのような説得力があった。
「今でも、人が住んでいるのでしょうか。」
「七軒。本家と分家を入れて。これは、神代の時代から変わらない。」
「若い方は、いらっしゃるのですか。」
「いるよ。その家々の跡取りが残って家族を持っている。兄弟姉妹は、集落を離れて全国に散らばっているけどね。」
僕は、迷っていた。ルゥナのことを持ち出そうかと。シオンが僕の困惑を助けるように尋ねた。
「それより、レイア君は、どうして興味を持ったの。」
僕は、覚悟を決めて正直に打ち明けた。数週間前のルゥナとの出会いと、幼い頃の思い出から繋がる数日前の出来事を語った。
「俄かには、信じてもらえない話なのですが。」
「そういうことか。」
シオンは、納得していた。
「それにしても、ルゥナと名乗ったとはね。あの娘ならば許されるか。」
少し後になって、ルゥナの名が、古に伝説を残したある女性の特別な忌み名であるのを知った。ルゥナが名乗った理由が分かり僕は、納得して受け入れた。
「不思議と。あの界隈では、誰もがあの集落の存在を忘れている。何故だと思う。」
「‥‥そうですね。」
僕は、慎重に考えてから答えた。
「もしかして、誰も寄り付かないようにしている。隠れ里のようにですか。」
「面白いね、君は。」
シオンは、優しく笑みを浮かべて言った。
「そう言うことだ。君は選ばれたと自慢すればいい。」
「それは、どういうことでしょうか。」
「そういうこと。」
シオンの謎懸けのような言葉に僕は、返す言葉を失った。僕の疑惑が深まっていくのを待つかのような間を置いてシオンは、言った。
「本家の娘に魅入られたか。」
シオンの意味ありげな言葉が、僕を当惑させた。
「怖いよ。あの娘は。」
僕は、真意が理解できなかったもののルゥナが夢の中で見せた禍々しい仕打ちを想いだした。
「あの家系は、不思議な力を持つ女子が多く出るんだよ。占いが出来たり、お祓いが出来たり。中には、稀にだけど、鬼のような類を使役できるのもいるよ。」
僕は、物語のような不思議な話を聴きながら、ふと思い浮かび尋ねた。
「‥‥失礼ですが。シオンさんは、あそこの出なのでしょうか。」
二つの短いトンネルの間にあるその駅は、降りた記憶がなかった。線路の山手には、神社仏閣が幾つも点在していた。海に緩やかに下る民家が立ち並ぶ路地は、迷路のような小径が入り組んでいた。ナミキの後ろを歩きながら方向感覚が狂っていくのが分かった。
『海に向かっているのかな。‥‥潮の匂いがしない。』
僕は、そう思いながら数日続く猛暑の太陽を仰ぎ見た。
長く歩いただろうか。古い家屋が連なる路地の突き当りに連格子の簡素な門はあった。古い木の表札は、名前が色褪せて読めなかった。玄関に入ると、季節が違うかのように冷気が漂っていた。
「‥‥上がって。」
奥から聞こえた若い男の声に僕は驚いた。ナミキは、勝手知った家なのか僕を促して先に上がった。鬱蒼とした庭の広縁に若い男が、黒い羅紗の着物姿で立っていた。女性かと見紛う程に綺麗な顔立ちだった。夏なのに透き通るような白い肌をして、肩まで伸ばした金髪が僕の第一印象を困惑させた。年齢が読めなかった。僕は、ここに来るまで高齢の男性と思い込んでいたのだ。
「‥‥昨日、お話ししました。レイアさんです。」
ナミキが、畏まり紹介した。
「シオンです。」
若者は、綺麗な声で名乗った。僕の初対面の挨拶に軽く会釈を返してから暫く眺めた。
「‥‥最近。誰かと再会しましたか。」
シオンの不意な問いかけに僕は、たじろいだ。直ぐにその意味が理解できなかった。
「その再会は、大切にしなさい。君に会うべくして巡り逢えた人ですからね。」
そう言ってから、一呼吸置いて尋ねた。
「何を見ていたと思いますか。」
僕に、数週間前のルゥナとの会話を想い返させた。
『‥‥似ている。』
僕は、そう思った。
静かな沈黙の中で、地中から琴のような微かな音色が耳に届いた。石の蹲の水面が揺れて僕を呼んだように感じた。
「‥‥音でしょうか。」
「なるほど、よく見えている。」
シオンは、感心したように言った。
「蹲の下に水琴窟が拵えています。‥‥さぁ、此方へ。」
和室の奥の間に絨毯が敷かれて古い時代の円卓と椅子が置かれていた。
「君には、少し冷房が効きすぎているでしょう。暑いのが苦手なので。」
僕の持参したロールケーキをシオンは、ナミキに預け台所に下がらせた。
「良い娘でしょう。」
僕は、返事に困った。親類なのかと邪推した。
「君を見て解った。あの娘が、気にするはずだ。彼女は、面白い星を持っているだよ。男の運を上げる。」
僕は、いよいよ言葉に迷ってしまった。僕の困惑を見透かしたようにシオンは、笑みを浮かべて話を変えた。
「何か、聴きたいことがあるとか。」
僕は、集落の謂れを尋ねた。ルゥナのことを隠したままに。シオンの説明は、平家の落人伝説に始まった。
「郷土史では、平家の落人が住み着いたとされているんだけどね。あの土地は、万葉の昔から暮らす一族がいた。その土地に、落ち延びた平家の貴人が匿われたという口伝から【平家の隠れ里】と呼ばれている。」
シオンの説明は、自分で見たかのような説得力があった。
「今でも、人が住んでいるのでしょうか。」
「七軒。本家と分家を入れて。これは、神代の時代から変わらない。」
「若い方は、いらっしゃるのですか。」
「いるよ。その家々の跡取りが残って家族を持っている。兄弟姉妹は、集落を離れて全国に散らばっているけどね。」
僕は、迷っていた。ルゥナのことを持ち出そうかと。シオンが僕の困惑を助けるように尋ねた。
「それより、レイア君は、どうして興味を持ったの。」
僕は、覚悟を決めて正直に打ち明けた。数週間前のルゥナとの出会いと、幼い頃の思い出から繋がる数日前の出来事を語った。
「俄かには、信じてもらえない話なのですが。」
「そういうことか。」
シオンは、納得していた。
「それにしても、ルゥナと名乗ったとはね。あの娘ならば許されるか。」
少し後になって、ルゥナの名が、古に伝説を残したある女性の特別な忌み名であるのを知った。ルゥナが名乗った理由が分かり僕は、納得して受け入れた。
「不思議と。あの界隈では、誰もがあの集落の存在を忘れている。何故だと思う。」
「‥‥そうですね。」
僕は、慎重に考えてから答えた。
「もしかして、誰も寄り付かないようにしている。隠れ里のようにですか。」
「面白いね、君は。」
シオンは、優しく笑みを浮かべて言った。
「そう言うことだ。君は選ばれたと自慢すればいい。」
「それは、どういうことでしょうか。」
「そういうこと。」
シオンの謎懸けのような言葉に僕は、返す言葉を失った。僕の疑惑が深まっていくのを待つかのような間を置いてシオンは、言った。
「本家の娘に魅入られたか。」
シオンの意味ありげな言葉が、僕を当惑させた。
「怖いよ。あの娘は。」
僕は、真意が理解できなかったもののルゥナが夢の中で見せた禍々しい仕打ちを想いだした。
「あの家系は、不思議な力を持つ女子が多く出るんだよ。占いが出来たり、お祓いが出来たり。中には、稀にだけど、鬼のような類を使役できるのもいるよ。」
僕は、物語のような不思議な話を聴きながら、ふと思い浮かび尋ねた。
「‥‥失礼ですが。シオンさんは、あそこの出なのでしょうか。」