ルゥナ外伝 第5話
文字数 2,180文字
僕は、三叉路の真ん中で自転車から転倒して気を失っていた。真夜中を過ぎた丑三つ刻のことだった。偶然にも警邏中のパトカーが発見して救急車で搬送された。
意識を取り戻したのは、三日後だった。家族の心配する顔に、最初状況が掴めずにいた。僕のススキ原での長い夢は、あまりにも生々しかった。誰にも言えない重く甘い旅路の夢だった。
検査に異常もなく翌日に退院できた。それでも、数日の自宅養生が言い渡された。家に戻れた日、アキハがタカシを連れて見舞いに訪れた。
「轢かれなかった幸運もの。」
アキハは、揶揄った。
「普通は、死んでるね。」
「病人を労われよ。」
「元気じゃないの。」
こういう時のアキハは、優しいのか冷たいのか分からなかった。
「そういえば、幼稚園の頃も長い昏睡状態があったよね。あの時は、確か、一週間だったかしら。」
僕は、思いだすことが出来た。朧げな幼い記憶に残る、ススキの生え茂った原に建つ庵で過ごした日々を。
『‥‥今になって、鮮明に甦っている。夢ではなかったのか。』
僕は、あの出来事を夢と思い込んでいた。誰にも言えずに不思議な夢として、幼い記憶の淵に沈めていたのだ。
『‥‥どうして、記憶の奥底に仕舞い込んでいたんだ。』
ルゥナとの再会に助けられた思いがした。もしも、ルゥナと巡り合っていなければ、不可解な記憶として一生引き摺っていただろう。
ルゥナの膝枕で僕は、夢の中で深く長い夢を見ていた。幼い姿のまま若い娘に連れられて彷徨い廻る世界は、果てしも無く広った。その夢は、僕が知る現実の世界と少しも変わらなかった。
うたた寝から覚めると、澄み渡った夜空に蒼白い月が頭上高くに上っていた。月明かりが拡がるカルスト台地のススキ原に林立する石灰岩は、人の姿に似ていた。小さな庵は、小舟のようにも思えた。
──もぅ、宜しいのですか。
ルゥナが、覗き込み静かに言った。僕の額に優しく手を置いた。
──寝言、聴きましたよ。
──‥‥貴女と、長い旅に出ていました。
──そぅ、楽しかったかしら。
──‥‥戦いでした。
──まぁ、素敵ね。
──‥‥大変でした。
──お誘いすれば、次もご一緒していただけるかしら。
──‥‥僕を供物にしたでしょう。
──あら、怒っていらっしゃるの。
──‥‥分かりません。
──正直な御方。是非にもお誘いしたいわ。
──‥‥足手まといですよ。
──そうかしら、貴男は、使えました。
僕は、その意味が理解できた。
──私を信じてくれましたでしょう。素敵でした。
夢現の旅は、あの地に至る始まりだったのだろう。
僕は、身を起こした。濡れ縁に腰を掛けてルゥナを改めて眺めた。
──そろそろ、お帰りになりますか。
ルゥナは、促した。
──幼い頃なら、七日でも大丈夫なのですが。大人になると、数日も厳しいのですよ。レイアさんは、もう少し頑張れそうですが。
そのルゥナの言葉の真意が分かった。
──‥‥戻れなくなるのでしたか。
──憑依されたくないでしょう。
ルゥナは、言った。
──幼子は、祓いやすいのですが。大人になると、大変なのですよ。
──‥‥そうなのですか。
──いずれ気付かれますよ。私といれば‥‥。
「‥‥ねぇ、ねぇってば。」
アキハの心配そうな声に僕は、我に返った。
「‥‥驚かさないでよ。魂が抜けていたんじゃない。」
「えっ‥‥、そう見えたか。」
僕の惚けた演技がアキハを呆れさせ、タカシに顔を顰めさせた。
「見えました。」
幼稚園の頃、見舞いに駆けつけた時の僕の印象をアキハは、語った。
「あの時と、同じよ。幸せそうな顔をして惚けていたもの。」
「たぶん、病院に綺麗な看護師さんが居たからかな。思い出していた。」
「死ね。一生死んでなさい。」
アキハは、本気で叱った。
「心配させて、どうするの。許さないわよ。今度、なにか奢ってよ。」
「ゴメン。」
タカシが、声も出さず溜息をついた。
「私達に相談しなさいよ。タカシも力になれる。」
「そうだな。そのうちに。」
「君ね。何か隠しているでしょう。」
アキハは、女の勘で迫った。
「白状して、楽になりなさい。」
「いゃ、記憶にない。」
「今なら許すし、助けてあげる。」
「だから、そうじゃないよ。」
「ははん‥‥、女ね。年上。」
僕は、思わず視線を逸らせた。アキハが冷たく窘めた。
「彼女にどう言い訳するのよ。」
「えっ、誰のことだよ。」
「ナミキちゃんを泣かせるの。」
「関係ないだろう。」
「関係あるよ。」
アキハは、引き下がらなかった。
「だいたいね。君が昏睡から覚めた後は、必ずそんな顔をする。」
「記憶にないって。二度目だし。」
「何言っているの。」
アキハの目が僕の記憶の錯綜を指摘していた。僕は、恐る恐る尋ねた。
「‥‥僕って、これまでも昏睡状態があったのか。」
「知らぬは、自分ばかりなり、ね。」
最近まで短い昏睡状態が何度も繰り返していたのを教えられた。僕は、記憶になかった。昼寝のような感覚で昏睡していたのだ。
病み上がりの僕の気持ちを忖度もせずに二人は、真夜中近くまで居座った。
意識を取り戻したのは、三日後だった。家族の心配する顔に、最初状況が掴めずにいた。僕のススキ原での長い夢は、あまりにも生々しかった。誰にも言えない重く甘い旅路の夢だった。
検査に異常もなく翌日に退院できた。それでも、数日の自宅養生が言い渡された。家に戻れた日、アキハがタカシを連れて見舞いに訪れた。
「轢かれなかった幸運もの。」
アキハは、揶揄った。
「普通は、死んでるね。」
「病人を労われよ。」
「元気じゃないの。」
こういう時のアキハは、優しいのか冷たいのか分からなかった。
「そういえば、幼稚園の頃も長い昏睡状態があったよね。あの時は、確か、一週間だったかしら。」
僕は、思いだすことが出来た。朧げな幼い記憶に残る、ススキの生え茂った原に建つ庵で過ごした日々を。
『‥‥今になって、鮮明に甦っている。夢ではなかったのか。』
僕は、あの出来事を夢と思い込んでいた。誰にも言えずに不思議な夢として、幼い記憶の淵に沈めていたのだ。
『‥‥どうして、記憶の奥底に仕舞い込んでいたんだ。』
ルゥナとの再会に助けられた思いがした。もしも、ルゥナと巡り合っていなければ、不可解な記憶として一生引き摺っていただろう。
ルゥナの膝枕で僕は、夢の中で深く長い夢を見ていた。幼い姿のまま若い娘に連れられて彷徨い廻る世界は、果てしも無く広った。その夢は、僕が知る現実の世界と少しも変わらなかった。
うたた寝から覚めると、澄み渡った夜空に蒼白い月が頭上高くに上っていた。月明かりが拡がるカルスト台地のススキ原に林立する石灰岩は、人の姿に似ていた。小さな庵は、小舟のようにも思えた。
──もぅ、宜しいのですか。
ルゥナが、覗き込み静かに言った。僕の額に優しく手を置いた。
──寝言、聴きましたよ。
──‥‥貴女と、長い旅に出ていました。
──そぅ、楽しかったかしら。
──‥‥戦いでした。
──まぁ、素敵ね。
──‥‥大変でした。
──お誘いすれば、次もご一緒していただけるかしら。
──‥‥僕を供物にしたでしょう。
──あら、怒っていらっしゃるの。
──‥‥分かりません。
──正直な御方。是非にもお誘いしたいわ。
──‥‥足手まといですよ。
──そうかしら、貴男は、使えました。
僕は、その意味が理解できた。
──私を信じてくれましたでしょう。素敵でした。
夢現の旅は、あの地に至る始まりだったのだろう。
僕は、身を起こした。濡れ縁に腰を掛けてルゥナを改めて眺めた。
──そろそろ、お帰りになりますか。
ルゥナは、促した。
──幼い頃なら、七日でも大丈夫なのですが。大人になると、数日も厳しいのですよ。レイアさんは、もう少し頑張れそうですが。
そのルゥナの言葉の真意が分かった。
──‥‥戻れなくなるのでしたか。
──憑依されたくないでしょう。
ルゥナは、言った。
──幼子は、祓いやすいのですが。大人になると、大変なのですよ。
──‥‥そうなのですか。
──いずれ気付かれますよ。私といれば‥‥。
「‥‥ねぇ、ねぇってば。」
アキハの心配そうな声に僕は、我に返った。
「‥‥驚かさないでよ。魂が抜けていたんじゃない。」
「えっ‥‥、そう見えたか。」
僕の惚けた演技がアキハを呆れさせ、タカシに顔を顰めさせた。
「見えました。」
幼稚園の頃、見舞いに駆けつけた時の僕の印象をアキハは、語った。
「あの時と、同じよ。幸せそうな顔をして惚けていたもの。」
「たぶん、病院に綺麗な看護師さんが居たからかな。思い出していた。」
「死ね。一生死んでなさい。」
アキハは、本気で叱った。
「心配させて、どうするの。許さないわよ。今度、なにか奢ってよ。」
「ゴメン。」
タカシが、声も出さず溜息をついた。
「私達に相談しなさいよ。タカシも力になれる。」
「そうだな。そのうちに。」
「君ね。何か隠しているでしょう。」
アキハは、女の勘で迫った。
「白状して、楽になりなさい。」
「いゃ、記憶にない。」
「今なら許すし、助けてあげる。」
「だから、そうじゃないよ。」
「ははん‥‥、女ね。年上。」
僕は、思わず視線を逸らせた。アキハが冷たく窘めた。
「彼女にどう言い訳するのよ。」
「えっ、誰のことだよ。」
「ナミキちゃんを泣かせるの。」
「関係ないだろう。」
「関係あるよ。」
アキハは、引き下がらなかった。
「だいたいね。君が昏睡から覚めた後は、必ずそんな顔をする。」
「記憶にないって。二度目だし。」
「何言っているの。」
アキハの目が僕の記憶の錯綜を指摘していた。僕は、恐る恐る尋ねた。
「‥‥僕って、これまでも昏睡状態があったのか。」
「知らぬは、自分ばかりなり、ね。」
最近まで短い昏睡状態が何度も繰り返していたのを教えられた。僕は、記憶になかった。昼寝のような感覚で昏睡していたのだ。
病み上がりの僕の気持ちを忖度もせずに二人は、真夜中近くまで居座った。