ルゥナ外伝 第20話
文字数 2,114文字
湯に入るまで誰も気付かなかった。広い露天風呂の奥で男が寛いでいた。忽然と現れたような男を真っ先に見つけたのは僕だった。警戒しなくてもいいようにも思えたが、タカシと二人の女子を庇った。何か得体のしれない不可解な雰囲気を感じたからだろうか。
湯煙の向こうから先に話しかけてきたのは、少しばかり外国訛りのある男だった。
「今晩は。素晴らしいお湯ですね。」
僕らは挨拶を返した。離れた男の表情が湯煙で朧げに浮かび僕を理由もなく不安にさせた。男の第一印象は、外国からの旅行者に思えた。短髪に色白の面長の顔は特徴がなく、後になって考えてみても想い返せない程に稀薄だった。僕は、警戒しながら丁寧に言葉を向けた。
「‥‥ご旅行ですか。」
「旅行とは、好いものです。」
年下に向かっての敬語は、僕をより困惑させた。三十歳半ばを過ぎているように見えた。
「行く先々で新たな発見があります。そうは、思いませんか。」
「僕は、まだあまり旅行に出かけていないので。」
「なるほど。体験を基に考えるのも自然なことです。」
「どちらのお国からいらしましたか。」
「どこだと思いますか。」
「‥‥香港ですか。」
僕は、少し迷いながら思い付きを言葉にした。
「大陸的な感じを受けました。」
「どうして、そう思われましたか。」
「ただ、なんとなくですが。」
「物事の見方には、必ず理由が伴います。」
男の理屈っぽさに距離を置いた。
「君は、何かを見られたのでしょうね。」
「いえ、ただ何となく。直感ですが。」
「おおぉ、直感。素晴らしい。人が秘める力の一つですが。しかし、儚くも不確かなものです。数理的に弱いものです。」
僕は、脈絡もなく男の私生活を想い描こうとしたが、不思議に想像できなかった。
「申し遅れました。ワン・チェンと申します。」
僕らも自己紹介をした。
「高校生ですか。昔、教壇に立ったことがあります。もう、ずいぶんと昔のことですが。」
そう自己紹介されればワンは、先生のようにも見えた。教科を推察して教壇に立つ姿を想像した。僕の対応を注意深く観察していたのだろう。アキハが、湯の中で僕のお尻を蹴った。後になってアキハは、僕に忠告した。見知らぬ初対面の人物に引き込まれていたと。僕は、その意識がなかった。
突然、湯が波打ち男の傍で人影が浮かび上がった。僕らは、驚きすぎて声も上げられなかった。色白の少女の姿に僕は、たじろいだ。僕らの中でその少女の評価が大きく分かれ食い違っていたのだ。アキハは、同じ年頃と思い、ナミキは、男の愛人と勘繰った。タカシは、少年と信じたのだ。僕は、小生意気な十三歳ぐらいの少女にしか見えなかった。
「‥‥はぁ、好い湯じゃ。」
少女の声は、穏やかで大人びていた。
「今宵は、にぎやかじゃのぅ。赤い月の夜が、始まるからか。‥‥お前、面白いものを身に付けておるが。」
僕は、首に掛けた勾玉のことばかり思った。少女が湯の中を泳ぎ近付くと、僕に引っ付かんばかりに顔を寄せた。僕は、少女の大きな瞳が青いのに気付いた。
「‥‥ほぅ、誰と契約しておる。」
『こいつなんだ‥‥。』
僕は心の中で疑念を浮かべたものの、少女の奔放さに言葉を返せなかった。
「使いには、見えぬが。面白い。儂は、リアンじゃ。こう見えて長く生きとておる。」
リアンの息が、懐かしい花の匂いがした。
「お前は、いったい何者じゃ。」
「‥‥フツーの高校生だけど。お嬢ちゃんこそ、なにものなの。」
「これだから、今どきの若い者は。知識も礼儀もないのぅ。」
リアンの瞳が怪しく光り、冷たい笑みを浮かべた。
「儂を知らぬとは、田舎者よ。」
「リアン、控えなさい。」
男が、横から静かに窘めた。
「そうじゃのぅ。少しはしゃぎ過ぎた。久々じゃからな。しかし、このようなものを見せられては、気持ちも騒ぐというものじゃ。」
「いいかげんにしないか。若者が困っているだろう。」
男の言葉が、少し強く命じた。リアンは、素直に身を引いた。
「了解じゃ。儂は、これでも物分かりがよい。」
「ドローは、どうした。」
「さぁて、どこかで迷っておるのかのぅ。奴は、直ぐに寄り道をしよる。それに、儂は、奴の守り人でないぞ。」
「まったく、お前らは、困らせる。」
ワンの言葉にリアンは、気にする様子も見せず湯の中で背面に浮いた。ワンが、注意した。
「この地では湯船で泳ぐなと、説明したであろう。」
「浮いておるのじゃ。泳いではおらん。」
「このものの無礼はご容赦を。私の躾が行き届きません。」
ワンは、僕らに詫びた。リアンが呆れた声を出した。
「主様が謝る必要もなかろうに。このような人間どもに。」
僕は、改めて二人の関係を探った。邪推したくなるのを迷いながら思った。
『親子じゃない。叔父と姪か、違うな‥‥。それにしても、生意気なガキだな。』
「生意気なガキです。」
僕の考えをなぞるようなワンの言葉に驚いた。思考を読まれたような感覚に僕は警戒した。
「此奴は、下僕です。」
「‥‥下僕。」
僕は、現実で聞いたことのない言葉に耳を疑った。ワンが静かに話した。
「言葉どおり、私が使役するものらです。」
湯煙の向こうから先に話しかけてきたのは、少しばかり外国訛りのある男だった。
「今晩は。素晴らしいお湯ですね。」
僕らは挨拶を返した。離れた男の表情が湯煙で朧げに浮かび僕を理由もなく不安にさせた。男の第一印象は、外国からの旅行者に思えた。短髪に色白の面長の顔は特徴がなく、後になって考えてみても想い返せない程に稀薄だった。僕は、警戒しながら丁寧に言葉を向けた。
「‥‥ご旅行ですか。」
「旅行とは、好いものです。」
年下に向かっての敬語は、僕をより困惑させた。三十歳半ばを過ぎているように見えた。
「行く先々で新たな発見があります。そうは、思いませんか。」
「僕は、まだあまり旅行に出かけていないので。」
「なるほど。体験を基に考えるのも自然なことです。」
「どちらのお国からいらしましたか。」
「どこだと思いますか。」
「‥‥香港ですか。」
僕は、少し迷いながら思い付きを言葉にした。
「大陸的な感じを受けました。」
「どうして、そう思われましたか。」
「ただ、なんとなくですが。」
「物事の見方には、必ず理由が伴います。」
男の理屈っぽさに距離を置いた。
「君は、何かを見られたのでしょうね。」
「いえ、ただ何となく。直感ですが。」
「おおぉ、直感。素晴らしい。人が秘める力の一つですが。しかし、儚くも不確かなものです。数理的に弱いものです。」
僕は、脈絡もなく男の私生活を想い描こうとしたが、不思議に想像できなかった。
「申し遅れました。ワン・チェンと申します。」
僕らも自己紹介をした。
「高校生ですか。昔、教壇に立ったことがあります。もう、ずいぶんと昔のことですが。」
そう自己紹介されればワンは、先生のようにも見えた。教科を推察して教壇に立つ姿を想像した。僕の対応を注意深く観察していたのだろう。アキハが、湯の中で僕のお尻を蹴った。後になってアキハは、僕に忠告した。見知らぬ初対面の人物に引き込まれていたと。僕は、その意識がなかった。
突然、湯が波打ち男の傍で人影が浮かび上がった。僕らは、驚きすぎて声も上げられなかった。色白の少女の姿に僕は、たじろいだ。僕らの中でその少女の評価が大きく分かれ食い違っていたのだ。アキハは、同じ年頃と思い、ナミキは、男の愛人と勘繰った。タカシは、少年と信じたのだ。僕は、小生意気な十三歳ぐらいの少女にしか見えなかった。
「‥‥はぁ、好い湯じゃ。」
少女の声は、穏やかで大人びていた。
「今宵は、にぎやかじゃのぅ。赤い月の夜が、始まるからか。‥‥お前、面白いものを身に付けておるが。」
僕は、首に掛けた勾玉のことばかり思った。少女が湯の中を泳ぎ近付くと、僕に引っ付かんばかりに顔を寄せた。僕は、少女の大きな瞳が青いのに気付いた。
「‥‥ほぅ、誰と契約しておる。」
『こいつなんだ‥‥。』
僕は心の中で疑念を浮かべたものの、少女の奔放さに言葉を返せなかった。
「使いには、見えぬが。面白い。儂は、リアンじゃ。こう見えて長く生きとておる。」
リアンの息が、懐かしい花の匂いがした。
「お前は、いったい何者じゃ。」
「‥‥フツーの高校生だけど。お嬢ちゃんこそ、なにものなの。」
「これだから、今どきの若い者は。知識も礼儀もないのぅ。」
リアンの瞳が怪しく光り、冷たい笑みを浮かべた。
「儂を知らぬとは、田舎者よ。」
「リアン、控えなさい。」
男が、横から静かに窘めた。
「そうじゃのぅ。少しはしゃぎ過ぎた。久々じゃからな。しかし、このようなものを見せられては、気持ちも騒ぐというものじゃ。」
「いいかげんにしないか。若者が困っているだろう。」
男の言葉が、少し強く命じた。リアンは、素直に身を引いた。
「了解じゃ。儂は、これでも物分かりがよい。」
「ドローは、どうした。」
「さぁて、どこかで迷っておるのかのぅ。奴は、直ぐに寄り道をしよる。それに、儂は、奴の守り人でないぞ。」
「まったく、お前らは、困らせる。」
ワンの言葉にリアンは、気にする様子も見せず湯の中で背面に浮いた。ワンが、注意した。
「この地では湯船で泳ぐなと、説明したであろう。」
「浮いておるのじゃ。泳いではおらん。」
「このものの無礼はご容赦を。私の躾が行き届きません。」
ワンは、僕らに詫びた。リアンが呆れた声を出した。
「主様が謝る必要もなかろうに。このような人間どもに。」
僕は、改めて二人の関係を探った。邪推したくなるのを迷いながら思った。
『親子じゃない。叔父と姪か、違うな‥‥。それにしても、生意気なガキだな。』
「生意気なガキです。」
僕の考えをなぞるようなワンの言葉に驚いた。思考を読まれたような感覚に僕は警戒した。
「此奴は、下僕です。」
「‥‥下僕。」
僕は、現実で聞いたことのない言葉に耳を疑った。ワンが静かに話した。
「言葉どおり、私が使役するものらです。」