ルゥナ外伝 第9話
文字数 2,335文字
路線バスからパート帰りの母が降りたところだった。僕の姿を見て立ち止まった。
「今、帰りなの。」
「学校に寄ってきた。」
「歩いて。」
「うん。」
僕は、黙って買い物袋を持った。並んで歩きながら何時以来だろうと、ぼんやり考えていた。中学に入り周りの視線が気になり始めてから一緒に出掛ける機会も少なくなった。
「ロールケーキ有難う。喜んでくれた。」
「そぅ、勉強になったの。」
「たぶん。」
「ナミキさんだったかしら。お礼に今度、食事に来てもらうわ。」
「いいって。」
「ダメよ。お母さんが会いたいの。」
「嫌がるよ。」
「そうなの。そんな子なの。」
詳しくは説明していなかったが、郷土史のことで訪問する話をしていた。母の性格なのか、深く尋ねなかった。
「‥‥何時以来かな。こうして歩くの。」
母は、ポツンと言った。
「寂しいものよ。特に息子を持つ母はね。」
「そうなんだ。」
僕は、その母の気持ちを理解する感性はあった。並んで歩く距離が思春期の息子の気恥ずかしさをあらわしていた。
「夕食、美味しいカレーにしようか。」
「うん。」
僕は、内心嬉しかった。
「サラダ作るの手伝うよ。」
何故か、夕食の席にアキハがいた。
母が招いたのだろうか。アキハが押しかけたようにも思えた。その日の学校でのことを考えると、あまり詮索したくなかった。
「凄い。小母さまのカレー、違いますね。」
「おだてないでよ。いい子ね。」
やはり、母とアキハは相性が好かった。
「実はですね。学校でご子息と待ち合わせをしていたのですよ。わたし達二人を、暗くなるまで待ち惚けさせたのです。叱って下さいよぅ。」
「二人とも携帯繋がらなかったし。リヨ達と探したんだぞ。」
「はぁ‥‥、あの壊れ三人組と。」
僕は、裏門の話をして校内を探し回った苦労を伝えた。
「裏門って、行くわけないでしょう。なに担がれてるのよ。」
「なら、着信見ろよ。」
「マジ、怒るな。」
母は、僕らの痴話喧嘩のような会話を笑いを堪えて見ていた。
僕が喫茶店にいた頃、既にナミキは文芸の部室に戻っていのだ。アキハは、僕を揶揄って呼び寄せたのだろう。用意周到の悪巧みをしていたのが窺えた。
夕食の後片付けを終えるとアキハは、囁くように言い残して帰った。
「ナミキちゃん探せなくて可哀そう。ちゃんと謝りなさいよ。」
自室で、ナミキに御礼の連絡を入れた。シオンとの話を台所で聴いていただろう。会話の中で少し悲し気な感覚がナミキから伝わってきた。短い話の最後に母の言を伝えた。
「今度、都合のいい日を教えてよ。今日の御礼に母が食事に招待したいって。」
ナミキの声の表情が明るくなった。
「‥‥有り難う御座います。わたしは、何時でも大丈夫ですと、お伝えください。」
夜遅くまで、僕は思案を続けた。考えが纏まらないままに翌日、平家の隠れ里と呼ばれる集落に向かった。
三叉路からの旧道は、予想するより距離があった。祠の前を通り過ぎ長く進むと、雑木林が茂る道の先に、盆地のような田畑が広がっていた。大きな構えの家屋が点在しているのが数えられた。奥に門構えの大きな屋敷があった。どこにでもある田舎の原風景に、安堵している僕がいた。
暫く、集落の入口で立ち止まり全体を眺めた。ふと、人の気配のない不思議な感覚に囚われた。稲の穂が出始める水田の道を巡ったが、誰にも会わなかった。奥の塀に囲まれた屋敷の傍らに、鳥居が立ち参道が伸びていた。
「‥‥凄い楠だな。」
大きな楠に僕は、思わず感嘆の呟きを口にしていた。
その時、僕は空を舞う烏に気付いた。そのすぐ後だった。集落に入ってくるルゥナの姿が見えた。学生服姿の彼女は近付いてくると、驚いた様子もなく言った。
「ここまで御出でになられるなんて。」
ルゥナは、静かな視線を向けていた。
「何か御座いましたか。」
「ここを見てみたくなりましたので。普通の土地で安心しました。」
「そうですよ。何を期待していましたでしょうか。」
「人がいませんが。」
「あら、お見えにならないの。レイアさんは、美味しい匂いをなさっていらっしゃいますもの。皆さん、気付かれています。恥ずかしがっているのかしら。」
返す言葉も見つけられずにいた僕は、その場を取り繕うように尋ねた。
「‥‥今日、学校でしたか。」
「登校日でした。お茶でもご一緒なさいませんか。」
ルゥナは、誘った。
「今後のご相談もありますし。」
僕は、門構えの大きな屋敷に目を移した。視線を戻すと、すぐ傍にルゥナの顔を見て息を呑んだ。花の香りがした。
「‥‥あら、何かしら。」
そう言い残してルゥナは、先に向かった。
僕は、茶室の軒下に置かれた縁で待たされた。庭の設えを眺めながら僕は、刻が戻っていくような気持ちになった。
『シオンさんは、時間が停まったようだと表現していた‥‥。』
そう思いだしながら僕の中で記憶が巻き戻っていた。
長く待たされた。少し困惑を始めた頃に、萌黄色の着物姿のルゥナが桶を持って現れた。
「気の短いた男子は、嫌われますよ。」
僕は、茶室に通された。躙り口を潜ると薄暗くひんやりとしていた。掛け軸の烏の墨絵が僕を考えさせた。
風炉の仕様と理をその頃の僕は知識として持ち合わせていなかった。ルゥナは、炭を整えて用意を設えた。濃茶を点てた。
「作法は、気になさらずに。」
ルゥナは、進めた。
「お砂糖お入れしましょうか。」
「揶揄わないで下さい。でも、次は薄い方で。」
「面白い御方。」
「今、帰りなの。」
「学校に寄ってきた。」
「歩いて。」
「うん。」
僕は、黙って買い物袋を持った。並んで歩きながら何時以来だろうと、ぼんやり考えていた。中学に入り周りの視線が気になり始めてから一緒に出掛ける機会も少なくなった。
「ロールケーキ有難う。喜んでくれた。」
「そぅ、勉強になったの。」
「たぶん。」
「ナミキさんだったかしら。お礼に今度、食事に来てもらうわ。」
「いいって。」
「ダメよ。お母さんが会いたいの。」
「嫌がるよ。」
「そうなの。そんな子なの。」
詳しくは説明していなかったが、郷土史のことで訪問する話をしていた。母の性格なのか、深く尋ねなかった。
「‥‥何時以来かな。こうして歩くの。」
母は、ポツンと言った。
「寂しいものよ。特に息子を持つ母はね。」
「そうなんだ。」
僕は、その母の気持ちを理解する感性はあった。並んで歩く距離が思春期の息子の気恥ずかしさをあらわしていた。
「夕食、美味しいカレーにしようか。」
「うん。」
僕は、内心嬉しかった。
「サラダ作るの手伝うよ。」
何故か、夕食の席にアキハがいた。
母が招いたのだろうか。アキハが押しかけたようにも思えた。その日の学校でのことを考えると、あまり詮索したくなかった。
「凄い。小母さまのカレー、違いますね。」
「おだてないでよ。いい子ね。」
やはり、母とアキハは相性が好かった。
「実はですね。学校でご子息と待ち合わせをしていたのですよ。わたし達二人を、暗くなるまで待ち惚けさせたのです。叱って下さいよぅ。」
「二人とも携帯繋がらなかったし。リヨ達と探したんだぞ。」
「はぁ‥‥、あの壊れ三人組と。」
僕は、裏門の話をして校内を探し回った苦労を伝えた。
「裏門って、行くわけないでしょう。なに担がれてるのよ。」
「なら、着信見ろよ。」
「マジ、怒るな。」
母は、僕らの痴話喧嘩のような会話を笑いを堪えて見ていた。
僕が喫茶店にいた頃、既にナミキは文芸の部室に戻っていのだ。アキハは、僕を揶揄って呼び寄せたのだろう。用意周到の悪巧みをしていたのが窺えた。
夕食の後片付けを終えるとアキハは、囁くように言い残して帰った。
「ナミキちゃん探せなくて可哀そう。ちゃんと謝りなさいよ。」
自室で、ナミキに御礼の連絡を入れた。シオンとの話を台所で聴いていただろう。会話の中で少し悲し気な感覚がナミキから伝わってきた。短い話の最後に母の言を伝えた。
「今度、都合のいい日を教えてよ。今日の御礼に母が食事に招待したいって。」
ナミキの声の表情が明るくなった。
「‥‥有り難う御座います。わたしは、何時でも大丈夫ですと、お伝えください。」
夜遅くまで、僕は思案を続けた。考えが纏まらないままに翌日、平家の隠れ里と呼ばれる集落に向かった。
三叉路からの旧道は、予想するより距離があった。祠の前を通り過ぎ長く進むと、雑木林が茂る道の先に、盆地のような田畑が広がっていた。大きな構えの家屋が点在しているのが数えられた。奥に門構えの大きな屋敷があった。どこにでもある田舎の原風景に、安堵している僕がいた。
暫く、集落の入口で立ち止まり全体を眺めた。ふと、人の気配のない不思議な感覚に囚われた。稲の穂が出始める水田の道を巡ったが、誰にも会わなかった。奥の塀に囲まれた屋敷の傍らに、鳥居が立ち参道が伸びていた。
「‥‥凄い楠だな。」
大きな楠に僕は、思わず感嘆の呟きを口にしていた。
その時、僕は空を舞う烏に気付いた。そのすぐ後だった。集落に入ってくるルゥナの姿が見えた。学生服姿の彼女は近付いてくると、驚いた様子もなく言った。
「ここまで御出でになられるなんて。」
ルゥナは、静かな視線を向けていた。
「何か御座いましたか。」
「ここを見てみたくなりましたので。普通の土地で安心しました。」
「そうですよ。何を期待していましたでしょうか。」
「人がいませんが。」
「あら、お見えにならないの。レイアさんは、美味しい匂いをなさっていらっしゃいますもの。皆さん、気付かれています。恥ずかしがっているのかしら。」
返す言葉も見つけられずにいた僕は、その場を取り繕うように尋ねた。
「‥‥今日、学校でしたか。」
「登校日でした。お茶でもご一緒なさいませんか。」
ルゥナは、誘った。
「今後のご相談もありますし。」
僕は、門構えの大きな屋敷に目を移した。視線を戻すと、すぐ傍にルゥナの顔を見て息を呑んだ。花の香りがした。
「‥‥あら、何かしら。」
そう言い残してルゥナは、先に向かった。
僕は、茶室の軒下に置かれた縁で待たされた。庭の設えを眺めながら僕は、刻が戻っていくような気持ちになった。
『シオンさんは、時間が停まったようだと表現していた‥‥。』
そう思いだしながら僕の中で記憶が巻き戻っていた。
長く待たされた。少し困惑を始めた頃に、萌黄色の着物姿のルゥナが桶を持って現れた。
「気の短いた男子は、嫌われますよ。」
僕は、茶室に通された。躙り口を潜ると薄暗くひんやりとしていた。掛け軸の烏の墨絵が僕を考えさせた。
風炉の仕様と理をその頃の僕は知識として持ち合わせていなかった。ルゥナは、炭を整えて用意を設えた。濃茶を点てた。
「作法は、気になさらずに。」
ルゥナは、進めた。
「お砂糖お入れしましょうか。」
「揶揄わないで下さい。でも、次は薄い方で。」
「面白い御方。」