ルゥナ外伝 第4話
文字数 2,013文字
テスト明けの土曜日、思い立って自転車で出掛けた。行動に移したのは、もう一度会って蟠る疑念を確かめないと気持ちの整理がつかない思いが募っていたからだろう。
三叉路から山の中に続く車道は、少し狭いものの綺麗に舗装されていた。山の起伏に沿うような道を進みながら僕は、懐かしい記憶を呼び起こしていた。
『‥‥ここを、通ったことがある。』
幼い頃の記憶の中で手を引かれている女性の顔が想いだせなかった。母ではない別の女性だった。若く背が高く花の匂いがしたのだ。自転車を停め立ち止まった僕は、道端に小さな祠が祭られているのに気付いた。その傍らに清水が流れていた。
『‥‥ここで、水を飲んだ。』
夏の暑い日が想い返った。原生林の零れ日の中で若い娘が柄杓を手渡してくれた。蝉の煩いまでに響き渡る音が、記憶の奥底で何かを誘っていた。
『‥‥ここの、祠の後ろに。』
蝉の響きに急かされながら、揺らぐような景色が輪郭を形作っていった。僕は、無意識に進み歩き出していた。
『‥‥細い道があった。』
薄皮が剥がれるように遠い想い出が蘇っていた。
我に返った僕は、夕刻間近の山腹のすすき原に立っていた。蘇った記憶に愕然とした。
「‥‥ここは、知っている。」
僕は、思わず声に出していた。生い茂るススキの向こうに気配を感じて畏怖した。
「‥‥誰かいる。」
背筋に悪寒が走り足が震えた。
その気配の向こうに現れたのは、ルゥナだった。想いもかけない再会と、幼い記憶の中で埋もれていた女性の姿が重なっていた。僕の惚けたように立ち尽くす様子に驚く素振りも見せなかった。朱色の着物に漆黒の帯を締めた姿に僕は、言葉を失っていた。
「‥‥やはり、レイヤさんは、来られるのですね。」
ルゥナに引き寄せられるように僕は、近付いた。
「誰もが訪れられないのですよ。ここは、結界を張っていますから。」
ルゥナの言葉は、真実を隠していないように聞こえた。僕は、ゆっくりと長く息を吐き呼吸を整えた。少し解った気がした。
『そぅ‥‥、あの時僕は、ここに迷い込んで泣いていた。』
僕は、そう心の中で思ってから、言葉を飾らずに言った。
「恥ずかしいことに、今、思いだしました。幼稚園の頃に、ここに迷い込んだのを。」
ルゥナは、驚きもしなかった。正面から目を逸らさずに僕の瞳を覗き込んで尋ねた。
「‥‥幾日だったかしら。七日でしたか。」
「たぶん、間違いありません。」
僕は、自分の答に迷いがなかった。ルゥナが、言葉を導くように尋ねた。
「‥‥誰かに、助けられましたか。」
僕は、その言葉に記憶の扉が軋み開く音を聞いた。
「着物を着た若い女性‥‥。」
そこまで言って、目の前のルゥナに気付いた。
「‥‥貴女に、似ていた。」
「‥‥そうでしたか。」
ルゥナの視線に僕の意識は戻っていた。
「このススキの原の奥に小さな庵があったでしょう。」
ルゥナの導く言葉に、古い庵のすがたが蘇った。ルゥナは、手にしているカンテラを灯した。
「降魔が刻は、危のう御座います。」
そう言って、僕の足元を照らし導いてくれた。
「さぁ、此方へ。」
静かなざわつきだった。渡る風にススキが擦れる柔らかな音色が混ざっていた。山腹に向かいながら、僕は記憶の輪郭が朧げにでも思いだせて気持ちに余裕が生まれていた。
「何をしていたのですか。」
「暇なので、お祓いをしています。」
ルゥナは、包み隠さずに話した。
「ここは、物の怪らが迷い込んでいますから。」
「俄かに信じられません。」
「あら、少し調子がお戻りになられたようですね。」
「もし、貴女が物の怪でもかまいません。」
「面白い御方。」
緩やかなススキの原の中腹に二間四方の古い庵が立っていた。僕は、懐かしさに小さく息を零した。その景色は、見紛うことなく幼い頃の記憶に重なった。
「‥‥憶えています。」
「よかった。」
ルゥナは、そう言いながら僕を庵に導いた。
「学期末試験は、終わったのでしょう。」
ルゥナは、言った。
「三日ばかり、ゆっくりなさいな。」
言葉に誘われていた。
「もう直ぐに、月が昇ります。今宵は、十六夜ですよ。」
東向きの濡れ縁が、気持ちを決心させた。
「この縁から愛でる月は、心安らかになれたでしょう。」
その美しさは、知っていた。
「膝をお貸しましょう。ご遠慮なさらずに。」
僕は、誘われるように頭を預けた。その位置から見る月は、僕の心の中にまで浸み込んでくるようだった。
何時しかルゥナの膝枕で寝入っていた。途切れ行く意識の狭間に優しい声が残った。
「‥‥幸せなお顔。」
僕は、幼い頃にも同じ気持ちで月を眺めたのを想いだせた。
「‥‥幸せなお顔。」
あの時も、眠り端にそう囁かれた言葉を耳にした。
三叉路から山の中に続く車道は、少し狭いものの綺麗に舗装されていた。山の起伏に沿うような道を進みながら僕は、懐かしい記憶を呼び起こしていた。
『‥‥ここを、通ったことがある。』
幼い頃の記憶の中で手を引かれている女性の顔が想いだせなかった。母ではない別の女性だった。若く背が高く花の匂いがしたのだ。自転車を停め立ち止まった僕は、道端に小さな祠が祭られているのに気付いた。その傍らに清水が流れていた。
『‥‥ここで、水を飲んだ。』
夏の暑い日が想い返った。原生林の零れ日の中で若い娘が柄杓を手渡してくれた。蝉の煩いまでに響き渡る音が、記憶の奥底で何かを誘っていた。
『‥‥ここの、祠の後ろに。』
蝉の響きに急かされながら、揺らぐような景色が輪郭を形作っていった。僕は、無意識に進み歩き出していた。
『‥‥細い道があった。』
薄皮が剥がれるように遠い想い出が蘇っていた。
我に返った僕は、夕刻間近の山腹のすすき原に立っていた。蘇った記憶に愕然とした。
「‥‥ここは、知っている。」
僕は、思わず声に出していた。生い茂るススキの向こうに気配を感じて畏怖した。
「‥‥誰かいる。」
背筋に悪寒が走り足が震えた。
その気配の向こうに現れたのは、ルゥナだった。想いもかけない再会と、幼い記憶の中で埋もれていた女性の姿が重なっていた。僕の惚けたように立ち尽くす様子に驚く素振りも見せなかった。朱色の着物に漆黒の帯を締めた姿に僕は、言葉を失っていた。
「‥‥やはり、レイヤさんは、来られるのですね。」
ルゥナに引き寄せられるように僕は、近付いた。
「誰もが訪れられないのですよ。ここは、結界を張っていますから。」
ルゥナの言葉は、真実を隠していないように聞こえた。僕は、ゆっくりと長く息を吐き呼吸を整えた。少し解った気がした。
『そぅ‥‥、あの時僕は、ここに迷い込んで泣いていた。』
僕は、そう心の中で思ってから、言葉を飾らずに言った。
「恥ずかしいことに、今、思いだしました。幼稚園の頃に、ここに迷い込んだのを。」
ルゥナは、驚きもしなかった。正面から目を逸らさずに僕の瞳を覗き込んで尋ねた。
「‥‥幾日だったかしら。七日でしたか。」
「たぶん、間違いありません。」
僕は、自分の答に迷いがなかった。ルゥナが、言葉を導くように尋ねた。
「‥‥誰かに、助けられましたか。」
僕は、その言葉に記憶の扉が軋み開く音を聞いた。
「着物を着た若い女性‥‥。」
そこまで言って、目の前のルゥナに気付いた。
「‥‥貴女に、似ていた。」
「‥‥そうでしたか。」
ルゥナの視線に僕の意識は戻っていた。
「このススキの原の奥に小さな庵があったでしょう。」
ルゥナの導く言葉に、古い庵のすがたが蘇った。ルゥナは、手にしているカンテラを灯した。
「降魔が刻は、危のう御座います。」
そう言って、僕の足元を照らし導いてくれた。
「さぁ、此方へ。」
静かなざわつきだった。渡る風にススキが擦れる柔らかな音色が混ざっていた。山腹に向かいながら、僕は記憶の輪郭が朧げにでも思いだせて気持ちに余裕が生まれていた。
「何をしていたのですか。」
「暇なので、お祓いをしています。」
ルゥナは、包み隠さずに話した。
「ここは、物の怪らが迷い込んでいますから。」
「俄かに信じられません。」
「あら、少し調子がお戻りになられたようですね。」
「もし、貴女が物の怪でもかまいません。」
「面白い御方。」
緩やかなススキの原の中腹に二間四方の古い庵が立っていた。僕は、懐かしさに小さく息を零した。その景色は、見紛うことなく幼い頃の記憶に重なった。
「‥‥憶えています。」
「よかった。」
ルゥナは、そう言いながら僕を庵に導いた。
「学期末試験は、終わったのでしょう。」
ルゥナは、言った。
「三日ばかり、ゆっくりなさいな。」
言葉に誘われていた。
「もう直ぐに、月が昇ります。今宵は、十六夜ですよ。」
東向きの濡れ縁が、気持ちを決心させた。
「この縁から愛でる月は、心安らかになれたでしょう。」
その美しさは、知っていた。
「膝をお貸しましょう。ご遠慮なさらずに。」
僕は、誘われるように頭を預けた。その位置から見る月は、僕の心の中にまで浸み込んでくるようだった。
何時しかルゥナの膝枕で寝入っていた。途切れ行く意識の狭間に優しい声が残った。
「‥‥幸せなお顔。」
僕は、幼い頃にも同じ気持ちで月を眺めたのを想いだせた。
「‥‥幸せなお顔。」
あの時も、眠り端にそう囁かれた言葉を耳にした。