ルゥナ外伝 第21話
文字数 2,086文字
僕らは、暫く沈黙してしまった。
リアンの小さな溜息がその場を動かした。
「‥‥ものを知らん奴らじゃ。」
僕は、ワンの言葉どおりに受け取ってよいものか迷い続けた。男の重い冗談にとらえたかった。
「主様のお言葉を冗談に思うとは、認識力の浅い奴よ。」
心が読み取られているのを僕は、複雑な思いで理解した。
「それほど警戒することか。物事は、よく観察すれば分かるぞ。」
相手を少し下卑するリアンの声に、僕はシオンとの対話を想い出した。
『‥‥似ているけど、違う。』
何かが根本的に違っているように思えた。ワンが湯煙の向こうから話のやり取りを観察している様子に気付き僕は警戒を強めた。
『この男は、何者だ。旅行者、先生、‥‥違う、そんなものでない。‥‥同じ人間か。』
僕は、改めて男の捉えどころのない存在感に困惑して怯えた。考えが纏まらず焦りの中で緊張が先に折れそうになった。
「ほぅ‥‥、儂を誰と比べた。」
リアンの冷たい視線が、僕から離れなかった。
「‥‥つい最近に知り合った人。お嬢ちゃんと洞察力の鋭さが似ているから。」
用心をしながらリアンに話し僕は、相手の言葉を待った。下手に小細工しない方がよいように思えたのだ。
「正直な奴じゃのぅ。」
リアンは、僕の思惑に踏み入った。
「‥‥もう一人いるのか。どっちだ。‥‥先の方か、否、もう一人か。お前を庇護するのがおるのか。」
その時、リアンが初めて微かに躊躇い判断しかねる素振りを見せた。
僕は、その場を取り繕うようにワンに話を向けた。
「此方には、いつ来られましたか。」
「七日前です。」
ワンは、各地の名所を巡った話をした。
「この国の美しさに堪能しました。」
ワンの感想は、率直だった。
「個人的な好みから言えば、450年ばかり前の方が面白いのですが。今回は、或る御方に招かれましたので。」
「お仕事も兼ねているのでしたか。」
「半分は趣味のようなものです。この齢になりますと、楽しみを優先してしまいます。」
ワンが、静かに語り続けた。
「旅とは、面白いものです。もし、君が近々旅をするなら一人でないのをお勧めします。こちらのお国の諺に【旅は道連れ世は情け‥‥】と云うのがあったでしょうか。」
僕の近い将来の行動を見透かしているような言葉に何故なのか納得していた。
「君は、人との出逢いを偶然だと思いますか。」
ワンは、いつの間にか流暢に喋っていた。
「この世の理に、偶然はないのです。」
ワンの断定する物言いに僕は反論の機会を逸していた。そう聞くと、すべてが正しく思えたからだろう。
「この場所での私との出逢いは、どう思われますか。」
「‥‥僕は、たまたまだったと信じたいです。」
「逢うべくしてのことでした。」
「‥‥まさか。」
「ご挨拶だと、お考え下さい。」
ワンは、そう言って軽く頭を下げた。
「君がお守りする女神に敬意を表してのことです。もう一人、ご挨拶させる予定でしたが、次の機会にでもいたしましょう。」
リアンが、薄い笑みを浮かべて僕の反応を窺っていた。僕は、返す言葉を失った。
「‥‥儂は、先に上がる。」
リアンは、そう言い残して湯船から上がった。全裸で背筋を伸ばした姿勢に僕は、圧倒された。
「お前、つまらぬ物の怪に喰われるような間抜けをするなよ。それまで、息災にするのじゃ。よいな。」
僕は、呆然とリアンを見送った。ワンが別れの挨拶して続いた。
「さて、そろそろ私も失礼しましょう。」
ワンが身に付けていたのは、古代ローマ時代のトゥニカだった。僕以上にナミキの驚嘆する様子に僕は驚き惹いた。男の姿が、歴史に出てくるローマ人に見えてしまった。
二人が立ち去った後、僕らは沈黙の底に堕ちていた。暫くしてタカシの深い溜息が、その場の空気を融かし僕らの気持ちを救った。
「‥‥モノホンの、ローマ人だったりしたりして。」
僕の笑いを狙った言葉に誰も反応しなかった。アキハは、疲れた声で呟いた。
「美人の湯だからなの‥‥。」
「この温泉、外国にまで評判になっているのか。」
「これがグローバルかな‥‥。」
僕らは、乳白色の湯で寛ぐどころか気持ちが塞いだ。思いもかけない出逢いのためだろう。僕だけが、後々にまで尾を引いたのだった。
夜の暗い遊歩道を帰りながら、僕らは自分勝手に温泉で出会ったワンとリアンの感想を並べていた。
「ヤバイよ。あれって。」
アキハは、自分の考えを譲らなかった。いつもよりも頑なだった。ナミキは、思い煩ったように考え込みながら短く意見した。タカシの思いはアキハに近かったが、思慮深い男らしく早々な断定をしなかった。僕がいつまでも困惑を続けたからだろうか。アキハの言葉がその場の僕らを代弁していた。
「たぶん、スパイよ。工作員‥‥。」
「お金持ちの旅行者だと思えないし‥‥。」
「はぁ、困らせる‥‥。」
「でも、どうして‥‥。」
アキハは、自分の考えを纏めるように次々と喋り続けた。それでも、不思議なことにペンションまで戻ると、温泉での出来事を忘れてしまったように三人は、興味を無くしていた。
リアンの小さな溜息がその場を動かした。
「‥‥ものを知らん奴らじゃ。」
僕は、ワンの言葉どおりに受け取ってよいものか迷い続けた。男の重い冗談にとらえたかった。
「主様のお言葉を冗談に思うとは、認識力の浅い奴よ。」
心が読み取られているのを僕は、複雑な思いで理解した。
「それほど警戒することか。物事は、よく観察すれば分かるぞ。」
相手を少し下卑するリアンの声に、僕はシオンとの対話を想い出した。
『‥‥似ているけど、違う。』
何かが根本的に違っているように思えた。ワンが湯煙の向こうから話のやり取りを観察している様子に気付き僕は警戒を強めた。
『この男は、何者だ。旅行者、先生、‥‥違う、そんなものでない。‥‥同じ人間か。』
僕は、改めて男の捉えどころのない存在感に困惑して怯えた。考えが纏まらず焦りの中で緊張が先に折れそうになった。
「ほぅ‥‥、儂を誰と比べた。」
リアンの冷たい視線が、僕から離れなかった。
「‥‥つい最近に知り合った人。お嬢ちゃんと洞察力の鋭さが似ているから。」
用心をしながらリアンに話し僕は、相手の言葉を待った。下手に小細工しない方がよいように思えたのだ。
「正直な奴じゃのぅ。」
リアンは、僕の思惑に踏み入った。
「‥‥もう一人いるのか。どっちだ。‥‥先の方か、否、もう一人か。お前を庇護するのがおるのか。」
その時、リアンが初めて微かに躊躇い判断しかねる素振りを見せた。
僕は、その場を取り繕うようにワンに話を向けた。
「此方には、いつ来られましたか。」
「七日前です。」
ワンは、各地の名所を巡った話をした。
「この国の美しさに堪能しました。」
ワンの感想は、率直だった。
「個人的な好みから言えば、450年ばかり前の方が面白いのですが。今回は、或る御方に招かれましたので。」
「お仕事も兼ねているのでしたか。」
「半分は趣味のようなものです。この齢になりますと、楽しみを優先してしまいます。」
ワンが、静かに語り続けた。
「旅とは、面白いものです。もし、君が近々旅をするなら一人でないのをお勧めします。こちらのお国の諺に【旅は道連れ世は情け‥‥】と云うのがあったでしょうか。」
僕の近い将来の行動を見透かしているような言葉に何故なのか納得していた。
「君は、人との出逢いを偶然だと思いますか。」
ワンは、いつの間にか流暢に喋っていた。
「この世の理に、偶然はないのです。」
ワンの断定する物言いに僕は反論の機会を逸していた。そう聞くと、すべてが正しく思えたからだろう。
「この場所での私との出逢いは、どう思われますか。」
「‥‥僕は、たまたまだったと信じたいです。」
「逢うべくしてのことでした。」
「‥‥まさか。」
「ご挨拶だと、お考え下さい。」
ワンは、そう言って軽く頭を下げた。
「君がお守りする女神に敬意を表してのことです。もう一人、ご挨拶させる予定でしたが、次の機会にでもいたしましょう。」
リアンが、薄い笑みを浮かべて僕の反応を窺っていた。僕は、返す言葉を失った。
「‥‥儂は、先に上がる。」
リアンは、そう言い残して湯船から上がった。全裸で背筋を伸ばした姿勢に僕は、圧倒された。
「お前、つまらぬ物の怪に喰われるような間抜けをするなよ。それまで、息災にするのじゃ。よいな。」
僕は、呆然とリアンを見送った。ワンが別れの挨拶して続いた。
「さて、そろそろ私も失礼しましょう。」
ワンが身に付けていたのは、古代ローマ時代のトゥニカだった。僕以上にナミキの驚嘆する様子に僕は驚き惹いた。男の姿が、歴史に出てくるローマ人に見えてしまった。
二人が立ち去った後、僕らは沈黙の底に堕ちていた。暫くしてタカシの深い溜息が、その場の空気を融かし僕らの気持ちを救った。
「‥‥モノホンの、ローマ人だったりしたりして。」
僕の笑いを狙った言葉に誰も反応しなかった。アキハは、疲れた声で呟いた。
「美人の湯だからなの‥‥。」
「この温泉、外国にまで評判になっているのか。」
「これがグローバルかな‥‥。」
僕らは、乳白色の湯で寛ぐどころか気持ちが塞いだ。思いもかけない出逢いのためだろう。僕だけが、後々にまで尾を引いたのだった。
夜の暗い遊歩道を帰りながら、僕らは自分勝手に温泉で出会ったワンとリアンの感想を並べていた。
「ヤバイよ。あれって。」
アキハは、自分の考えを譲らなかった。いつもよりも頑なだった。ナミキは、思い煩ったように考え込みながら短く意見した。タカシの思いはアキハに近かったが、思慮深い男らしく早々な断定をしなかった。僕がいつまでも困惑を続けたからだろうか。アキハの言葉がその場の僕らを代弁していた。
「たぶん、スパイよ。工作員‥‥。」
「お金持ちの旅行者だと思えないし‥‥。」
「はぁ、困らせる‥‥。」
「でも、どうして‥‥。」
アキハは、自分の考えを纏めるように次々と喋り続けた。それでも、不思議なことにペンションまで戻ると、温泉での出来事を忘れてしまったように三人は、興味を無くしていた。