序章

文字数 477文字

 夜が明けてから一刻もたつと、葦簀を通した陽の光がすでに強くなり、熱を帯びて真輔の顔に当たった。暑さに耐えかねて目を開ける。婿入りをして八丁堀の住民になり、東向きのこの部屋で寝起きするようになって、早や三か月余りたっている。そっと起き上がり、隣に目をやると、妻の百合はまだ安らかな寝息を立てていた。だが、その襟足にはうっすらと汗が浮かび、ほつれた髪が濡れたように光っている。思わず百合の方に伸ばした手を、真輔は宙で止めた。まだ、気持ちのまま百合に触れることがためらわれる。自分が百合の負い目を利用しているのではないか、という気持ちが浮かび上がり、どうしても遠慮がちになっていた。

 宙に浮いた手を戻し、布団から出るとそっと蚊帳の裾を持ち上げた。十手を手に庭に出て、寝巻にしている浴衣の諸肌を脱いで、習いたての十手術の鍛錬を始めた。気が付くと、縁側に百合が座って真輔を見ていた。鍛錬を止めた真輔に向かって、百合は手を付き、

 「おはようございます。」

と言うと少し眠そうな笑顔を見せた。その笑顔は、真輔の心に先ほど浮かんだ後ろめたさを、少しだけ忘れさせてくれた。
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