昔話

文字数 2,645文字

 朝から、支配与力の土井、根岸廻りの大崎、神田廻りの萩原も加えて、河内屋について相談が行われた。だが、早急に手を打つべき明確な理由もなく、それぞれが格別に注意をするということに終わった。

 「深川の吉次は、どういたしますか?」

 真輔の言葉に、他の三人が顔を見合わせた。

 「おまえのところの岡っ引きに見張らせろ。」

 土井が言い放った言葉に、真輔は戸惑った。

 「しかし、廻り先が違います。」
 「かまわぬ。」

 合点がいかず、なおも問おうとする真輔の肩を、止めろと言うように大崎が叩いた。萩原もそれでよいというように頷いた。

 もやもやした気持ちで最初の番屋に着くと、栄三郎が待っていた。

 「おはようございます。旦那方の話し合いはいかがなりましたでしょうか。」
 「進展はなかった。不穏な動きはあっても、何も始まっていないと動けない。」
 「さようでございますな。」
 「それで、頼みがある。」
 「何でございましょう。」
 「吉次の動きを見張って欲しいのだ。」
 「承知しました。あっしも吉次については、もっと探りを入れたいと思っていました。深川の親分には話を通してありますので、さっそくかからせていただきます。」

 すぐに動き出そうとする栄三郎を、真輔が止めた。

 「訪ねたいことがあるのだが。」

 そう言いながら、番屋の中を見回すと、

 「歩きながらでよござんすか?」

 栄三郎が気を利かせてくれた。

 「実は、深川廻りの…」

 真輔が言いよどむと、

 「中川様のことでございますね。」

 栄三郎が引き継いだ。

 「あっしが懇意にしている深川の親分は、藤太と申しますが、中川様から手札を頂いております。ですが、中川様は他にも手札を与えている岡っ引きがおりまして、藤太親分に手を出させない領域というものがあるようです。」
 「私たちが探りを入れても大丈夫かな。」
 「目立たないようにやりましょう。笠原様にご迷惑がいくようなことにはしません。」
 「いや、そんなことではない。親分や配下の者に危害が加えられようなことがあってはならぬと思って…」

 栄三郎が高らかに笑った。

 「そのご心配だけはいりませんぜ。」

 袖をまくって逞しい二の腕を叩いてみせた。真輔はふと、繁盛している仕出し屋の跡継ぎだった栄三郎が何故岡っ引き稼業についたのだろうか、と思った。

 町廻りを始めるために佐吉と並んで歩いていく真輔の後ろ姿を見ながら、栄三郎の方も疑問を抱いていた。

 「(さて、うちの旦那の武芸の腕前はどうなんだろうな。兄上が使い手という話は聞いているが…)」

 町廻りの途中、真輔と佐吉は河内屋の前に来ていた。すでに普段通りの商いを始めている河内屋は、客が引きも切らず、繁盛している様子だった。通りの反対側で、真輔が足を止めてその様子を見つめていると、河内屋から駿河屋の主人が手代を引き連れて出てきた。河内屋のおかみの康江が、店の外まで出て見送っていた。それを見て真輔が歩き出すと、後ろから駿河屋の主人が声を掛けてきた。

 「これは、笠原様、ご無沙汰いたしております。今日も、お暑うございますな。」
 「そうですね。」
 
 空を見上げる真輔に、

 「よろしければ、少しうちの店で涼んでいかれませんか?」

 と、にこやかに誘いを掛けた。河内屋を出てきた駿河屋の手代が反物の包を持っていることが気になっていた真輔は、誘いに乗った。駿河屋は通町の大きな呉服屋で、真輔は同心になって初めて扱った事件で駿河屋の奉公人を捕えていた。しかし、駿河屋はおしかりで済んだ奉公人の行く末にも気を配ってくれたばかりか、真輔のした仕事に理解を示し、同心としての真輔を認めてくれていた。

 駿河屋の奥の座敷はたっぷりと打ち水をされた中庭から、爽やかな風が入って来た。駿河屋は、冷えた瓜を真輔に勧め、お内儀はお元気ですか、ご実家の皆さまは、とたわいのない世間話をしていた。真輔も話を合わせながら、河内屋との関係を聞いた。

 「はい、ご近所で商売をさせていただいておりますから、懇意にしております。それに、大おかみの芳香さんは、子供の頃からの私たちのあこがれの的でございましたし。」
 「おきれいだったのでしょうね。」
 「それはもう。それに、河内屋の一人娘でしたから、だれが婿になるのかと、年の釣り合う息子のいる親たちは気にしておりました。私も、もう少し早く生まれていればと、残念でしたよ。」

 駿河屋は、楽しそうに思い出話を始めた。跡取り娘の芳香の婿に、河内屋の先々代は、店の手代を選んだ。手代は、根岸の大きな農家の次男坊だが、農地を継ぐのは長男と決まっているため、幼い頃から河内屋へ奉公していた。抜きんでて仕事のできる彼を、芳香の父親は早くから婿にと考えていたらしい。しかし、決して男前とは言えない先代は、芳香に憧れる通町の若い男たちには、納得のいかない選択であった。ところが、当の芳香は、奉公人あがりの夫を立て、仲睦まじく暮していた。

 「私は、幼馴染で弟のようなものでしたから、芳香さんに不躾な質問をいたしました。」

 夫となった先代のことを、どう思って夫婦になったのか、という問いに、芳香は、昔から好いていた、とあっさりと答えた。頭が良くて、働き者、小僧の頃から人と違っていて、芳香には輝いて見えたのだと。

 「私もそこそこの店の跡取りで、遊びや贅沢を覚え始めた頃でしたが、商いに精を出す姿が女人に魅力的なのだと言われて、それも、憧れていた人からですから、目を覚まさせられましたよ。おかげ様で、うちの店が私の代で傾くことにはなりませんでした。」
 「今のおかみの康江さんが、河内屋とはどういうつながりで嫁に来られたのですか?」
 「得意先のお旗本の用人のお嬢さんだったそうです。父上を手伝って弾くそろばんの腕前に、与左衛門さんが惚れたとか。あの方は、そろばんが苦手でしたから。」

 駿河屋の微笑が悲しみをたたえたものになった。

 「実は、お尋ねしたいことがあります。差しさわりがなければ、先ほど、河内屋に行かれていた理由をお聞かせください。」
 「反物の見本をお持ちしました。」
 「喪中に着物を作るのですか?」
 「あぁ。反物は、康江さんの甥御さんのものです。今度、河内屋でお暮しになるそうで、商家風のお召し物を注文したいということでした。」

 やはり、正弥は河内屋の養子になるのか、と真輔は思ったが、駿河屋はそれ以上のことは話さなかった。しかし、駿河屋の昔話のおかげで、河内屋の人々のことが、わかってきた。 
 
 
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