後始末

文字数 3,212文字

 一日の暑さの盛りが過ぎた頃、真輔は佐吉と奉行所を後にして、日本橋通い町の大通りを歩いていた。佐吉が腕の中に抱えた風呂敷包みの中には、お梅の骨壺が入っている。二人はお梅の骨を届けに、河内屋に向かっていた。
 お梅の死をきっかけに捕縛された四人の吟味は、あれから速やかに行われた。すでに、吉左衛門と吉次については、親族である河内屋に奉行所で伝えられている。真輔は、今日はお梅について河内屋に関わりのあることを話さねばならないと思っていた。


 大金を積んだ河内屋の願いが通り、吉左衛門と吉次は表向きは無罪放免になり、河内屋の手配で、信濃にある河内屋の菩提寺とつながりのある寺で、仏門に帰依することになった。要は、河内屋が二人の江戸所払いを保証する、ということらしいが、親族から縄付きを出さないために、裕福な商家では度々こういう交渉事が行われているらしい。旅費はもちろん、これからの生活も河内屋が面倒をみるのであろう。
 鶴屋のおかみのお鶴と春庵は、ご法度の闇の売春をした罪で、私財取り上げの上で江戸所払いとなった。お鶴には、慈悲で愛用の三味線一つが与えられたが、春庵は着の身着のまま放り出された。真輔は、春庵が江戸を出れば自由の身ということが、納得いかない。
 吟味の結果を聞いて不満げな真輔の横顔に、大崎と萩原が笑いかけた。

 「そんな顔するな。島送りにできるような罪状がないんだぜ」
 「島送りなら、奴も生き延びられるかもしれんのにな」
 「ああ、江戸を無事に出れるかも怪しいよな」

 真輔の脳裏に、川に浮かんでいた寛一たちの姿が蘇った。

 「でも、春庵は、佐之助のことをあれ以上何も言わなかったはず」
 「佐之助はそうは思わないだろうな…」

 大崎がつぶやくように言い、萩原も頷いている。

 二人は、背筋のひやりとする話を、さらりと交わして立ち去った。その背中には、ひるんでいる気配は微塵もなかった。新米の同心である真輔が初めて出会った、「本当の悪事」といえる今回の捕り物は、次々と扉が開くように、知らない世界が真輔の前に現れて来る。時に無力感に(さいな)まれることもあった。だが、答えは必ずあると思ってこつこつと取り組むのは、算学の勉強と一緒ではないだろうか。真輔は、自分もひるむ気はない、と腹に力を入れた。


 河内屋では、大おかみの芳香とおかみの康江が揃って出迎えた。離れにあつらえた祭壇に骨壺を置くと、二人に続いて、真輔と佐吉も線香を上げた。あいさつを終えると真輔と佐吉に茶菓が出される。礼を言って手早く食すと、真輔は河内屋の二人にあらためて向き直った。

 「お話しておかねばならないことがあります。少しお時間を頂けませんか?」

 二人が頷くと、佐吉は「私はお先に…」と言って、頭を下げて部屋を出て行った。二人は真輔に何か告げられることを予想していたようで、真剣な面持ちで真輔を見つめている。少し緊張して居ずまいを正すと、真輔はお梅の身の上から話し始めた。

 「長じてみると、お梅は芸事が身に着かなかったようで、鶴屋のおかみは代わりにお梅に客と床を重ねさせたのです。そして(はら)む度に春庵という医者に無理に流させて、それがこの度のお梅の死因に繋がっていました」

 二人の眉が吊り上がり、おかみの康代は目尻に涙を溜めていた。だが、ここからが重要なところなので、真輔は一気に話を進めた。

 「医者の見立てでは、流れた子供はすでに五月(いつつき)にはなっていたそうです」

 はっとしたように康代の目が開かれた。

 「ですから、お梅は与左衛門どのの子を宿していたのではありません。相手は、医者の春庵でした。これは、春庵が認めました」
 「お梅さんにはわかっていたのですか?」

 康代が震える声で聞いた。

 「わかっていたそうです。鶴屋のおかみに与左衛門さんと関係するように言われて、そうすれば河内屋の子として産むことができると思ったのでしょう。お梅は腹の子にどうしてもちゃんとした家を与えてやりたかったのだと、同じ置屋で育った芸者が申していました」
 「自分のようにならないために…ですね」

 大おかみの芳香がやさしい声で言い、康代ががまんできないように(たもと)を目に当てた。不幸な娘のささやかな夢が、悪事に利用され、堅実に生きて来た河内屋夫婦の運命の歯車を大きく狂わせてしまうことになった。
 涙を拭いた康代は、手を付くと、

 「お梅さんとその子の墓は、河内屋の菩提寺に建てさせていただきます。この先も河内屋で供養を行っていきます」

 康代がの芳香の方を振り仰ぐと、そうしましょう、そうしましょう、と芳香が何度も頷いた。

 「ありがとうございます」

 真輔は手を付いて深々と頭を下げ、二人を慌てさせた。
 帰ろうとする真輔を、大おかみの芳香が呼び止めた。

 「笠原様のお母上は茶の湯の師匠をなさっているそうですね。笠原様もなさるのですか?」
 「私は、見よう見まねの域を出ません」
 「この家にも、父が作らせた茶室がございますの。私も少々嗜みますので、お手間は取らせませんから、一服、召し上がっていただけませんか」

 真輔は少し驚いたが、芳香が何か話したいことがある様子に思えて、承知した。茶室は簡素ながら趣味の良い意匠であった。準備がしてあったようで、風炉(ふろ)には炭が(おこ)り、湯が沸いていた。点てられた茶を真輔が飲み干すと、芳香は静かに語り始めた。

 「息子を死なせたのは、私なのです。私が欲張ったことを望んだせいでなのです」

 静かに茶碗を置くと、真輔は芳香の端正な横顔を黙って見つめた。

 「一人息子に望み通りの嫁が来て、商売も順調、息子夫婦に子がいなくても跡取りにふさわしい子を養子にすることもできる。これ以上望むことはないはずでしたのに、仲の良い夫婦に子が授かればとあきらめきれなかったのです。私の欲が、吉左衛門に付け込まれる隙を作ってしまったのです」

 真輔には返答が思いつかなかった。

 「欲張っては仕損じる、とは主人の口癖でしたのに。私が欲をかかなければ、与左衛門が死ぬことも、吉左衛門が罪を犯すことにもならなかったはずなのです。お梅とて…。一番罰せられるべきなのは、私でございます」

 真輔は子供のように首を横に振っていた。

 「それは違います。まだ若い夫婦に子が授かればと望むのは、自然なことです。吉左衛門と吉次の欲が与左衛門どのを(おとしい)れたのです。それに、お梅の死は河内屋には何の関係もありません。それなのに、墓を建て、供養するとおっしゃってくれました。お梅は初めて大切にされたのです」

 真輔は早口に続けた。

 「康代さんも与左衛門さんの死を自分のせいだと責めていました。思いがけないことで大切な方を亡くされ、自分にその理由を探してしまうお気持ちはわかりますが、それはいけません。それでは、与左衛門どのが浮かばれません。何より、ご家族のことを、河内屋のことを思っていた与左衛門どのが悲しまれます」

 芳香が顔を上げて真輔を見つめた。

 「大おかみは、これからの河内屋を、康代さんとご養子を、与左衛門どのに代わって支えていかなければ」

 その時、茶室の外から正弥の声がした。

 「おばあ様、駿河屋さんが仕立物が出来上がったとお持ちになりました」

 その声が、悪夢から芳香を解き放ったように真輔には感じられた。芳香は、いつのまにか伝わっていた涙を急いで懐紙でぬぐうと、つとめて明るい声で答えた。

 「笠原様とのお話が終わったらまいりますと、伝えておくれ」

 芳香は真輔に向き直ると、深々とお辞儀をした。

 「さようでございますね。あの子がおります。話を聞いてくださってありがとうございました。頂いたお言葉を肝に銘じます」
 「若輩ものが差し出がましいことを申しました。でも、私も祖母のおかげで、今こうしていられると思っておりますので、ご養子には大おかみがおられないと」
 「私には責任がございますね」

 ようやく芳香の頬に、かすかな笑みが浮かんだ。
 
 
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登場人物紹介

笠原真輔(旧姓:立花)…旗本の次男坊だが、縁あって八丁堀同心の家に婿に入り、亡くなった義父の後を継いで町廻り同心をしている。婿入りまで算学を学んでいた。妻の百合と心が通じ合えるようになってきている。

笠原百合…八丁堀同心の一人娘。父を亡くし、失意の中で真輔を婿に迎える。わけあって、真輔を受け入れられずにいたが、少しづつ心を通わせるようになっている。

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