離れの女

文字数 2,276文字

 役目を終えて戻る検視役人と入れ違いに、河内屋の女房とお供の小僧が寮に駆け付けた。岡っ引きに案内されて直接土間に入って来た女房は、まだ戸板の上にいる夫の変わり果てた姿に立ち尽くし、小僧はおびえて戸口の側から離れられなかった。真輔が女房の横に立ち、

 「検視は終わっていますから、河内屋さんを居間の方にお運びします。」

と言うと、女房は初めて他の人間がいることに気づいたようで、見開いた目で真輔を見た。

 「笠原様…。」

 町廻りを始めた頃に、河内屋のような大店には先代からの岡っ引きである栄三郎の案内で、挨拶をしていた。顔を合わせるのはその時以来だが、河内屋の女房は真輔の顔を覚えていたようだ。

 「(眼鏡のおかげですぐに見知ってもらえるようだ…。)大崎さん、こちらが河内屋の…」

 言いかけたが、真輔はまだ、女房の名前までは覚えていなかった。

 「河内屋与左衛門の妻の康江でございます。」
 「大崎です。話は、ご主人を部屋に移してからにしましょう。」

 大崎が岡っ引きと手下に合図すると、康江は先に立って案内した。てきぱきと寮番と小僧に指図をする姿を見て、大崎が真輔に聞いた。

 「河内屋ってのは、商売は女房が仕切っているのか?」
 「そのようです。」
 「しっかりものは、悲しむより先に仕事を見つけてしまうものだな。」

 大崎が土間から同情するように見ている先で、康江は夫の遺体を客間に敷いた布団に寝かせ、衣服を整えた。その側で悲しむ暇もなく、ほどなく到着した姑を支えるようにして息子の亡骸の前に案内する。泣き崩れる姑の世話をしながら、次々と到着する奉公人たちにも、指図をしている。慌ただしく右往左往する河内屋の人々の様子を見て、大崎はあきらめたように言った。

 「河内屋の方は後回しにして、妾のお梅と話しに行こう。」
 「そうですね。」

 お梅は、自室にしているという離れから顔を出していなかった。真輔と大崎は、離れへ向かった。

 「邪魔するぞ。」

 そう言いながら大崎は、いきなり襖を開けた。お梅は布団の上に座って、明け放した障子の先の庭を眺めていたようだが、ふいの闖入者に驚いたように振り向いた。目を見開いて二人の同心を見る顔は、化粧気のないせいか幼さが勝っていた。

 「俺はこの辺りを廻り先にしている同心の大崎だ。こっちは笠原。日本橋の河内屋の方を廻っている。」

 お梅は、大崎の名乗りにも何の反応も示さなかった。

 「おまえさんは、河内屋の世話になっていると聞いてきたが、旦那の顔を見に行かないのか。」

 お梅はようやく、首だけではなく体も大崎の方に向けた。幼い顔立ちと対照的に、向き直る体の動きには色気があった。

 「だって、お役人様、私怖くって。」
 「何がだい。」
 「死んじゃった旦那の顔を見るのも怖いし、河内屋のおかみさんに会うのも怖いし。」
 「それなら、このままとんずらするつもりか?」

 お梅は帯を外してある腹の上に手をあてながら、俯いてため息をついた。

 「そういうわけにはいきませんよね、この子の為にも。だって、河内屋の跡継ぎですから。」
 「だったら、昨日の話を聞かせてもらおうじゃないか。」

 大崎は、開け放してあった入り口から母屋を伺いながら言うと、お梅の布団の際に胡坐を組んで座った。真輔はそっと襖を閉じると、襖の前に行儀よく座る。お梅はすねたように顔を横に向けた。

 「話すことなんて、たいしてありゃしませんよ、旦那。」
 「寮番が言うには、河内屋の主人は昼過ぎに来て夕刻前に帰ったそうだが、ずいぶん慌ただしいじゃないか。喧嘩でもしたのか?」
 「いいえ、そんなんじゃありませんよ。店の仕事が忙しい中、わざわざ私の様子を見に寄ってくれたんですよ。」
 「それにしちゃ、具合の悪いおまえさんを置いて帰っていったそうじゃないか。」
 「抜けられない店の用事があるから、仕方なく帰っていったんです。」
 「そりゃ心細かっただろう。」
 「そりゃあ。」
 「旦那に死なれて、これからはもっと心細いだろうな。」

 同情するような大崎の言葉を聞いて、お梅はすくい上げるような目で大崎を見ると、

 「そうなんですよ、お役人様。だから力になってくださいな。」

 甘えた声で言った。

 「残念だが、俺じゃ役不足だよ。河内屋の店の方は、こっちの旦那の縄張りだ。」

 お梅は真輔を初めて気が付いたというように見つめてから、

 「それじゃあ、よろしくお願いします。」

 と真輔に向かって、しなをつくりながら頭を下げた。

 真輔が半ばあきれて黙っていると、大崎が勢いよく立ち上がり襖を開けた。

 「休息の邪魔をして悪かったな。失礼するよ。」

 真輔を促して外に出ると、驚いた、というように目を見開いた。

 二人は、母屋に向かう渡り廊下の中ほどで立ち止まると、顔を寄せて小声で話し始めた。

 「何と何と、子供のような見た目の中身が、海千山千の年増女といったていじゃないか。」
 「腹の子は河内屋の跡継ぎだと言っていましたね。」
 「河内屋夫婦には子供がいるのか?」
 「いえ、子供はいませんが…。」
 「何だ?」
 「挨拶に行った時に、河内屋の主人が女房の親戚の子供だと言って、十二、三歳の男の子を紹介してくれました。ゆくゆくは、養子にして河内屋を継がせるつもりだとも言っていたのです。」
 「いつの話だ?」
 「町廻りを始めてすぐの頃なので、三か月近く前です。」

 真輔の脳裏に、その時の与左衛門の微笑と聡明そうな子供の顔が浮かんだ。考え込む真輔の腕を大崎が肘でつついた。真輔が顔を上げると、母屋の渡り廊下の入り口に立った康江がこちらを伺っている。

 
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