行き止まり
文字数 2,397文字
鶴屋のおかみの姿を見て、お染はまた怯えて袖で顔を隠してしまった。お染に気づいたおかみは、
「お染、一体どういうことなんだよ、これは」
と怒鳴った。春庵が慌てて、
「お鶴さん、お役人の前ですよ」
とたしなめた。だが、鶴屋のおかみは真輔の姿にひるまず、
「それなら、お役人様、何で私らがここに連れてこられなきゃならないのか、説明して頂けますか」
お梅の亡骸を前にして開き直るおかみに対して、さすがに真輔の顔色が変わる。だが、真輔は挑発に乗らなかった。
「お梅が死んだからです」
「そりゃ、見ればわかりますよ。可哀そうに、河内屋で何かされたのかねぇ」
「原因は流産ですが、その起きかたに不審があります。それで、あなたと、春庵先生に今までお梅の体に何をしてきたのか、尋ねたいのです」
春庵は鶴屋のおかみの半分も度胸がなかった。真輔の言葉を聞いて、「あ、あぁ」と悲鳴のような声を上げて、おかみに睨まれた。
「深川廻りの中川様はご存じなんですか?聞きたいことがあるなら、中川様を通してくださいな」
「今は、お梅の住処は私の廻り先の日本橋通い町です。お梅の死をあらためるのに中川さんの許可は必要ありませんし、止める権利もありません」
「でも、こ、ここは深川でしょう」
「そうですね。ここでは狭くて話ができない。お梅の体も詳しく検めたいので、大番屋まで来てもらいましょう」
強気のおかみを冷静に追い詰める真輔の姿に、藤太は感心し、栄三郎も真輔の新たな一面を見た気がしていた。そこへ、新たな人影が、狭い座敷の外れに下がっていた平太や藤太の息子を手にした十手で押しのけながら入って来た。後ろに二人の下っぴきを従えた岡っ引きの寛一である。寛一は、深川廻りの中川が新たに手札を与えた岡っ引きで、その十手はもっぱら弱いものを責めるために使われているのだった。
「これは、これは、藤太親分に、日本橋の栄三郎さんまで、お揃いで何事…、お梅、なんてこった」
「寛一親分、私ら大番屋に連れてかれちまうんですよ、何とかしてくださいな」
「おや、お役人様、勝手なことをされちゃ困りますね。一体どんな罪でこの二人を引っ張るんですか」
「話を聞かなければ、どんな罪かを決められないんです」
「じゃ、ここで今すぐ聞いてくださいよ」
寛一は若い真輔を侮って、袖をまくり上げて腕の入れ墨を見せつけた。
「おい、寛一、てめぇ、いい加減にしろっ」
さすがに藤太が怒鳴りつけたが、寛一は舌打ちをしただけで無視していた。それを見て藤太の息子が寛一に掴みかかろうとし、それを寛一の手下たちが止めようと動いた。その時、家の外で「御用、御用」という声が聞こえ、奉行所の捕り方たちが庭に現れた。
「与力の土井様のお言いつけで、笠原様の助太刀にまいりました」
捕り方の姿を見て、寛一はまくり上げていた袖を戻し、手下も手を止めた。腰が抜けたように座り込んだ鶴屋のおかみに仰ぎ見られて、寛一は顔をそむけた。春庵は部屋から逃げ出そうとしたが、座敷の出口もすでに捕り方たちに塞がれている。
真輔の指図で捕り方は吉次、春庵、おかみを捕縛し、大番屋に連行した。お梅は倒れた場所の畳ごと持ち上げられ、検視のために大番屋まで運ばれた。大番屋には、与力の土井が待ち構えていた。
「喜作を殺したのは、西門の権蔵だと言うのか。聞いたことのない名前だな」
「深川の岡っ引きの藤太でも、顔も住処の知らないそうです」
「賭場から糸をたどるしかないな。中川では充てにならん。笠原、おまえが権蔵とやらを探せ。捕り方を連れて賭場の連中を根こそぎ引っ張って、聞き出すんだ」
「承知しました」
土井の命令を受けた真輔は捕り方たちや栄三郎と共に、ようやく傾きかけた陽の下で再び大川を渡った。藤太の案内で回った深川の賭場はどこも、客とツボ振りや下働きだけがうろうろとしているだけで、中盆と呼ばれる仕切り役は現れていなかった。ツボ振りを捕まえても、つながりは中盆止まりである。西門の権蔵一味は、忽然と深川から消えていた。
「寛一のやろうが、権蔵に注進したんでしょう」
藤太の言葉に真輔も頷いた。
「残った糸は寛一だけですね。寛一をつかまえましょう」
捕り方たちに賭場を見張らせ、真輔と藤太、栄三郎は寛一の家に向かった。その途中、堀かかる橋の袂 を覗き込む人だかりを見つけ、三人の胸に同じ不安が広がった。藤太が後ろから
「おいっ、何があった」
と大声をかけると、「あっ、親分さん」と何人かが振り向く。八丁堀の役人が一緒だと見ると、皆がさっと両脇に下がって道を空けた。真輔は深呼吸をすると、三人の先頭に立って掘割に近づいた。水の減った堀を覗き込むと、橋げたの下に三人の男の体が力なくうつ伏せに浮かんでいた。
捕り方たちを呼び、すっかり暮れた川に船を出して三人の亡骸を船の上に引き上げた。検視を待つまでもなく、船上の提灯が照らす三人の脇腹には、匕首で深く刺された跡があった。おそらく、船の上で殺して、橋の下に捨てたのだと思われた。
「捨てられるところを見ていたものはいませんでした。ここいらは、昼間は人通りがありません。仕事帰りの大工が見つけて騒いだので、人が集まったようです」
栄三郎が堀の上から報告した。藤太と栄三郎が手分けをして野次馬から話を聞き出していた。
「うん、血があらかた流れているから、時間が経っているな」
真輔は船の上でゆっくりと立ち上がると、暗闇に包まれている深川の町をぐるりと振り仰いだ。権蔵たちは、もうここ、深川にはいないだろう。何も手に入らなかったにも関わらず、鶴屋も、春庵も、寛一たちも切り捨てて逃げ出したのだ。
「(行き止まりだな。)」
「旦那?」
「私は、このまま船で大番屋に戻ろう」
「でしたら、あっしたちは、もう少しこの辺りで聞き込みを致してからまいります」
「よろしく頼む」
「お染、一体どういうことなんだよ、これは」
と怒鳴った。春庵が慌てて、
「お鶴さん、お役人の前ですよ」
とたしなめた。だが、鶴屋のおかみは真輔の姿にひるまず、
「それなら、お役人様、何で私らがここに連れてこられなきゃならないのか、説明して頂けますか」
お梅の亡骸を前にして開き直るおかみに対して、さすがに真輔の顔色が変わる。だが、真輔は挑発に乗らなかった。
「お梅が死んだからです」
「そりゃ、見ればわかりますよ。可哀そうに、河内屋で何かされたのかねぇ」
「原因は流産ですが、その起きかたに不審があります。それで、あなたと、春庵先生に今までお梅の体に何をしてきたのか、尋ねたいのです」
春庵は鶴屋のおかみの半分も度胸がなかった。真輔の言葉を聞いて、「あ、あぁ」と悲鳴のような声を上げて、おかみに睨まれた。
「深川廻りの中川様はご存じなんですか?聞きたいことがあるなら、中川様を通してくださいな」
「今は、お梅の住処は私の廻り先の日本橋通い町です。お梅の死をあらためるのに中川さんの許可は必要ありませんし、止める権利もありません」
「でも、こ、ここは深川でしょう」
「そうですね。ここでは狭くて話ができない。お梅の体も詳しく検めたいので、大番屋まで来てもらいましょう」
強気のおかみを冷静に追い詰める真輔の姿に、藤太は感心し、栄三郎も真輔の新たな一面を見た気がしていた。そこへ、新たな人影が、狭い座敷の外れに下がっていた平太や藤太の息子を手にした十手で押しのけながら入って来た。後ろに二人の下っぴきを従えた岡っ引きの寛一である。寛一は、深川廻りの中川が新たに手札を与えた岡っ引きで、その十手はもっぱら弱いものを責めるために使われているのだった。
「これは、これは、藤太親分に、日本橋の栄三郎さんまで、お揃いで何事…、お梅、なんてこった」
「寛一親分、私ら大番屋に連れてかれちまうんですよ、何とかしてくださいな」
「おや、お役人様、勝手なことをされちゃ困りますね。一体どんな罪でこの二人を引っ張るんですか」
「話を聞かなければ、どんな罪かを決められないんです」
「じゃ、ここで今すぐ聞いてくださいよ」
寛一は若い真輔を侮って、袖をまくり上げて腕の入れ墨を見せつけた。
「おい、寛一、てめぇ、いい加減にしろっ」
さすがに藤太が怒鳴りつけたが、寛一は舌打ちをしただけで無視していた。それを見て藤太の息子が寛一に掴みかかろうとし、それを寛一の手下たちが止めようと動いた。その時、家の外で「御用、御用」という声が聞こえ、奉行所の捕り方たちが庭に現れた。
「与力の土井様のお言いつけで、笠原様の助太刀にまいりました」
捕り方の姿を見て、寛一はまくり上げていた袖を戻し、手下も手を止めた。腰が抜けたように座り込んだ鶴屋のおかみに仰ぎ見られて、寛一は顔をそむけた。春庵は部屋から逃げ出そうとしたが、座敷の出口もすでに捕り方たちに塞がれている。
真輔の指図で捕り方は吉次、春庵、おかみを捕縛し、大番屋に連行した。お梅は倒れた場所の畳ごと持ち上げられ、検視のために大番屋まで運ばれた。大番屋には、与力の土井が待ち構えていた。
「喜作を殺したのは、西門の権蔵だと言うのか。聞いたことのない名前だな」
「深川の岡っ引きの藤太でも、顔も住処の知らないそうです」
「賭場から糸をたどるしかないな。中川では充てにならん。笠原、おまえが権蔵とやらを探せ。捕り方を連れて賭場の連中を根こそぎ引っ張って、聞き出すんだ」
「承知しました」
土井の命令を受けた真輔は捕り方たちや栄三郎と共に、ようやく傾きかけた陽の下で再び大川を渡った。藤太の案内で回った深川の賭場はどこも、客とツボ振りや下働きだけがうろうろとしているだけで、中盆と呼ばれる仕切り役は現れていなかった。ツボ振りを捕まえても、つながりは中盆止まりである。西門の権蔵一味は、忽然と深川から消えていた。
「寛一のやろうが、権蔵に注進したんでしょう」
藤太の言葉に真輔も頷いた。
「残った糸は寛一だけですね。寛一をつかまえましょう」
捕り方たちに賭場を見張らせ、真輔と藤太、栄三郎は寛一の家に向かった。その途中、堀かかる橋の
「おいっ、何があった」
と大声をかけると、「あっ、親分さん」と何人かが振り向く。八丁堀の役人が一緒だと見ると、皆がさっと両脇に下がって道を空けた。真輔は深呼吸をすると、三人の先頭に立って掘割に近づいた。水の減った堀を覗き込むと、橋げたの下に三人の男の体が力なくうつ伏せに浮かんでいた。
捕り方たちを呼び、すっかり暮れた川に船を出して三人の亡骸を船の上に引き上げた。検視を待つまでもなく、船上の提灯が照らす三人の脇腹には、匕首で深く刺された跡があった。おそらく、船の上で殺して、橋の下に捨てたのだと思われた。
「捨てられるところを見ていたものはいませんでした。ここいらは、昼間は人通りがありません。仕事帰りの大工が見つけて騒いだので、人が集まったようです」
栄三郎が堀の上から報告した。藤太と栄三郎が手分けをして野次馬から話を聞き出していた。
「うん、血があらかた流れているから、時間が経っているな」
真輔は船の上でゆっくりと立ち上がると、暗闇に包まれている深川の町をぐるりと振り仰いだ。権蔵たちは、もうここ、深川にはいないだろう。何も手に入らなかったにも関わらず、鶴屋も、春庵も、寛一たちも切り捨てて逃げ出したのだ。
「(行き止まりだな。)」
「旦那?」
「私は、このまま船で大番屋に戻ろう」
「でしたら、あっしたちは、もう少しこの辺りで聞き込みを致してからまいります」
「よろしく頼む」