思惑

文字数 2,304文字

 幕府御用達でもある油問屋の大店河内屋の主人与左衛門の葬式は、さすがに慰問客が引きも切らず、店の表では小僧たちが客の案内のために独楽鼠のように立ち働いていた。それを、河内屋から少し離れた通りの向かいから、真輔が見つめていた。陽が傾いて来ていても暑さに陰りは表れず、着流しの足元に生暖かい風がまとわりついていた。その横に、足音もなく岡っ引きの栄三郎が立った。

 「お梅について、一通りの調べはつきました。」
 「早かったな。これから焼香に行こうと思うのだが、話はその後で良いかな。」
 「もちろんで。よろしければ、焼香の後で私の店の方にお寄りください。」
 「番屋で大崎さんと待ち合わせをしているから、一緒でもかまわないか?」
 「ご一緒にいらしてください。時分どきですので、精進落としをかねて何かご用意させて頂きます。」

 栄三郎は日本橋の近くにある仕出し屋が本業である。店は女房のおきぬが仕切っているが、栄三郎も岡っ引き稼業の役にも立つと、得意先回りも精力的に行っていた。

 「いつもすまないな。」
 「うちは食い物屋ですから、遠慮なさらないでください。」
 「では、そうさせてもらおう。」

 栄三郎が立ち去ると、真輔はゆっくりと河内屋に向かって行った。真輔が暖簾をくぐると、若い手代が飛んで来て、他の客の間を縫って祭壇の前に案内した。そこには、河内屋の面々と親戚らしい初老の男、それに若い男が二人座っていた。焼香を済ませて挨拶をすると、おかみの康江が、その男たちを河内屋の分家の吉左衛門に息子の長治と吉次だと紹介した。葬式の場に、お梅の姿はなかった。帰り際、挨拶に出てきた中番頭に尋ねると、根岸から移って来てからずっと奥の離れにこもり切りだと告げられた。

 真輔が大崎と連れ立って、栄三郎の店に着いたの頃には、茜色が空にほんのり残るぐらいになっていた。ようやく川風が出て来たようで、川辺りにある栄三郎の店の二階には心地よい風が流れ込んでいた。

 「暑い中、お疲れでございましょう。何もありませんが、とりあえず一杯やってくださいませ。」

 栄三郎の妻のおきぬが、冷酒と茹でた枝豆を運んできた。

 「これは、おかみ、かたじけない。」

 大橋が嬉しそうな声を上げ、さっそく杯を手にした。おきぬが二人に酒を注いでいると、下から栄三郎が自ら重箱を運んで来た。

 「秋の行楽用の新しい重箱を考えておりまして、これは、今手に入る素材で板前が試作したものでございます。よろしければ、大崎様と笠原様にお味見いただけないかと、持ってまいりました。」

 開かれた重箱には、酢の物、焼き物、煮物と総菜が美しく詰められていた。

 「旨そうだな。」

 大崎は目を輝かせると、杯を置いて、栄三郎に酒を勧めた。

 「まずは、河内屋与左衛門に献杯を。」

 大崎の言葉で、三人は杯を掲げ飲み干した。

 しばらく料理に舌鼓を打ち、酒で喉を潤したが、頃合いで栄三郎が箸を置いた。

 「笠原様、河内屋の分家にお会いになりましたか?」
 「おかみに紹介された。息子が二人来ていたが、女房はいなかったな。」
 「分家は、河内屋の先々代の弟に暖簾分けをした店で、今の主人の吉左衛門は、大おかみのいとこにあたります。長男が長治といい、女房は長らく寝込んでいるそうです。」
 「吉次という息子もいたが。」
 「はい、そちらは吉左衛門が深川の芸者に産ませた子供でございます。」
 「深川の芸者だと。」

 料理をつつきながら真輔と栄三郎の話を聞いていた大崎が、顔を上げた。

 「鶴屋の芸者か?」
 「いえ、吉次を産んでから芸者を辞めて、三味線の師匠なんぞをやっていたようですが、こちらは三年前に亡くなっています。」
 「で、その吉次ってやろうは、父親と母親のどっちで育ったんだ?」
 「母親です。」
 「深川とつながったな。」
 「はい、母親に養われてふらふらしていたのが、母親の死んだあとは、河内屋の分家に出入りしだしたらしゅうございます。その吉次の女が鶴屋の芸者でして、売れっ奴のお染でございました。」

 真輔と大崎は、同時にため息をついていた。

 「では、お梅はお染という芸者が吉次に紹介し、その吉次はお梅を与左衛門に合わせた…。」
 「笠原、おまえの言うとおりだと、吉次のねらいは与左衛門から、金を引っ張ることか?」
 「もしかすると、河内屋本店かも知れません。」
 「吉次が与左衛門を殺したというのか。」
 「可能性はあります。でも、それには少々時期が早いとも思います。」

 大崎は手酌で杯を満たして、飲み干した。

 「お梅の腹の子が、実は吉次の子で、それが与左衛門にばれたとか。」
 
 栄三郎が首を傾けた。

 「お染は深川きっての美人と評判の芸者で、吉次はべた惚れだと聞いてきたんですが…」
 「お染という女からも話を聞いた方が良さそうだな。」

 大崎はとっくりの首をつかんで、栄三郎に勧めた。

 「さきほど、吉次のねらいは河内屋本店かもしれないと言いましたが、それには河内屋分家の主人が絡まないと難しいですね。河内屋分家の商売はどんな具合なのかな…」
 「河内屋の分家ってのは、どこに店を構えてるんだ?」
 「へえ、神田だそうでございます。」
 「笠原、明日俺が、神田廻りの萩原さんに聞いてやるよ。」
 「ありがとうございます。」
 「そういえば、お梅はどうしてた?」
 「奥の部屋で大人しくしているようで、表には顔を出していませんでした。」
 「嵐の前の静けさか?まぁ、河内屋にはありがたいことだろうが。」

 真輔が目を向けた窓の外は、すでにとっぷりと暮れていた。そろそろ、と真輔が腰を上げると、栄三郎が慌てた。

 「それで、重箱のお味はいかがでしたか?」
 
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登場人物紹介

笠原真輔(旧姓:立花)…旗本の次男坊だが、縁あって八丁堀同心の家に婿に入り、亡くなった義父の後を継いで町廻り同心をしている。婿入りまで算学を学んでいた。妻の百合と心が通じ合えるようになってきている。

笠原百合…八丁堀同心の一人娘。父を亡くし、失意の中で真輔を婿に迎える。わけあって、真輔を受け入れられずにいたが、少しづつ心を通わせるようになっている。

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