005 お弁当と相合傘

文字数 5,094文字

『おはよ、今日は朝から行くよ』
『おっは! 偉いやん』
『お昼はそっち行く!』
『りょーかい、また後でね』
 千緒と電車内でのおしゃべり中、剣崎からメッセージが届いた。剣崎の登校回数は増えていて、今までなら疲れて休んでしまうような日も、本人曰く登校しているらしい。
 連絡先を交換してすぐの頃、昼過ぎに学校へ行こうか迷ってるというメッセージがきた。菖は『いつか学校で、お昼一緒に食べようぜ』と返した。以来、剣崎はなるべくお弁当を持参して授業を受けている。
「菖のおかげやねぇ」
 ニヤニヤした千緒が、スマホをしまう菖の頭を幼い子にするかのように撫でる。
「いや、あいつほら、友達いないし」
 菖は照れ隠しで思わず、鼻を触りながら変な顔をしてしまう。
「剣崎、最近こっちでは土門くんの友達の富沢くんと仲良しやよ。一緒の中学で、テストの点数とか競争しとったんやと」
「おお? 土門くんの友達なら安心、安心!」
 眼鏡の右フレームをクイッと触りながら「久野さん、安心してください!」と真面目に言う土門くんを妄想する。頼んだぞ、土門学級委員! と、会ったことない富沢トミーくん。
「でさ、菖。剣崎と付き合っとるん?」
 いきなりの質問に、思わず咳き込んでしまう。ゴホゴホッ、うぇっ、焦る。唾が気管支に入ったかもしれん!
「付き合うとか、なんもないって」
 掠れ声で悶絶する菖を見て、千緒は笑いながらも心配はしない。それより話が気になるらしい。
「だって剣崎って学校来たらさぁ、お昼休みは必ず菖んとこ行くやん。たまに放課後、一緒におるのも知っとるんよぉ?」
 千緒のニヤニヤが止まらない。たしかにそのとおりだった。
「千緒もさ、お昼休みこっちおいでよ」
 呼吸を整えたくて、胸元をトントンと叩きながら誘ってみる。
「美術科でなんて食べづらいわ、菖んたが食堂来てぇよ」
 自由な校風で知られております南陽高校は、お弁当持参も良し、2号館と呼ばれる校舎内の食堂を利用するも良し、お弁当はどこで食べても良し。というわけで、千緒は菖たちに食堂に来いと言っているのだった。
「剣崎があんまり行きたがらん気するなぁ」
 食堂は生徒と先生、関係者、そして周辺住民も町内パスの提示で利用できることになっている。安くて美味しいと評判で、中でも卵の優しい味が特徴の南陽炒飯と、ミートボールのっけパスタが大人気だ。あ、自家製プリンも美味しいよ!
 そういや剣崎、プリン大好きだって言ってたな? 一度だけ、食堂に行ったことがあるらしいけど、自家製プリンあったやろか?
 剣崎は食堂で、先輩女子と住民のおばさんに話しかけられたと言っていた。騒ぐような人はさすがにいないだろう、しかし何が起きるかわからないし足は遠のくと思う。
「で、付き合ってないなら、なんなん?」
 話はまだ終わっていなかった。わざととぼけた顔をして、千緒は菖を見る。
 剣崎とはすごく仲良くなってると思う。たまに、ドキドキさせられるけど。
「良きお友達、かな?」
 あきらかに不服そうな千緒の顔を見て、菖も似たような顔をした。同時にふたりで笑う。
 剣崎のことを、いい友達と思ってることに間違いはない。
 お昼休みになると剣崎はあの可愛らしい笑顔を振りまいて、僕も美術科の生徒です、という勢いで教室にやってくる。
 それが今の菖の、ちょっとした楽しみだった。


 今日の美術科の3、4限目は、3号館にある制作室でデッサンの授業だった。
「つっかれたー、連続2分ドローイングきついって」
「腹減った! ご飯だ、ご飯!」
 クラスのみんなと教室のある本館へと戻る連絡通路で、すでに剣崎が待っているらしい声が聞こえてくる。
「あ! 剣崎くん、はっや!」
 先に着いた誰かと、剣崎の笑い声が響く。美術科の生徒たちは、すっかり剣崎のことを受け入れてくれていた。
 連絡通路の角を曲がるとすぐに剣崎が見えて、菖は思わず駆け寄る。
「剣崎ー!」
「久野さん、お疲れ様! ご飯食べよー」
 お弁当を掲げてニコニコしている剣崎は、菖に続いて美術科の教室に入った。
 剣崎のお弁当は、お母さんが栄養士さんに聞いて作る栄養満点のメニューだそうだ。料理が苦手なあたしには、なかなか想像ができん。とりあえずプロテインをたくさん入れとるんかもしれん。
 あたしのお弁当はママがたまに作ってくれたり、用意がない日はコンビニで買ったり、剣崎がいなければ食堂に行ったりと、栄養のことなんて考えてない自由なお昼だった。剣崎のお母さんの話を聞いて自分でお弁当を作ったこともあったけど、冷凍食品を詰めるだけで時間がかかった。卵焼きは焦った結果、スクランブルエッグに変身した。
「いっただきまーす!」
 みんなで手をあわせる。一緒に食べるメンバーは大体、菖と剣崎、歩乃香にマオミ、リコ、土門くん、同じ中学のハッシこと橋本に、ノヤマっち……日によって増えたりする。でも自然と、教室にいるみんなで話しているような気がする。
 いつも剣崎は菖の左隣の、食堂に行くキシイくんの席を陣取る。そして菖の机と必ずくっつける。
 菖の前の席に座る歩乃香が机を後ろ向きにし、それに合わせてみんなが机の向きを変えて、なんとなくの固まりになっていた。
「ねぇねぇ、菖ちゃん。前にさ、コーラがもったいないもったいないって言ってた時期あったやん? あれ、おもろかったよねぇ」
 唐突のマオミの天然発言に、菖は思わず飲んでいたお茶を吐き出しそうになる。
 朝のデジャブか? 剣崎が大笑いしながら背中を優しく叩いてくれる。あたしはご飯のとき、必ず髪をひとつ結びにするから叩きやすかろう。
 歩乃香が笑いながら「コーラ大好き女」と呟き、土門くんが「歴史に残る、前代未聞のあの事件」だなんて言っている。
 あの事件とは、あの騒動だ。いつの間にか学年中に知れ渡っていて、たまに噂の尾鰭(おひれ)がついて違う結末を迎えていたりする。この前は、菖が男子全員を殴り倒したことになっていた。
「すまんな、今コーラじゃなくて」
 咳き込みながら喉を潤そうと、みんなにペットボトルのお茶を見せつけゴクゴクと飲む。
「久野さんは、僕よりコーラだもんねー」
 菖を一瞥した剣崎が頬杖をついて、あっけらかんと言う。
 キャーッ‼︎ みんなの叫び声が、教室内に響く。菖は目を丸くし、驚きすぎて声も出ない。
「おいおい、聞いたか? ビッグスクープ発見! 剣崎くんと久野さんの相合傘書いてやろーぜ!」
 少し離れた席の男子たちが、ヒューヒューと囃し立てながら黒板に向かう。
「ちょっ! こら、待て!」
 とたんに菖も男子たちを追いかける。その様子を面白そうに眺めていた剣崎に、歩乃香が真面目な顔を向けた。
「菖、あんなんだから剣崎がちゃんと言わなきゃダメよ? あの子、こういうことには鈍感だし。菖を狙ってる先輩とかいるんだからね」


◇◇◇

 ちゃんと言うって、どこからどこまで⁈
 それに、狙ってる先輩って、誰⁈ 聞き捨てならないんですけど?
 でも僕は聞けなかった。久野さんがモテるのも、わかる気がする。何より江藤さんからのいきなりの忠告に、心臓をギュッと掴まれたようで、痛い。
 安易にからかうなよ、と言いたげな目もしている。
 恋愛マスターであろう江藤さんのオーラと凄みが強すぎて、「そっかぁ」なんて適当な相槌でごまかしておいた。
 気持ちなんて、わからない。好き? 愛? 遊びたい? 寝たい? 僕はなるべく、久野さんと一緒にいたい。
 例えば久野さんが長期休暇とかで学校にいない状況ならば、僕はこんなに登校していなかったと思う。
 相変わらず部屋でひとりになると、久野さんへの身体の反応は収まらない。罪悪感から気持ちを否定したかったはずなのに、スマホを触れば連絡をしようか迷う始末だった。
 下心も何もなく男子と駆け回っている久野さんを可愛いと思う反面、力尽くで止めたくもなる。ああ、スカート短くない? はしたないこと、もう絶対しないでね? 僕以外の男の前では!
 しばらくしてお転婆娘の努力の甲斐も虚しく、黒板に相合傘を書かれてしまった。美術科だけあって、たかが相合傘なのに上手い。すべてのチョークを使ったカラフルで大きな傘には、ノゾム、アヤメと書かれていた。
「アヤメ……」
 初めて彼女の名前を口にした瞬間、なぜだかすごく愛しいものを生み出したかのような、不思議な気持ちになった。
 息を切らしながら「あんにゃろー!」と戻ってきて、立ったままお茶を飲む行儀の悪い彼女に、小声だけど聞こえるよう、もう一度言ってみる。
「……菖」
 ぶはぁ‼︎ 今度は本当にお茶を溢してしまった。吐き出した、というほうが近いかもしれない。面白すぎる。
「ちょっと菖!」
「ティッシュ、ティッシュ!」
 江藤さんや土門くんが慌てる中、口元を拭う菖に睨まれる。
「びっくりする、した、してる、ん、だけ、ど?」
 黒板の相合傘はあっという間にハートまで舞っていた。少し顔がニヤけてしまう。
「おい、なにニヤけてんだよ?」
 不思議そうに睨む菖にはわかるまい。
 好きだ、と言うことは簡単だ。でもこの気持ちを、簡単に伝えたくはない。大切に、大切にしていきたい。
 それに菖のことを心の底から好きなのかわからない。そもそも底って、どこ?
 気づくと、隣にいたはずの菖がいない。前方を見ると、菖は文句を言いつつ大笑いしながら黒板を消していた。きっと僕の隣にいることが恥ずかしくなったに違いない。なんとなく、わかる。
 菖は時折、黒板消しを持ちながら僕たちのほうを見て笑っていた。こっちに座るみんなも、笑っていた。相合傘を書いた男子たちも笑って、最後には一緒に消していた。


 昼休みも終わる頃、教室に戻る僕を見送ろうと菖も一緒に廊下に出てきてくれた。
 よく見ると、菖の黒いポロシャツの肩にチョークの粉が舞っている。背伸びして黒板の相合傘を消している姿がよみがえり、僕は笑ってしまう。
「なーんーだーよ?」
 膨れっ面の菖の肩を払ってあげる。瞬時に身体をのけぞって「何?」と訊いてきた。
「汚れてるの。チョークで」
 菖もやっと気づいて自分でも払う。
「やだ、これ髪もやん?」
「あはは、ほんとだ」
 さっきまで結ばれていた髪は下ろされていたけど、頭にもチョークの粉が飛んでいた。
 粉を払いながら思わず、綺麗で艶やかな菖の髪を撫でる。僕も菖も黒髪で、髪質も似ているかもしれない。でも菖の髪の毛のほうが、ずっと綺麗だ。胸元まで伸ばした美しい髪。
 撫でながら、真っ直ぐの髪が菖の肩のあたりで僕の指と戯れる。
 伏目がちな菖の長い睫毛、ピンクに染まった頬。まばたきしながら照れているのがわかる。僕は少し、顔を近づけた。
「菖?」
「そーだ! さっきいきなり呼ぶから!」
 照れた顔を隠そうと僕の手を払う。
「恥ずかしがってんの、可愛いね、菖」
 僕は半分わざと、意地悪を言ってあげる。半分本気で、嘘はない。
「ばっ、ばあああか!!」
 菖は両頬に手を当てて、なんとも言えない顔をしている。可愛いというか、本当に面白い。
「あはは! じゃあね、今日は練習ないから一緒に帰ろ」
 そろそろ僕も照れてきたので、足早に教室に向かった。


 6限目の授業は古文だ。菖の親友で1組特進科の学級委員、篠宮さんが始業の号令をかける。
 眠くならないよう、お弁当は少なめにしてもらってるんだけど、すごく眠い。僕はあくびを噛み殺し、学校に毎日来れないんだから、と自分自身に言い聞かせて黒板に集中する。
「しゃうぶ、これはちょうど今頃の季語です。先月、5月の花。通常の読み方は、しょうぶ、ですね」
 品のあるおばさまの先生が、黒板に大きく「菖蒲」と書いた。菖……アヤメ?
 もしかして菖って、5月生まれ? だとしたら、もうとっくに終わってる! お祝いしたかった‼︎
「菖の誕生日? 5月5日やよー」
 授業が終わってすぐに篠宮さんに聞くと、案の定、誕生日は先月だった。ゴールデンウィークなんて、まだ学校にも行けてないときだ。
「やっぱり! しかもこどもの日!」
 なんだか菖らしい日で笑ってしまう。篠宮さんは机からノートなどを取り出して、帰る準備をしていた。
「知らんかったん?」
「そう、だからもし誕生日だったなら、お祝いしたかったなーって。来年はお祝いしたいなぁ」
 こんなこと篠宮さんに話してしまって恥ずかしいかもしれない。頭を掻く僕に、篠宮さんはうーんと腕組みをして考える。
「剣崎ってさ、丸一日お休みの日ないん?」
「えっ⁈」
 急に聞かれてうろたえてしまう。スケジュールを思い出してると、まさかの提案をされた。
「軽くお祝いがてら、菖とデートしたらいいやん?」
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