008 初めての私服

文字数 5,483文字

 日曜日、約束の10分前に菖は双葉駅に着いた。ほどなくして、剣崎も改札から出てくる。少し大きめの黒縁眼鏡をかけた剣崎を見て、挨拶なんて忘れて驚いてしまった。
「えー! 剣崎、黒縁似合う‼︎」
「ほんと? それは嬉しいな。おはよう、菖」
 おはようと返しながら、菖は剣崎の眼鏡姿をスマホのカメラで連写する。思わず「可愛い可愛い」と言ってしまうが、剣崎はそんな菖に照れながらも駅ビルの案内看板を見ていた。
「んー、混んでるかもしれないけど、せっかくならコトブキのほうでお昼食べようか」
 駅ビルにはファストフードと居酒屋くらいしかない。
 コトブキとは寿海(じゅかい)駅周辺のことで、この地方では一番栄えている大都市エリアだ。東京ほどではないが、狭いエリアになんでも揃っていて若者も多い。双葉駅からは20分ほどで、菖もよく買い物などをしている。
「いいけど剣崎、降ろしちゃってごめん」
「大丈夫、双葉駅でご飯食べようかどうしようか迷ってたから。よし、そうとなれば行こう!」
 笑顔の剣崎は、勢いよくICカードをタッチした。
 寿海駅は南陽高校前行きとは反対の路線だ。つまり剣崎は、ここに来るまでの電車に乗っていればそのまま着いたのだった。
 剣崎の背中を、優しいなぁと思って見ていた。でもファストフードでもあたしは全然いいんだけど、と思って菖は気づく。剣崎はあまりそういうの、食べないのかもしれない。
 ホームで電車を待つあいだに訊いてみた。
「普段はファストフードとか、あんまり食べへん?」
「そんなことないよ、ダブルチーズバーガー大好きだし。コーラも頼めるし。ただ控えてはいる、今は特に」
 どこで食べるか、剣崎はスマホで検索していた。「ちゃんと座れるところがいいよね」なんて、ひとりで呟いている。
 横顔を見ても黒縁眼鏡が本当によく似合っていて、菖も黒縁眼鏡を買って勝負したいと思った。
 服装も全身が黒色に包まれていて、そこも菖にとってはポイントが高かった。細身で透きとおるような青白い肌の剣崎には、黒が映える。肩が見えるくらい広く開いたゆるめのオーバーチュニックが、風に吹かれてぱたぱたと揺れていた。下にはタンクトップを着ていて、覗く鎖骨が折れそうなほど浮き出ている。パンツはレギンスを履いているのかと思うほどピタッとしていて細い。
 到着した電車は、日曜日だけあってかなり混んでいた。人が押し寄せて奥に追いやられると、剣崎が菖を壁際に立たせてくれる。
「細いのに、そんなんいいよ?」
 菖はわざと挑発的な顔をしてみせた。剣崎も、むすっとした顔を見せる。
「こう見えて力はあるんですぅー」
 そう言ってわざと菖の顔の横に片腕をくっつけて、壁にもたれながらほかの人が菖に触れられないようなゾーンを作る。剣崎の身体が目の前に近づいて、少しドキッとした。
「あはは! 大丈夫だってば!」
 菖は剣崎の腕を下ろさせた。剣崎の腕はその細さから信じられないくらい、筋肉で硬い。車内冷房のおかげで剣崎の腕はひんやりしていて、なんとなく腕に手を添えたままでいた。
「菖はさ、パンク系が好きなの? それともロリータ系?」
「えっ、パンク寄りなファッションが好き! ロリータも着てみたい! そういうの、わかるん⁈」
「詳しくはないけど、ちょっとは」
 剣崎は菖の服装を見て言ってくれたのだった。
 MILKの黒いパフスリーブTシャツに、赤いチェックのスカート。同じ赤いチェックのリボンがついた黒いベレー帽もかぶっていた。最近のお気に入りのコーディネート。小さなリュックもオーバーニーソックスもエナメルのパンプスも、もちろん黒色だった。
 剣崎が個性的なファッションのことを知ってるだけで菖は嬉しかった。男子では、なかなかいない。あまりわかってもらえないと思って、剣崎の前ではこれでもおとなしくしてきたほうだった。菖は普段、もっと激しい服装のときもあるからだ。
「さっきから菖は僕のこと可愛いとか言ってくれるけど、菖のほうが本当に可愛いよ。首のはリボン?」
「そう、スカートと帽子と同じ赤チェックのリボンがあったから、首に巻いてみたんよ」
 同じ生地のリボンをチョーカーのようにしてみた。この同じチェックを使ったセットアップは、父の和彦や叔母たちも気に入って、買ってくれたものだった。
「オシャレだね。よく似合ってるよ」
「えへへ、なんか嬉しいな」
 嬉しいし恥ずかしくて、触ったままだった剣崎の手首を少し振り回した。わーい! 剣崎がすかさず菖の手首をとり、止めさせる。お互い顔を見合わせて笑ってしまう。
 黒づくめのあたしたち、わりと絵になってんやない? バンドマンみたいな剣崎もかっこいいやん! なんて思って、あたしはにやけてしまった。
 寿海駅を降りると駅の大きさや人の多さで、非現実な世界へと放り込まれたように思えてくる。穏やかな双葉駅や南陽高校前駅とは大違いだ。
 中学のときだってここでもデートをしたことあるのに、菖はドキドキしてきてしまう。
 剣崎は慣れている感じだから、今までたくさんデートとかしてきたんだろうか?
 どうしよう、あたし全然わかんないや。菖は不安になってきてしまい、剣崎の顔を見た。
「うぅ、緊張してきた」
「僕も!」
 そう言いながら剣崎は余裕のある笑顔で、人混みの中を颯爽と歩いた。


◇◇◇

 菖にファストフードのことを訊かれて、お昼はそういうところにしようかなとも思ったけど、いかにも学生が集まっている様子を見ると躊躇してしまった。
 僕は前に、スケート仲間と来たことがあるファッションビルのレストランフロアにしようと決めた。
 エスカレーターで上っていく途中にガチャガチャコーナーが見えて、菖が時間があったら行きたいとはしゃぐ。僕より先にエスカレーターに乗せた菖は少しだけ背が高くなって、こっちを向くと胸のあたりが目についてしまう。慌てて目線を下ろせばミニスカートで、絶対に上りエスカレーターは気をつけてあげよう。勝手に心の中で誓う。
 食べたいものを聞けてなかった。レストランの案内パネルを一緒に見ながら、どうしようねーなんて話していると「ここにしよ!」と菖がパネルを指す。
 オムライス専門店だった。きっと以前、僕がオムライスが好きだと言ったことを覚えていてくれたに違いない。
 高校生のデートって、どんなところでご飯を食べるのだろう?
 ちゃんとしたお店とか言うけど、どこからのことを言うのだろうか?
 たまにコーチ陣に連れていってもらうお店は絶対にちゃんとしたお店だと思うけど、大人でも高そうな場所だ。母さんが同行すると感謝感激している。そんなところに今の僕が連れていけるわけないし、行ったとして菖は好き嫌いが多いみたいだから懐石料理とかは難しい気もする。
 レストランフロア全体がすごく混んでいた。オムライス専門店の前で、座って待つようにと言われふたりで座る。菖は行き交う人を観察しながら、足をぷらぷらさせていた。
 スカートと黒いニーハイから覗く白い太ももが、初めて見た菖の姿を思い出させる。教室で蹴り上げていた、はしたない脚。細すぎず、きっと柔らかい、少しむちっとした太もも。
 いつか僕は、その太ももに触ることができるのだろうか? 不思議な気がした。触りたくないのではない、触ることが想像できなかった。
 触れてはいけない領域な気がしてしまう。
「どうした? 外、暑かったし、熱中症?」
 菖が僕の顔を覗き込んでいる。瞼や唇がメイクでキラキラしていて、普段の顔と少し違って余計にドキッとした。
「ううん、大丈夫。菖と私服で出かけられて、嬉しいなーって思ってたとこ」
「はあああー? でもだいぶ、剣崎のそのわざとらしく言うの、慣れてきたもんねーっ!」
 せっかくメイクをしてきているのに、あっかんべーと舌を出して手で目をひん剥いて、変な顔をしながら菖はふざける。僕はつられて笑ってしまうけど、少しムカついて菖の帽子を拝借して僕の頭に乗せた。帽子を盗られた髪の毛がふわんと揺れてしまい、僕が指で直す。
「え、剣崎さらに可愛いんですけど!」
 髪のことを一切気にしない菖は、革のリュックから鏡を僕に渡してきた。見てみると、うん、たしかに僕この帽子、似合うかも。角度を変えると大きなリボンが垂れ下がっていてびっくりするけど。
「ずりーな、ほんと。剣崎はなんでも似合うんやから」
 一緒にスマホカメラで撮りながら、菖はふてくされる。可愛い。僕は菖に帽子をかぶせ、ぽふぽふとなだめた。そんなことをして笑い合っていると、店員さんが来て店内へと案内される。
 窓際の席で見晴らしがいい。菖も「わあ! 綺麗やねぇ」なんて喜びながら、座ると同時に素早くメニュー表を開く。短時間ながら散々悩んだ菖はおこげご飯のオムライス、僕はたまごたっぷりケチャップオムライスにした。少し交換したりして、どちらも美味しかった。
 菖はコーラも飲みたそうだったけど、お互いお弁当のときはお茶なんだし炭酸はやめておこうと話す。菖はアイスティーにして、僕はアイスコーヒーにした。コーヒーは飲めないと聞いて、やっぱりおこちゃまだなーなんてついついからかってしまう。
 食後のイチゴパフェが届いた。菖が悩んでいたメニューのひとつだ。「剣崎が食べないならやめとくー」なんて言いながら、ずっとデザートのメニューを見ていた。「ひとりで食べられる量なら、頼んじゃいな」と言うと、すぐに追加していた。面白すぎる。
 ミルクも何もいれないアイスコーヒーを飲みながら、僕はまた父性のような、保護者のような気持ちになってきてしまった。パフェを喜ぶこども、それを見守る父親、みたいな。
「剣崎もちょっと食べる?」
 菖がほっぺたに手を当てて、美味しーいと言っている。目までとろけているような顔をしてるから、僕の父性はすぐにどこかへ飛んだ。
「食べる。菖、食べさせて。あーんして、ってちゃんと言ってよね?」
 さっきまでの美味しそうな笑顔は消え、眉間に皺をよせてあきらかに「はあ?」といった顔をしている。こういうところも面白くて仕方ない。
 菖は器用にスライスされた苺とイチゴアイス、生クリームをスプーンですくい、僕に無言で差し出した。少し待ったけど何も言わない。さすがに仕方ないか、敵は手強い。僕が口を大きめに開けて、食べようとしたそのとき。
「⁈」
「んあー、美味しい♡」
 なんと菖がスプーンをひるがえして食べたのだ! 僕に差しだしたのに!
 僕のこの開けてしまった口は、さらにあんぐりとしてしまう。こいつ……やりやがったな‼︎
 一段と美味しそうな顔をしてる菖に笑えてきてしまうけど、ここで流されて笑ってはいけない。僕は椅子の背もたれに沈みながら、わざと口を曲げて態度に表した。
 僕を見て、菖は観念したのだろう。急いでまたスプーンを動かす。
「ごめんって! 剣崎、はい、あーん」
 口が笑いそうになって歪んでいる……黙ったまま身を乗りだして菖をじっと見つめると、スプーンが少し震えてもう一度、「あーんして?」と恥ずかしそうに言ってきた。よし、許してやるか。
 少し警戒しながらパクッと食べる。ひんやりした甘みが口いっぱいに広がり、さすがの僕も笑顔になった。
「美味しい?」菖が嬉しそうに訊く。
「おーいしーい♡」
 菖みたいに両手を頬に当てて、おそらく今僕はとろけそうな笑顔になっていると思う。コーラよりも、アイスクリームのような甘味を控えていたからさらに美味しい。
「ちょっと貸して」
 菖の手からスプーンとパフェのグラスを貰う。頷きながらニコニコとしている菖のその顔は、一口パフェを食べた僕がもう少し食べたいのだと思っているんだろう。スプーンにイチゴアイスと生クリームをたっぷりと取る。
「菖、はい、あーん」
 スプーンを差し出した僕のまさかの行動に、菖は「えっ‼︎」と小さく叫ぶ。僕の口元は笑いながらも、絶対に意地悪そうな顔をしてしまっている、はず。
「早く、あーんして?」
 言葉にならない呻き声のような鳴き声のような声を出して、菖はスプーンの先を見ながら恥ずかしそうに口を小さく開ける。
「ほら、もっと口開けてこっち見て、菖」
 苦しそうな顔で僕のことを一瞬だけ見て、口を開けて目を閉じた。グロスなんて塗らなくてもふくらんでいるピンク色の唇と、中から見える舌のいやらしさ。見惚れそうになっていると、菖が薄目を開けてスプーンのほうに自ら口を出す。
 お店じゃなかったら、我慢できなかったかもしれない。薄目で小刻みに震える菖に興奮するしかなかった。
 僕はすぐにスプーンを菖の口に入れて、「美味しいでしょ?」とごまかす。
 恥ずかしそうに「美味しい」と顔を赤らめる。菖に教えたかった。こんなにエロティックな顔をするんだよ、と。……僕は完全に不審者と同じだ。
 そんな僕なんて露知らず、菖は元気にイチゴパフェを完食した。僕といえば、日中なのに罪悪感が勝ってしまう。
「剣崎、あれでご飯足りるん?」
「足りてる足りてる、おなかいっぱーい!」
「少食うらやますぎるんだが?」
 窓の外を眩しそうに見つめながら、菖が結んでいた髪を下ろして帽子をかぶる。僕の下心や罪悪感なんて消えるくらい、菖も眩しく見えた。
 食事代は僕が払うと言っているのに、「パフェ食べたもん」とかレジの前でうるさい菖に少し出してもらう。スマートなデートの練習ができるとこ、どこかにないのかな? 僕は格好つけたい性分なんだけど。
 そもそもこのデートの主旨を、まだ菖に伝えていない。ちょっとしたプレゼントは買ってある。さて、どうしようか。
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