009 ほどかれたリボン

文字数 5,101文字

 あたしより剣崎のがこの帽子似合うって、どういうことだよ!
 菖はふてくされながら目の前の剣崎の、いつもより近い後頭部にまた帽子をかぶせる。下りエスカレーターで前に立つ剣崎は、振り返りながら帽子をおさえて笑う。
 剣崎の両肩にそっと手を置いてみた。顔がはっきり見えない今だからこそ、菖はそうしてみたかった。後ろから見える剣崎のほっぺたが笑っている感じがする。エスカレーターはすぐ平らになって、剣崎の肩に置いた手は上のほうにいって離れた。
 声を出して笑う剣崎がまた下りエスカレーターに乗る。菖もまた剣崎の両肩に手を置き、今度は少し体重をかけて遊んでみる。顔は見えないけど、剣崎が笑っていることが肩に触れた手を通して伝わってきた。
 一緒にいると剣崎のいいところがたくさん見つかる。
 ちゃんと着いてきているか確認しながら歩いてくれたり、上りエスカレーターでは先に乗せてくれたり、きっとおなかが膨れないよう遠回しにコーラを回避させてくれたり。
 今までの男子も似たようなことをしてくれたけど、何かが違う。なんだろう? 答えが出ない。とにかく一緒に笑っていたい、そう思った。
 パフェのときはおもろかったなー! うまくいった! でも恋人同士みたいなやり取りを強要されたことは、少し不覚だった。
 はたして自分は剣崎にふさわしい女なんだろうか? 菖は自分の幼稚さにも、剣崎との距離を感じていた。わかっていても、すぐに女らしく振る舞えない……こんなにも近くにいて剣崎の優しさも伝わってくるのに、どこか胸がざわめいていた。
 でも今日は、楽しむんだ。剣崎との初デート!
 ガチャガチャコーナーは遠くから見ても人が溢れていた。
「ガチャガチャはいいや、剣崎、外に出よ」
「いいの? 楽しみにしてたでしょ?」
「うん、でも今日はいい!」
 家の近くのショッピングモールにもガチャガチャはある。今日は剣崎との時間を優先したかった。そのことは恥ずかしくて伝えられない。
 ファッションビルの外に出た。繁華街の人混みとアスファルトの熱気が、身体全体を覆う。陽射しが眩しくて、剣崎は手で遮りながら目を細めていた。菖に帽子を返してくる。
「菖、ぶらぶら歩きながらさ、海のほう行ってみない?」
 コトブキエリアの奥は海が広がっている。繁華街近くの海は遊泳禁止で、コトブキの海といえば大人デートの定番スポットだった。おそらくきっと夜のデートのことだと思う。
 今の時間ならそんなに人はおらんのかな、普段そっちまで行かないからわかんねーな。でも剣崎と一緒なら、いっか。
 剣崎は菖の答えを待ちながらゆっくり歩き、ボディバッグに忍ばせていたペットボトルの水を飲み干した。
「じゃあ、コンビニ寄って海行こっか! 海なんて久しぶりやわ」
「僕も! せっかくコトブキ来たからさ、菖と海を見るのもいいかなーって思って」
 ふたりで海方面に向かって、一緒に日陰を探しながら歩く。剣崎は日焼け止め塗ってるのかな? あたしは塗ってきたけど、塗り直すのが面倒で持ってこなかった。
「海で泳いだりするん?」
「僕は氷専門だからね、と言いたいところだけど、実は水泳も得意だよ。習ってたんだ。でも海は行った覚えないかなぁ」
「あたしも小さい頃は海で泳いだけど、今は海とかプール行かへん。日焼けも水着もぜーったいやだ!」
「え、嫌なの? ちょっと残念、見たかったな」
 意地悪そうな顔をする剣崎の脇腹に、菖はよわよわパンチをする。少し手が当たった脇腹は硬くて、密かに驚いてしまう。
 コンビニを見つけ店内の冷房で生き返った。
「やっぱり夏はさ、水族館行きたいなぁ。夏やなくても水族館大好きやけどさ」
「僕、水族館って小学校の遠足くらいかも。行きたい!」
「今度行こっか、おまえ暇んとき」
「菖は何が好きなの? イルカとか?」
 剣崎は楽しそうに魚がすいすい泳ぐ真似をしながら、ペットボトルのコーナーを見る。菖も真似して後に続く。
「イルカも見るよ! ショーもあるし! あとペンギン大好きやし、シャチもおっきくて人懐っこくて、だーいすき!」
「シャチ? 見たことないかも」
「マジかよ、それ人生損しまくっとるぞ?」
 剣崎が思わず吹き出した。
 菖は笑いながら驚いていた。海も水族館もほとんど経験していない剣崎。子供の頃から本当に、スケート命やったんやなぁ。
 剣崎は水を3本も買った。菖はリュックにしまおうと開けて待機したが、剣崎がレジ袋に入れて持つから大丈夫と断った。
 コンビニを出てリュックを閉じるついでに、ガーゼのハンカチに包んだ保冷剤を剣崎に当てる。
「ひやっ⁈」
 首を抑えて驚く剣崎に、菖は爆笑しながら保冷剤を渡した。
「菖、これ持ってきてくれたの?」
 剣崎が目を丸くしている。
「うん! 暑さに弱そうで白くて細え奴いるからさ、保冷バッグに保冷剤詰めてきた! まだあるから、存分に当てとくがよろし!」
 はっはっは、と菖はわざと腰に手を当ててふんぞりかえった。なんとなく、暑さに弱そうなのはこれまでの剣崎を見てわかっていた。海に行くのなら余計に、保冷剤持ってきて良かった!
「ほんとびっくりした、ありがとう。めっちゃ嬉しいー‼︎」
 剣崎はいつの間にか黒いスポーツタオルを出して、保冷剤とともに首に巻いていた。黒縁眼鏡とスポーツタオルのギャップが、またいい。菖は思わず歩きながら飛び跳ねた。
「あ! ちょっとあっち行ってみようぜ、剣崎!」


◇◇◇

 菖が指差したほうを見る。Y字のような道沿いに、大きな白いテント型のイベントブースが連なっていた。行き交う人が多いわりに、イベントブースの中は人が少ない。
「キャッティパーク! 千緒と弟と夏休みに行く予定なんよ!」
 猫のキャラクターが並ぶブースに菖は入っていく。3年ほど前にこの地方にできたテーマパークがキャッティパークだ。建物も乗り物も園内すべてが猫モチーフだけあって、じわじわと人気の場所になりつつある。僕は行ったことがないし、なかなか入園チケットが取れないと聞いたこともある。
「菖は行ったことあるの?」
「1回だけ! でもオープンしたばっかりで、めちゃくちゃ混んでてほとんど遊べなかったんよ。だから夏休みに遊びに行きたくって」
 菖は猫のぬいぐるみを目で追っていた。黒猫のぬいぐるみが並ぶ列を見つけると、僕に見せてくる。
「ね、あたしたちみたい!」
「ほんとだ」
 はしゃぎながら笑う菖と猫のぬいぐるみに、僕はきゅんきゅんしてしまう。
 あやよくば菖に、横に掛けられている黒猫の耳を着けてほしいんだけど……と思いながら、その奥のスタッフさんがいるテーブルが気になった。
 お試しイベントと称して、小さめの猫のぬいぐるみの色などをお選びできますと書いてある。
 菖を連れてそのテーブルを見てみた。基本の生地の色、プラスチックの楕円の目の色、口元の刺繍を選んで自分だけの猫のぬいぐるみが出来上がるらしい。ぬいぐるみは15cmくらいの大きさで、いろんな色が見本として並べられていた。何これ、ちょっと可愛い。
「好評ならキャッティパークで販売するつもりなんです。お試しですけど、ちゃんとキャッティパークのタグも付きますよ」
 女性スタッフさんが声をかけてくれる。菖も「えー、こんなん迷ってまうよね」なんて眺めていた。
「最近だと、推しの芸能人の担当カラーで作られたりする方も増えてます。昨日もこの近くでライヴがあるとかで、バンドマンさんのカラーで作られたファンの方もいらっしゃいました。ぬいぐるみの耳にピアスをつけるって言われてて、自分好みにカスタムするのもいいですよねー」
 菖が小さな声で「ミサかも」と呟いた。
「友達?」
「いや、親戚みたいな。てかさ、推しカラーとかで作るの良くない? 剣崎なら、黒地に青目かなぁ?」
 え、僕って、菖にとってただの推しなの? 血の気が引きそうになる。だめだ、保冷剤保冷剤……深呼吸。
 推しなのかなんなのか気にしたくなくて、会話を変えようと僕はスタッフさんに値段を訊いてみた。すると、お試し企画だからひとつ千円だと言う。思ったより安い。
「菖、黒地に青い目だっけ? プレゼントする」
 なんかもう推しでもいいや、むしろ押しつけだ! 僕の分身と思ってずっと持ってろ!
「えええ、なんか悪いよ、いいよ」
 驚いた菖は両手を振って遠慮する。
「やだ、早く口元も選んで」
 僕も引かない。
「あ、じゃあさ、もうひとつ選んでいい?」
「2個欲しいんだ? いいよ、持っていきなよ」
「も、持ってく? いや、剣崎に……剣崎にも、あたしのカラーも持っててほしいなーって、思って……」
 後半、声がか細くなって目を逸らす菖に今度はこっちが驚いてしまう。
「あ、嫌ならいいんよ!」
 うってかわって僕の服の裾を引っ張り顔を少し赤くしながら、泣きそうな潤んだ目で見てくるから参ってしまった。
「嫌じゃないよ、菖の猫もどうしようね?」
 スタッフさんが口元を隠しながら、笑っているのが見えた。


 歩いて海岸沿いに来た。潮風のにおいを堪能しながら、菖は飛ばされないよう帽子をリュックに押し込んでいた。海の近くなんて国内外で散々行ってるのに、スケート関連で行くから泳ぐ暇なんてない。
 繁華街から少し離れているとはいえ、観光地も兼ねているのだろう。もう少し歩けば大きなホテルで日陰になっている場所がある。
 キャッティパークのお試し猫ぬいぐるみは出来上がりまで1時間かかるらしく、海から戻るときに取りに行くことにした。
「わああ! すごい、見て! 綺麗だよ」
 日陰になった場所に着くと、菖が防波堤の上に駆け上がった。高い場所で遠くを眺める立ち姿。いつもよりも身体のラインがわかる女の子らしい袖のTシャツのおかげで、かっこいいのにセクシーさがあった。
 僕も菖に続いて階段を上る。目線が高くなっただけで、大きな海を一望できた。
「すごいな、水平線」
 僕は水平線に手を伸ばしてみた。菖も隣で真似している。
 潮風が汗ばんだ身体を拭う。下の砂浜は熱そうだし高さがあるから、落ちないようにしないと。僕は菖を座らせ、隣に座る。しばらくふたりで海を眺めていた。
「菖、少しは元気出た?」
 蒸し返すつもりはなかったけど、やっぱり気になってしまう。今日の様子は至って普通だったけど、無理してる気もした。
「うん。元気やよ! ただ……」
 菖は海を見ながら足をぷらぷらさせた。
「今日会うのもさ、スカートなんてもうやめたほうがいいかな、とか。ずっと迷ってたんよね」
 赤チェックのスカートが潮風と菖の足で少し揺れている。
「でもさ、いつ起こるかわからんことに屈してたら、あたしらしくないよなって思って」
 一度ぎゅっと強く目を瞑った菖が、隣の僕を見た。
「もし怖いことがまた起きても、剣崎がいてくれる。そう思ったら、こんなに素晴らしいことはないんかもなって、思って」
 菖の目がみるみるうちに涙目になって今にもこぼれそうだ。
 僕は思わず、涙がこぼれないように、両手で菖を抱きしめてしまう。
「菖、僕はそばにいてあげられないときもあるんだよ」
 きっと今までも怖い思いをたくさんしてきたんだろう。でも僕は、学校に行けない日が多い。常に菖といられるわけじゃない。僕が普通の高校生なら良かった。
 普通の高校生には、もう戻れない。
 菖は何度も頷きながら僕の腕の中で静かに泣いていた。
「ごめん、ごめんね。でも僕、菖と一緒にいたい」
 すると涙をこぼしながら驚いた顔を見せた。
「突き放される、かと思った」
 そう言って菖は、こどものようにわああんと泣いてしまう。
「僕に?」
 慌てて菖の顔を見るも、僕の胸元に顔をうずめてしまった。
「だって、そばに、いてあげられないって、言うから」
 泣きじゃくる菖の頭を撫でながら、僕は強く抱きしめた。菖の涙が僕の服を濡らしていく。
 菖の胸がさらに密着して、気を紛らわせたい。
 綺麗な髪が風に吹かれてなびく。泣いて汗ばむ首元のリボンが、ほどけかけていた。菖の長い髪の隙間から、するするとゆっくりリボンを引っ張りあげる。
 白い首筋と艶やかな髪のあいだから赤いチェックのリボンがほどかれていく様は、菖の泣き声と重なって官能的に思えた。
 ねぇ、菖。僕はこんなことを考えてしまっている。でも本当に本当にキミのことが心配なんだよ。
 一緒にいてあげられる時間が少ない僕を、どう思う?
 実は下心だってある僕は、汚らわしい存在に思う?
 その答えがどんなものでも、僕はキミが欲しい。できることなら菖のすべて。
 嫌なら、汚らわしいと思うのなら、このリボンだけでもいいよ。ずっと一緒にいられるのなら、それでも。
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