024 種明かし

文字数 8,904文字

 剣崎が部屋を出た後、菖は黒いもこもこニットとショートパンツに着替えた。
 脱ぎ捨てた衣装を見る。……急いで洗濯しないと。誰かがいるときに干せるわけがない。なにより、下着をつけずに着たせいで汚れた気がする。
 身体の火照(ほて)りに違和感を感じていた。こんな感覚は初めてだった。特に下半身の違和感が、菖を戸惑わせた。
 剣崎の前でこんな露出した衣装を着てしまった。本当に恥ずかしい。しかも歩乃香のせいで、開脚したような姿まで晒してしまった……。
 菖は、剣崎の顔が嬉しそうにニヤついたのを見逃さなかった。ばか、えっち! 怒りたい気持ちと、若干の嬉しさがあるのだった。自分のことなのに不思議で仕方がなかった。
 谷間に一瞬、キスをされたことを思い出す。うわあああ! 叫びたいくらいに恥ずかしい。剣崎が立ち去った後、ホクロにキスをしたのだとわかった。
 あの目で迫られるとゾクゾクしてしまう。「ふざけんなよ」と苛ついていた剣崎。あんな剣崎、初めて見た。怖いと思った。
 なのに……好きだと思った。剣崎になら、何をされてもいい。そう思ってしまった。
 最近のあたし、本当におかしい!
 何をされてもいいと思うのに、あれ以上の露出は無理! 裸を見せるって? 剣崎に? 嫌われてまったらどうするん?
 1年前、実は水着でデートをしたことがあった。プールに行ったのだ。しかし異常な興奮を示すムラキに、愛想を尽かしてすぐに帰った。
 剣崎も興奮していたのだろうか。我慢と言っていたのは、そういうことなのだろうか。……菖にはよくわからなかった。
 本当に剣崎と一緒にいてもいいのか、その不安のほうが大きかった。
 あれだけ言ってくれているのに、菖にはまだ不安が残っていた。こんな自分でいいのだろうか? 何もかも中途半端で、剣崎のことを理解してあげられるのだろうか?
 嫌なら言えばいい。剣崎はそう言ってくれた。
 ……まぁいっか。極端に楽観的な部分は、あたしの悪いところかもしれん。菖は鏡に映る自分に向かって舌を出した。
 早く千緒と歩乃香が待つリビングへ戻ろう。剣崎にもメッセージを送ろう。
 部屋から小走りで、洗濯機のある場所に移動した。途中、千緒と歩乃香が呼び掛けてくる。自動ボタンを押して急いでリビングへと向かった。
「そんな急いで洗濯しなくても。あれ、菖にあげるわよ」
 歩乃香がソファの上で寝転んでいた。「おっぱい足りないアタシには無理だしね」と付け足してくる。菖はひとまず、お礼を言った。
「剣崎が欲しいって言うからさー、菖のえちえちコスプレ写真、送っといたー!」
 スマホを振って千緒が報告してきた。
「えっ! それ、あたしにも送って」
「自分でも見返そうって?」
 千緒がルームウェアの上から、また胸をつんつんと触ってきた。女子の距離感はなかなかに近い。菖は千緒から離れて、ソファに座った。
「ほかの人が自分の変な写真持ってる思うとさ、ちょい嫌やん?」
「確かに! それもそうやね」
 千緒はすぐにスマホを操作しだした。
「そういえば剣崎に嫌がらせしてた奴らって、学校来てる?」
 歩乃香が千緒に訊いた。夏休み前までは誰も来ていなかったはずだった。
「主犯の奴はまだ謹慎中で、ほかはチキンだからサボっとるよ」
「どいつなのか知らないけど、その中のひとりがうちの隣の中学らしくって。ゲーセンで揉めたらしいから、また謹慎くらってるかもよ。そのまま退学になっちゃえばいいのにね」
 退学させろ。本気でそう思っている。でも菖は無言を貫いた。ここで腹を立てても仕方ないし、話題にもしたくなかった。
「ところで歩乃香! さっきの剣崎の! どうせ変な作戦でも立てたんやろ!」
 寝転んだままの歩乃香に、菖はシャーッと怒りの猫のポーズを向けた。
「まあねー。お色気作戦♡」
「何がお色気作戦だよ、ったく!」
「だってそうでもしないと、なーんも起きないじゃん」
「起きなくていいし!」
 そうでなくても色々起きとるし! 菖は頬を膨らませた。
 事前に剣崎には、お泊まり会のことを話していた。少しの時間でもいいなら剣崎も来たら、と千緒が誘ったが、行けるかどうかわからないという反応だった。
 そこを歩乃香が、どうしても菖を驚かせたくて来て欲しいと内緒で交渉したそうだ。
 剣崎はマンションの下に着いたとき、菖にメッセージを送ってきた。きっと完全に内緒だということが耐えられなくなったのだと思った。
「それで菖、部屋で剣崎に何されたの?」
「あ、気になる!」
 歩乃香が起き上がって訊いてきた。千緒も興味津々の顔を向けてくる。
「んんん……」
「何よ、言えない感じ⁈」
「キスとかしたの?」
「そんなことはまだ……」
 ふたりは同時に「なーんだ」と落胆した顔を見せた。どうしてふたりがそんな顔をするのか。菖は笑ってしまう。
「いつも剣崎と何してんの?」
 笑う菖の鼻を人差し指で軽く押しながら、歩乃香が訊いてきた。
「な、何と言われても」
 いつも他愛のない話をして、ちょっかい出されて……。考えているあいだに歩乃香が膝を叩いた。
「アイツ、菖のことキープしてんのかな? まさかヤリチン?」
 千緒が「ほのちゃん!」と腕を叩いた。
「それはない気がする」
 自分でもそこは、はっきりと言えた。
「どうしてよ?」
「うーん。剣崎が笑顔で、初めてって言ってた」
「何が?」
 しまった、「何が」と訊かれるととても応えづらい。
「ちょっとだけ! 抱き締められたのっ!」
 早口で言ってしまった。恥ずかしくなった菖はまた頬を膨らませて口を尖らせた。顔が熱くなってきて膨らんだ頬を手で包むと、ふたりは驚いた顔をしていた。
「剣崎やるやん!」
「でも彼女でもないのに、抱き締める奴ってことぉ?」
 千緒の拍手を遮った歩乃香は疑心暗鬼だ。
「それともアイツ、だいぶナルシスト?」
 思わず菖は頷きながら、大笑いしてしまった。
「あはははは! ナルシストだよ、ほんと! ……あのね、待っててほしいって言われたんよ」
 笑いすぎて目尻から溢れた涙を指で拭いながら、ふたりに言う。またもや「何を?」という顔をしていた。
「多分……付き合って、とか? 今は、わかんなくていいって言われたけど」
「わかってたけど、両片想いやん!」
 キラキラした目で千緒が叫んだ。歩乃香は少し笑っていた。
「ま、いちばん楽しいときよねぇ」
「それにしてもな、歩乃香。お色気作戦はきわどすぎやって! あたし、そういう経験ないんやし!」
 菖は不満をぶつけながら、歩乃香の身体をぽかぽかと叩いた。
「そういうこと、菖は興味ないの?」
「興味ないわけやないけど……よくわからんし……」
 叩く手を止めると歩乃香が起き上がり、菖と千緒を見た。
「未経験だからって恥じることないし、初体験はなるべく素敵なものにしてほしいって思う。でも現実は、結構ドロドロしてるものなのよ」
 そしてソファから立ち上がって高らかに言った。
「この際、なんでもアタシに訊いて! 助言ならいくらでもするわ!」
 菖は千緒と顔を見合わせた。なに、この展開。そんな中、千緒がすごすごと挙手をした。
「あのぉ、好きでもない人とヤッてもいいですか?」
「千緒がそれで本ッ当にいいのなら、あり! ちなみにあの先輩も未経験なはず!」
「初めて同士かぁ」
「それが不安なら、経験者とするのが安心かもね」
 千緒は顎に手を当て、何やら考え込んでいた。おいおい、千緒! 早まるなって!
「千緒はそんな、してみたいん?」
「してみたいよぉ! めくるめく夜を過ごしたいっ!」
 最近はボーイズラブにまで手を出し、日毎に恋愛観がアップしている千緒はイチャイチャすることに夢を見ていた。
「菖は? 剣崎と……じゃなくても、彼氏とかできたら何がしたい?」
 歩乃香に手を向けられ発言を求められた。
「あたしは……手ェ繋いでデートしたーい!」
「あまーい! 小学生か!」
 一喝されてしまった。菖は目の前に立ちはだかる、歩乃香の細くて長い脚を羨ましく思った。
「そんなん言うんやったらさ、歩乃香の今までの恋愛教えろって話よ」
「そうよ! ほのちゃんのめくるめく夜、聞かせてよ!」
「……わかったわよ! アンタたち、アタシのエロトーク、ちゃんと聞きなさいよ?」
 千緒は嬉しそうにバンザイをした。菖は……長い夜になりそうだなと覚悟を決めた。


◇◇◇

 谷間の近くに小さなホクロって、ずるくない?
 僕は菖にそうメッセージを送ろうかと思って、やめた。ただの気持ち悪いメッセージ。江藤さんたちにもし見られたら、何を言われるかわからない。
 しかし江藤さんが男子の下半身チェックまでしてるとは思わなかった。菖の後ろから膝を抱え、きわどいポーズをさせたことも、どうかと思った。ただ僕もしっかり見たから文句は言えない。ありがとうございます。
 でも男の下半身の膨らみは、生殖機能として仕方ない点もあるのだ。ほっとけ。
 中学に入学するころだったろうか。母さんが「履いておきなさい」と渡してくれた、特別なアンダーウェア。バレエなどで主に需要があるものらしい。貰ってすぐはとても恥ずかしくて、試合のときだけ嫌々履いていた。タイトな衣装にラインが響いてしまうからかと思っていたけど、それだけではない。男としての対策理由がわかってきた。
 僕の身体は細い。腕も脚も細くて長い。それだけに、少しの膨らみがあるとかなり目立ってしまうのだ。
 菖と出会って(よこしま)な感情が生まれてからは、学校にも履いていくようになった。今ではあの特別なアンダーウェアにも、着用しやすいタイプが出てきていた。リンクで着替える手間も省けるし、本当に履いておいてよかったと今は思う。菖に知られるのはまだいい。菖以外に格好の餌食にされるのはごめんだ。
 バニーガール風なコスプレをさせられていた菖から、3人で夜更かししている写真が送られてきていた。もこもこのルームウェアに着替えちゃって。さっきまで、あんなに恥ずかしい衣装を着てたくせに。
 それにしても、僕にふさわしくないとか何だったんだろう。菖が気にすることなんて、何ひとつない。
 正直に言えば……僕のように大きな夢に向かって一直線、なんて人はなかなかいない。そんなこと気にしなくていい。別に夢なんて、追わなくたっていい。むやみやたらに探すものでもない。
 僕の横で菖が心から楽しく笑ってくれれば、それでいいのに。
 帰り際、江藤さんと篠宮さんと話してたとき。菖のことを、女として自信がないんじゃないか、ってあのふたりは言っていた。だからお色気作戦に講じた、とも。
 どうなんだろう。どちらかというと、自分の身体が好きじゃないとか、性的なことへの苦手意識があるような気もする。
 あれだけ喧嘩腰になれる強気な性格のくせに、僕に対して引け目とか感じているのだろうか?
 ふさわしくないとか言い出したとき、本当にムカついた。珍しく僕が苛ついた態度がよみがえってしまう。
 たまに出てしまうのだ。歯止めが効かなくなったら、どうしよう。菖にDVだとか言われたらどうしよう。稀にムカついたりすると、奥歯をぐっと噛み締めてしまう癖がある。反省しないと。


 次の日の朝。菖たちはちゃんと学校へ向かっているらしい。『眠いしパンがうまく焼けなくて、朝から大変』とメッセージがきていた。僕を差し置いてモーニングコーヒーしてんの? ずるくない?
 僕も眠かった。夜更かしして、篠宮さんに貰った菖の写真を見ていたから。改めて、すごかった。
 グラビア雑誌に載れるんじゃないかって思った。好きなことしてていいけど、グラビア女優を目指したらさすがに反対するかもなぁ。でもみんなに見せびらかして、僕の好きな人ですって自慢したい気も出ちゃう。
 そんなやましいことを考えながら、教室から廊下に出た。もうすぐ菖たちも着くころだろう。美術科に行って、少しでも菖の顔を見たい。
 1組特進科から8組美術科までは一番遠い。篠宮さんから聞いた話だと、あの事件のとき、菖は珍しく数学の教科書を忘れてしまったそうだ。あまり忘れ物をするタイプではないらしく、驚いた篠宮さんはすぐに貸すよと伝え、菖が小走りでこの1組まで借りにきたのだ、と。
「だからあれは運命やったんかもね」
 菖のことを小学校から知っている篠宮さんに言われるのは、とても嬉しかった。
 あのとき僕も、本当は帰ろうとしていた。嫌がらせや単位の相談を済ませ、加山先生とともに教室へ行った。次の授業が大学について学ぶホームルームだからと、先生に誘われ着いて行ったのだった。
 3組機械科の前を歩くと、4組の奥の中央階段から出てきた菖と江藤さんが5組へと曲がる後ろ姿が見えた。行き交う生徒が多くても、すぐにわかる。篠宮さんは学級委員だから職員室に寄っているのだろうか、いなかった。
 菖はすぐに5組情報処理科の男子に絡まれていた。江藤さんは先に8組へと向かった。「うるっせ、ばーか」と笑顔で菖は立ち去りながら、今度は6組情報処理科の女子に抱きつかれている。あ、いいな。羨ましい。
 そして7組被服科の廊下でナオちゃんに会うと、ふたりで「うぇーい」なんて言って、おはようの挨拶をしていた。なにやら盛り上がった話をしていて、僕もやっと追いついた。いつも菖にナオちゃんと呼ばれている女子が僕に気づき、菖の腕を叩いた。
「ん? あっ、剣崎! おっはよ」
「おはよう、菖」
 振り返った菖は元気いっぱいの笑顔で僕を見た。昨夜のこと、ちゃんと覚えてる? 訊きたいけどナオちゃんの手前、やめておいた。
「今ねー、ナオちゃんが学祭のライヴ楽しみやって言ってくれとってさ! ほんで、あたしがコピーする歌手の歌、有名なやつ聴いてくれたんやと!」
「すっごい良かった! 菖ちゃん、いい歌手教えてくれたわ」
「な? めっちゃかっこええやろ?」
「かっこいい感じなの?」
 僕は自然とナオちゃんに訊いていた。
「うんうん! なんていうのかな? かっこいいし、しっとりした歌もあるし、古い歌なんて思えんのよ!」
「古いくせにな、すっげーよな! 剣崎も今度聴いてみー」
「聴いてみー!」
「そんなに言うんなら聴いてみよっかな」
「あたしが何を歌うかは、まだ教えたらんけどな」
 ふたりは肩を組んで盛り上がっていた。こちらにも笑いかけてくる菖はいつも、僕を混ぜて話そうとしてくれる。それがすごく嬉しかった。自然とそういうことができる人って、意外と少ない。友達の話の内容によっては僕がいないほうがいいときも、やんわりとわかるようにしてくれるし、無理に配慮している感じなく自然とこなせているのはすごいと思う。
 コソコソと話されたりすることが多かった僕は、こういうところも菖の大好きな部分だった。
 僕たちはナオちゃんに手を振って、ようやく8組の廊下にたどりついた。
「そういえばおまえ、ビッグニュース再びやん」
「え、僕?」
 何かしたっけ? 菖が腕をパシパシと叩いてくる。
「さっき千緒が出席簿取りに職員室行くからって着いてったらよ。あのコーラがコマーシャルに剣崎出演したからって、学祭にコーラの無償提供するってよ」
「ええっ? 知らない!」
「知らんの? 南陽高校始まって以来の強力スポンサーやって」
 えー! そういうのって僕に連絡こないの? コーラさんと学校のやりとりかもしれないけど!
「命名! 剣崎コーラ‼︎」
 片手を高くあげ、菖は廊下に響く声で宣誓した。
「なにそれ!」
「剣崎コーラだよっ! 加山先生も曽部ちゃんも笑っとったわ。飲食んとこには、みんな置くんちゃう?」
「いや、だからその、剣崎コーラってなんなん!」
 笑いすぎてお腹が痛い。へんな命名された! でもこんなに菖も喜んでくれてるし、学校にもいいことができたのなら僕も嬉しいかも。
「あ! 剣崎だ! 剣崎コーラ、サンキュー!」
 教室の中から出てきた江藤さんが、こちらに向かって両手をあげてきた。つられてハイタッチをすると、中から土門くんたちもわらわらと出てきた。笑顔のみんなにお礼を言われて、少し照れてしまう。
「剣崎、ちゃんとコーラの人んたにもお礼言うんやぞ? こういうのはな、遠くても本人が言うと、また何倍も伝わるんやで」
 本当にそういうとこ大好きだよ、菖。僕は「わかった」と静かに応えた。コーチに訊いて、お礼を伝える機会がなければ菖のように短くても手紙を書こう。
 僕は菖と出会ったころ、字を誉めてくれていたことを思い出していた。
 去り際に菖の耳元で「昨日、随分と可愛かったよね」と言うと、顔を真っ赤にして僕のことをぽかぽかと叩いてきた。うまくかわしながら教室へと戻った。


 週末、隣県のスケートリンクの更衣室で着替えていると、シンちゃんからメッセージが届いた。
『南陽高校の学祭、日曜日のほうも入れるんだよな?』
 2日目の日曜日は生徒による出し物、いわゆる屋台や模擬店などがない。代わりに市民主催の屋台がグラウンドに並び、有志の生徒が体育館や講堂でダンスや歌、漫才などを披露する。何年か前に、披露する生徒をクラスメイトたちが応援できるようなスケジュールに変更したそうだ。
『入れるよ、その日は菖がライヴする予定なんだよ!』
『ライヴ? すごいな、それは』
 シンちゃんからメッセージがくると、真嘉比さんのことかと思って身構えてしまう。シンちゃんも思うところがあるのか、『真嘉比、来ないといいな』と続けてメッセージがきた。
 真嘉比さんの下の名前は、唯という。
 当時、中学生の僕はジュニアスケートの中で唯我独尊という言葉をよく使っていた。ノービスからジュニアにあがり、表彰台メンバーになっていて気も大きくなっていた。「唯我独尊、剣崎です!」だなんて、キャッチコピーのように言っていた。
「剣崎くん。唯だから、唯我独尊?」
 甘えた声で訊かれたことを覚えている。まだ真嘉比さんのことを、学校で一番可愛い女子という認識だったころだ。
「えー、どうだろうね」
 そう応えた僕は、デレデレした顔だった。ただ、答えはまったく違う。真嘉比さんの名前なんて気にしたことも意識したこともなかった。
 女の子よりも白くて細かった僕は、周囲に屈託のない笑顔を見せるからか、一部の男子に嫌われていた。違う一部には、愛されてもいたが。
 どちらにしても真嘉比さんの存在で、男子には余計に疎まれた。そこはまぁいい。女子にも反感を買った。そこもまぁいい。聞かなかった僕が悪い。
 どうだろうね、と濁した僕の顔は確かに緩んでいた。でも肯定はしていないつもりだった。それなのに、僕の通う桜ヶ丘中学では「剣崎望夢は真嘉比唯への好意から、唯我独尊と自ら発言している」が定説となってしまったのだ。冗談じゃない!
 今でもいつWikipediaやネットニュースに書かれてしまうのか、気が気じゃない。
 言いふらした真嘉比さんや周りの女子が苦手になった。あどけない僕に、母さんが注意してきたのもそのころだった。きっと親同士の情報で、何か言われたのだろう。
 可愛い顔で媚びる姿も、うっすらと見え始めていた。ほかの男子は気づかないのか? 不思議だった。
 そこで波長があったのが、シンちゃんだった。
 シンちゃんはよく「おまえら、真嘉比のどこがいいんだよ」と言っていた。周りは「可愛いじゃん」「顔も声も女の子らしい」そして「真嘉比さんに話しかけられたら嬉しいもん」などと言って、話しかけられる僕に妬みの矛先が向いたりもした。
 一度、シンちゃんたちに誘われて夕方からショッピングモールに行ったことがある。先に合流していたメンバーと落ち合うと、後ろに真嘉比さんたち女子5人がいた。シンちゃんも知らなかったらしい。ほかの男子が、真嘉比さんたちも呼んだみたいだった。おそらく僕をダシにして。
 好かれて嫌な気持ちにはならなかったが、うんざりした。男子たちも僕のことを妬むのなら、なぜ呼ぶんだ? そこもわからなかった。
 私服姿の真嘉比さんは確かに可愛かった。男女合わせて15人くらいいただろうか。どさくさに紛れて、腕を組まれた。
 みんなの手前、声を荒げられない。わかってやっているんだと思った。
「おい、望夢。こっち来いよ。俺に合う参考書、本屋で探してくれ。早く」
 親指を本屋に向けたシンちゃんの助け舟があって、僕はようやく真嘉比さんから離れられた。
 僕が悪い。しっかりと否定しなかった。拒絶しきれなかった。
 ……嫌なこと思い出しちゃったな。僕はリンクへと向かった。


 リンクサイドで休憩中、長年メインコーチを担ってくださる美代(みよ)先生に、コーラさんから学校に無償提供が決まった話をした。美代先生も知らず、スケート連盟に連絡をしてくれた。連盟の人も知らないと応えたが、僕がお礼を言いたいと話していることを美代先生が伝えてくれた。すると連盟のほうからコーラさんに確認をしてくれて、練習を終えるころには折り返しの連絡がきていた。
 コーラさんは僕が南陽高校に通っていることから、何かのきっかけで南陽高校学園祭があると知ったらしい。そこでコーラさんが南陽高校に直接、学祭でもいつでも提供させてくださいとメールを送ってくださってたそうだ。
「今度、東京で試合か仕事があるときに、コーラさんの本社に訪問しようってなったみたい。その前に、のんたんのサインとともにお手紙を送ろうかって。学校でコーラを喜ぶ写真でも撮って、学祭後に同封してみたら? そこは社外秘にさせるし」
 美代先生が喜びながら話してくれる。
「そうしよっかな。でも美代先生、これからほかの人の前でのんたんとか呼ぶの、絶対やめてね?」
 幼稚園から僕のことを知っているせいで、赤ちゃんみたいな呼び方が定着しているのだ。これからシニアの世界にいくのに、恥ずかしくて仕方ない。
「なるべく気をつけるけどぉ」
 鼻歌を歌いながら、美代先生はノートパソコンで動画の管理を始めた。美代先生のお手伝いをしているスタッフさんが「のんたん、衣装の最終チェック、もう大丈夫だったよね?」などと慌ただしく質問してくる。
 シニアデビューの試合を控え、チーム剣崎は意気揚々としていた。
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