013 仮面

文字数 8,370文字

 ミサに誘われた菖はMADの隣の老舗洋食店で、サンドイッチと鉄板ナポリタンをご馳走になった。ミサはドリアを熱い熱いと言いながら食べる。
「ここのドリアは、思い出の味」
「ミサ、いっつも食べるよね」
「大好き。まだしばらくこっちにいるから、ナポリも食べないと」
「あたしの食べてもいいで!」
 カウンターから姿勢の良い白髪頭のマスターが目を細めて頷いているのが見えて、菖は手を振った。ミサも振り返って、大きく手を振る。
「マスター、奥で作ってたから、ドリアのオーダーまさかの僕でびっくりしたかもね。菖も久しぶり?」
「うん、覚えてくれとんのかな」
「さっきの様子じゃ覚えてるっしょ、あちっ」
 長い髪を結ぶミサの耳にはいくつものピアスがつけられている。ひとつだけダイヤのようなシンプルなピアスが、特にキラリと輝いていた。
 実の妹のように可愛がってくれたミサやダイちゃんは、疎遠になっても会えば昔のままだ。
 たくさんの話をした。ヴィジュアル系バンドBERNAEL(ベルナエル)のボーカルmissaとして頑張っていること、ダイちゃんもやっぱりまたバンドを組んだこと、上京してから菖の父の和彦が色々と助けてくれたこと。
「だからカズさん、余計に帰れなかったんだと思う。ごめんね」
「ミサが謝ることないし!」
 まだ音楽だけでは生活できないミサに仕事を探したり与えたり、面倒を見てあげていたらしい。
「そろそろカズさんも落ち着くだろうし、色々と……うん、東京(あっち)で会ったら僕からも言っておく、家に帰れって」
 ふっと下を向くミサの目が翳った気がした。パパには帰れない理由が、あるのかもしれない。
「いたらいたでうるさいし、別にいーんだよ」
 ミサに気を遣わせたくなくて菖は明るい声を出す。
「皐も元気してる? もう小6だっけ?」
 菖に比べて皐とミサたちの接点は少なかった。スマホで皐の写真を見せてあげる。
「うわー、ダイちゃんに少し似てる気がする! 昭子さんとダイちゃんに似てる!」
 嬉しそうなミサに写真を見せているとスライドさせる指が滑ってしまい、猫のぬいぐるみの写真が画面に出てきてしまった。ミサが「ん? これは」と反応する。
「あ、これ、これはこのあいだ近くで買って……あ! もしかしてなんやけど」
 ミサが「ん?」と不思議そうな顔をする。
「少し前の土曜日、ミサ、MADでライヴしたやろ? ファンの子、こういう猫のぬいぐるみ持っとらんかった? 色は多分、黒か灰色やと思う!」
 少し考え込んだミサはパッと顔を上げて、画面越しの猫のぬいぐるみを指差した。
「出待ちのときに見たかも。灰色の猫のぬいぐるみ、こんっくらいの! missaさんですって言われて、なんじゃそりゃって言っちゃった!」
 思わず菖はテーブルを叩いて笑ってしまう。
「それそれ、多分それ! そのファンの子、きっとミサのイメージカラーで猫のぬいぐるみ作ったんだよ!」
「へえ、作るやつなんだ? 友達の子?」
「ううん、そのぬいぐるみ作ったときに言われたんよ。バンドマンに似せて作ってる人もいるって。missaのことかもってピンときたんやよねー、次の日やったし」
「そういうことね。それで菖は、コトブキでデートしてたの?」
「えっ⁈」
「だって黒猫ちゃん、2匹いるんだもの」
 とっさに菖はスマホの写真を閉じた。「えー、見せてよぉ」と可愛くごねるミサに、ずっとごまかし続けた。


 剣崎のこと話したらパパに話がいくかもしんない!
 菖はそう思って、ミサには頑なに伏せた。内心、男としての気持ちを聞いてみたい気もしたが、自分の気持ちもよくわからないのに相談なんてとんでもない。
 あの後、マスターからクリームソーダも貰ってしまい長居した。席を移動してカウンターで昔話にも花を咲かせ、ミサと別れて家に着いたときにはすっかり夕暮れだった。
 リビングでは皐がゲーム、母の昭子はソファで雑誌を読んでくつろいでいる。
「ただいまぁ」
「めーちゃん、おかえりっ!」
「おかえりー。夜ご飯、ハンバーグにしたよ」
「ほーい」
 部屋に行こうとして立ち止まり、昭子のほうに顔を向けた。
「あたし、リンさんのとこ、ライヴハウスでバイトすることにしたで、これから夜遅くなるかもしれん」
 何を言われるかわからなくて早口で伝えた。
「……倫子さんに迷惑かけて、どうすんの」
 昭子の反応はあきらかに嫌そうだった。予想はしていたが、菖は苛立ちを隠せない。
「リンさんがバイトしないかって言ってくれたん」
「あんたなんて、どうせなんもできへんって。余計に迷惑かけてまうやろに」
「……はあ?」
 迷惑かどうか、あたしには答えられない。それはリンさんが決めることだ。お世辞とはいえ、今までの手伝いを見て頼んでくれているのに。
 あたしの何かを始まる前から否定されるのは、もううんざりだった。
 雑誌をめくる音がぺらりと、大きく聞こえた気がする。菖はわざと足音を立てて、廊下を歩いた。
 自分の部屋に入ると力が抜けて床に座り込んでしまう。悔しい。スマホを取り出し、少しためらったが和正に電話をかけた。
「あれ、菖? パパ、さっきお金振り込んどいたぞー」
 すぐ出てくれた和正の嬉しそうな声に、菖の目から涙が溢れてしまう。
「パパ……」
「菖? どうした、大丈夫か⁈」
 娘が痴漢に遭ったり事故に遭ったりしていないかを心配している。それがわかる菖は、大丈夫と繰り返した。
「さっき家に着いて、ママに、リンさんとこで……MADでバイトするって言ったんやけど……」
「ダメって言われたんか⁈」
「……あたしじゃ、迷惑かけるって。どうせ、なんもできんくせに、って、そう、言われたあああ」
 うわああああん。終わりかけには号泣してしまっていた。部屋にはかなりの防音が施されているとはいえ、さすがにリビングまで聞こえてしまうかもしれない。菖は泣きやみたくて必死に堪えた。しゃっくりのような呼吸に、喉と肺が痛む。
 少し落ち着いたところで、和正がゆっくりと話しだした。
「菖、パパが了承してるんやから、倫子んとこで存分にバイトさせてもらいなさい。迷惑なわけあるか。パパは菖なら大丈夫って思ってるし、最初からなんでもできる人なんてこの世にはおらん。心配するな」
 次から次へと涙が溢れて、声を押し殺すのに必死で、頷くしかできない。
「また会ったときにでも話そうと思ってた。パパが家に帰らない理由は、そのへんのことだ」
 急に話題が変わって菖は「ふぇ?」と変な声を出してしまう。
「パパはママの、特に菖に対して、否定するような発言が気に食わなかった。女同士だからなのか、なんなのか。皐にはあまり言わんのにおかしいよなって思ってて。パパが菖のことでママに怒ってるの、見たことあるやろ」
「うん、何回か……」
「それだけじゃないけど、まぁそれもあって家を避けてしまってたんだ。ごめんな、菖。俺がおったら、そんなん言わせんかったのに……」
 和正の声も弱くなってしまう。菖も静かに泣いてしまう。
「間違いだったかもな、パパが一緒に東京に連れてこれば良かったかもしれん。でも菖、東京行くかって言っても来んかったやろ」
「うん」
 泣いていてもそこは即答できた。皐もいるし、高校決まってたし。母の昭子と常に険悪なわけでもない。
「卒業して進学するなら東京でもいい、他県でもいい。パパがちゃんと支援するから」
 そんな先のこと考えられない。パパから貰ったドラフターが目に入る。
 部屋の扉を叩く音がした。昭子かと思って身構えると「めーちゃん」と皐の声がする。
「部屋の中、入らせて」
 どうしたんだと思い涙を拭って扉を開けると、すぐに皐が入ってきて扉を閉めた。
「めーちゃん、ママのさっきの、気にしなくていいからね!」
 皐の顔を見て菖はまた涙を流してしまう。持ったままのスマホを耳に当てて、
「パパ、一度切るから」
 と言うと皐が「パパ⁈」、和正が「皐か? 変わってくれ」と言ってきた。
 皐にパパだよ、とスマホを渡す。
「パパ! いつ帰ってくんの!」
 それからは和正の話を聞いているようで、ずっと「うん、うん、わかった」なんて言っていた。そのあいだに菖はティッシュとタオルを持ってきて、涙と鼻水を拭く。
 いつの間にかスマホの通話は切られていた。
「なに話しとったん?」
 皐は笑いながら「男だけの秘密の話や!」とベッドに腰掛けた。きっと和正に、そう言えって言われたに違いない。
 隣に座り「ありがとね」と久しぶりに皐を抱き締める。嫌がってベッドから降りた皐が「一緒にハンバーグ食べるぞ!」と手を引っ張り、ダイニングに連れていってくれる。
 あんなに小さかった皐が頼もしく思えた。泣きすぎて目尻が痛い。
 テーブルでは皐のおしゃべりオンパレードだったが、暗かった雰囲気も終盤では少し明るくなった。昭子が作ってくれたハンバーグも美味しかった。


「さっちゃん、寝ちゃったね」
 千緒と皐の3人で念願のキャッティパークへ行った。思いっきり遊んだ帰りの電車内、皐の寝顔を見て菖と千緒は静かに目を合わせて笑う。怖がっていた大型ジェットコースターに乗れて自信満々になった皐を思い出した。
 双葉駅まではまだ1時間くらいかかるから、このまま寝かせておこう。菖はタオルでそっと、皐のおでこの汗を拭きとる。
「皐も千緒と一緒で嬉しそうやったわ、千緒、遊んでくれてありがとね」
「私もめっちゃ楽しかった! さっちゃんみたいな弟、ほしいわぁ」
「あ、パパにお礼のメッセ送っとくかぁ。千緒ピヨも写ってるやつ、送っていい?」
「うんうん! パパさんにありがとうって言って! ご飯ごちそうさまって」
 ちゃんと千緒のご飯代も、和正に言われたとおりに貰ったお小遣いから出した。菖は和正宛に送る写真を何枚か選ぶ。
「菖、3人で猫耳の写真は必ず送っといてよ」
 千緒は薄い黄色で毛が少しふわふわした猫耳を着けていた。かなりのお気に入りになったようだ。菖は黒、皐はスパンコールの金色の猫耳にしていた。スパンコールが太陽を反射して、菖の目はチラチラと眩しかった。
「そやな。あとキャッティキャッスルと、ジェットコースターの落下ショットも送っとこー」
 和正へのメッセージを打っていると、千緒が小さな声で訊いてきた。
「剣崎には? 送るの?」
「写真は明日ゆっくり送ろうかなって。さっき、これから帰るって送っといたし」
「てかさぁ、夏休みほぼ海外ってあいつすごすぎん?」
 千緒の声の大きさは戻っていた。
「でもあたしらの思う海外って感じ、全然せんよ。なんか、ホテルとスケートリンクしか行ってないらしくてさ。このあいだも休みやのに自主練して、近くのレストランでエビ食ってたくらいだった」
「え、えび?」
「なんだっけな、ロブスター?」
「あー、なんかでかいやつね。伊勢海老みたいな」
「それそれ。あたしエビ食べられへんからさらっと流したんやけど。豪華らしいな。あ、なんかね、あっちメープルシロップが有名らしくってさ! 買ってきてくれるって! たっのしみー!」
 菖は目をキラキラと輝かせた。このあいだホットケーキにかけた、クマさんボトルのメープルシロップでも最高だったのに、カナダのメープルシロップだなんて想像できない。絶対に美味しい。
「せっかくの夏休みにデートもできんのやから、メープルシロップのひとつやふたつは、ねぇ……」
 しらけた顔をした千緒の剣崎へのダメ出しに、菖は「まぁ、うん」と濁してしまう。
「ほのちゃんなんて彼氏と別れたのに、バイト以外はプールに花火だ夏祭りだって、ほとんど男も一緒で感心するよ。私も誰かとデートしたいっ!」
 塾に通っている千緒は、夏期講習ばかりだと嘆いていた。そこで出会いはないのかと訊いても、ガリ勉ばっかは嫌だとか言う。
 そんな千緒に、誰か紹介しようか、と歩乃香に言われているが断ってるみたいだった。
「日にち合うとき、行ってみたらいいやん?」
「だってほのちゃん、レベル高すぎやん! しかも夏のイベントって、プールは水着、花火は浴衣かもしんないじゃん? 私にはちょっとまだ、無理無理無理!」
 目を瞑ってイヤイヤと首を横に振る。千緒、可愛くなってるんよ、行ってみぃ!
「ほなプールはやめとこ。浴衣ならさ、千緒も持ってたやん?」
「だから自信ない」
 さらにひよこみたいな顔でうつむいてしまう。
「とりあえず今度、歩乃香が(うち)に泊まりに来るからさ、千緒も来な。そこであたしと歩乃香でメイクとか色々やってみっから! あいつに髪型やってもらおうぜ」
「うん! 行きたい行きたい‼︎」
「ほんで歩乃香に恋愛講座してもらお」
「あ! それいい!」
 彼氏を作りたい、でもきっかけがない。千緒は男子と話さないわけでもないがかなり受け身のほうだ。仲良くなるきっかけが起きるといいんだけど……そんなことを考えていると、菖は自分に対して、あたしはどうなのか? と自問自答してしまう。
 なぜか中学のときからよく恋愛相談をされるが、とやかく言える筋合いあるんか?
 自分の恋愛は? どうなの?
 剣崎と自分は仲の良い友達、で止まったままなのか?
 そもそも好きなのか? 男の本性はきっと気持ち悪い、そんな恐怖感が実は奥底にあるのに。
 クエスチョンマークと戦っていると、皐が「喉、渇いたぁ」と掠れた声を出して起きた。もうすぐ着くから起きてな、とレモン水のペットボトルを渡し、千緒が扇子で皐を仰いだ。
「んんー、天国天国」
 気持ちよさそうな皐の顔にふたりは大笑いした。


 バイトが休みの日、菖は皐を連れてMADまで来た。しばらく滞在していたミサがもうすぐ東京へ帰るということもあり、リンさんたちと皐を久しぶりに会わせようと計画したのだった。
 今日は学生のコピーバンドが何組かライヴをするだけで物販などはなく、比較的スケジュールに余裕がある日だった。
 MADへ行く前、剣崎とハンバーガーを食べたあのアメリカンダイナーに皐を連れていく。美味しくてものすごく喜び、ファストフードのハンバーガーはもういいや、なんて言い出していた。ちなみに皐は、外食だとコーラよりもメロンソーダを頼む。
 皐はライヴハウスに来ることも初めてだった。菖が初めてライヴハウスに来たときも、今の皐と同じくらいの年齢だった。懐かしく感じる。ただ今日はライヴを見るわけじゃないから、興味があるならまた連れてきてあげよう。そう思いながらフロアに入る。
「あ! 菖に、皐!」
 奥からミサが駆け寄ってきた。今日もローズとベリーの甘酸っぱい香りがミサを纏う。
「皐、ミサキだよ。可愛いね、相変わらずぅ!」
 頭を撫でてきたミサを見上げ、皐はぽかんとしていた。
 ヒールを履いて黒い布を幾重にも靡かせ、腰に届きそうなくらい長い銀髪のミサは「え、わかんない?」と慌てた。数年前のミサは既に銀髪だったがここまで長くはなかったし、服装ももう少しカジュアルだった。
「ミサキ兄ちゃん、まだ成長してたの……」
 皐の振り絞った一声に、菖とミサは大爆笑してしまう。ミサキは皐の目線までしゃがみ「まだまだ成長中」と言って、小6にしては小さめの皐を抱え上げた。
「昔はよくこうしてたんだよ?」
「うーん、されとった気ぃする」
 いくら小さいからといってもミサの腕が心配だったが、お構いなしに皐を抱っこしたままドリンクコーナーへと進んでいく。
「ダイちゃーん? あれ、いない?」
 トイレのほうからダイちゃんがこっちに来るのが見えた。
「わ! さっちゃんじゃん!」
 ダイちゃんも駆け寄る。菖も少し前に、ダイちゃんと久しぶりの再会を果たしていた。騒いでいると、いつの間にかリンさんもやってきた。
「あらあらまあまあ、可愛い赤ちゃんが来たと思ったじゃないの」
 またみんなで爆笑すると、さすがに皐が「降りる」ともぞもぞとミサの手から離れ、ライヴハウスを見渡した。
「みんな、いつからここに住んどるの?」
 笑いが止まらない。ドリンクコーナーからリンさんがコーラを菖に渡しながら、皐に何がいいか訊いた。カルピスをお願いした皐に、リンさんは丁寧にライヴハウスは仕事場で、家はこの近くだと説明しながらカルピスをプラコップに注いで渡す。
「皐、リンさん()に行ったの覚えとらんの? ケーキ食べたやん」
「うーん……」
「何年前だったっけ、皐、こーんなに小さかったから覚えてないのかも」
「たしかにさっちゃん小さかった」
 カルピスを飲みながら皐は「まだまだ成長中」と応え、ミサが大笑いする。そんな4人を見ながら微笑ましい顔をしてリンさんが言った。
「なんだかいきなり、昔のお正月みたいになっちゃったわね」


 皐がミサとダイちゃんと、出勤してきたスタッフさんに遊んでもらっているあいだ、「お休みなのにごめんね」と明日の仕事の打ち合わせをリンさんから聞いていた。明日はロックバンドのライヴでチケットはソールドアウト、物販も早くから出すということで、菖も物販のお手伝いや交代制の整列担当などの仕事が割り振られていた。
 説明が終わった後も、貰った紙を見ながらひとりでチェックをしているとミサが優雅にやってくる。
「心配しなくても大丈夫だよ。お金の管理だけはいつもみたいにベテランのスタッフに任せて、あとは菖はできてるんだから」
「うん、ありがとう。なんか心配でさ」
 壁にもたれながら立つ菖の横に、ミサも並んだ。
「ところでデートした相手とは、またコトブキに来たりしてるの?」
「えー、だってあいつカナダや……」
 言いかけながら、はっとして手で口を塞ぐが遅かった。しまった、つい流れで口走ってしまった。
「え、彼氏、カナダ旅行してるの?」
 ミサは思わず眉をひそめる。
「高校生が生意気な」
「違う、違うん!」
 菖は思わずミサの腕をつかんで首を振る。
「まず彼氏やない! あと、旅行ってわけでもなくて」
 危うくスケートの練習だと言ってしまいそうになり口をつぐむ。
 多分ミサの頭の中では「金持ちのボンボンかこの野郎」ってなっている。
「だってなかなかカナダなんて行けないよ、菖の相手はボンボンかぁ」
 やっぱり! どう反論しようかと思っていると、ミサが囁いてきた。
「菖は一緒に行かなかったの? バイトしても和さんから前借りとか、間に合わなかった?」
「一緒に行くわけねーやん!」
「さすがにカナダは難しいかぁ。でも高校生なんて、お泊まりしたり……菖のおうちじゃ泊まりは難しいけど。いっぱいイチャイチャしたり、ねぇ?」
 何を妄想しているのか、ミサはニヤけた頬を手で包み込んで菖を見る。菖はふてくされた顔をした。
「だから! そういうことはしない!」
 ミサはしばらく菖の顔を眺めて、少し悲しそうな顔をしながら、でも納得したような声を出した。
「そっか……そうだよね。まだ菖には、早いよね」
 よくわからないまま、黙って菖は頷く。
「僕なら菖を悦ばせてあげられるのに、非情なもんだね」
「どういうこと?」
「イトコってか妹みたいで、なーんにも思わないけど。もし普通に出会っていたら、菖の心も身体も僕なら奪えてたよってこと」
 ミサは菖の頬から顎先をツツツツッと指で触れながら、顔を向けさせ近づいて、心の中まで覗きこまれてしまうような力強さで見つめてきた。
「ばっ! ばっ? ばっかじゃねーの‼︎」
 壁から離れて怒る菖に、ごめんごめんと両手を合わせてミサが謝る。
「その警戒心は正しいよ、うん。でもそれを解いてしまえるくらいの男がいたら、身を委ねてもいいと思う。運命の相手かどうか見極められないんなら、僕が判断してあげる」
 冗談とはいえ少しドキドキしてしまったミサに、やっぱり剣崎とのことを話すなんて憚れてしまう。
 男でもこんなに美しいミサにとって、デートのその先なんて至極簡単なことなんだろうか。
「菖は横着でお転婆娘だけど、自信持って。ちなみに僕みたいになっちゃダメだよ?」
「えっ?」
 どういうこと? ミサはステージのライトを見つめているのか、遠い目をしている。空調が当たって銀髪が揺れていた。
「だって僕は、何人もの人を弄んだりしてるから、ね」
 簡単なことなんだろうか、と思った矢先にそう言われてしまうと悲しくなってしまう。簡単すぎると遊んでしまうわけ? ミサは、誰かを騙したりしてるの……?
「そんなことしたらあかんやろ、ミサ!」
「大人なんてこんなもんなんだよ、菖。だから僕は、菖の純粋さが羨ましくも思うし、菖のような女に叱られたいのかも。あはっ、ドMみたい」
 下を向いてさみしそうに笑うミサの姿は、ステージに立つmissaとは大違いだった。
 みんな、仮面があるってこと?
 菖はミサに「ばかばかばーか」と呟いた。「ドMじゃないってことだけは、否定させてね?」とミサは、さっき見せた顔なんてなかったかのように笑い、菖の火に油を注いだ。
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