第7話『ベースボール・オン・ザ・ムーン』

文字数 749文字

尾崎と藤井は一緒に廊下を玄関へと歩いた。玄関のところで三人の女子生徒が立ち話をしていた。三人は藤井と尾崎の二人に気がつかないかのように話をしていた。しかし、その横を通り過ぎた後で、藤井は三人の視線が自分たち二人の背中に注がれるのをはっきり感じた。まるで鳥の糞が背中にねっとりと纏わりついたようだった。尾崎はこんなことは慣れっこだと平然とした顔をしている。女子生徒たちの視線に追い立てられるように、二人は下駄箱で靴を履き替えると玄関を出た。
校門の前に白い車体の大型バスが一台、停まっていた。バスの車体には黒字で大きく高校の名前が書いてある。そのバスに赤や黄色、青色といった様々な色のジャージに身を包んだ生徒が次々と乗り込んでいく。
「あれは第二運動場に行くバスだな」と藤井が言った。
「藤井君も昔、あのバスに乗っていたの?」と尾崎が訊いた。
「いや、野球部にはもう一つ専用のバスがあるんだ、野球部の人間はそっちを使う」
二人はバスの横を通り抜けた。
「野球部が普段練習している第二運動場って、学校から離れたところにあるだろ」と藤井が言った。
「うん。私は行ったことがないな」と尾崎が答える。
「第二運動場にある野球場には暗くなっても練習できるようにナイター設備があるんだよ」
「そうなんだ」
「ライトの明かりの下で、夢中でボールを追っかけてるとな、だんだん現実感が失われてくるんだ」
「現実感が失われる? 」
「そうだ。地面の上に置かれているだけのボールもベースもバットもキャッチャーミットも何もかもきらきらと輝くんだ。重力までおかしくなってしまったみたいで、体が妙に軽くなる。まるで月面で野球をしているような気分になるのさ」
「ふーん」と尾崎が言った。
「野球部をやめて三か月経つけど、いまだにあの感覚だけは忘れられないな」
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