第6話『病気』

文字数 697文字

まだ生徒に下校を促すチャイムは鳴っていないが、尾崎が腕時計を確認すると本を鞄にしまった。パイプ椅子から立ち上がって、しわになっていたスカートの裾をパッと一回払う。
「今日は私、そろそろあがるよ。藤井君、残るんだったら部室の鍵を預けていくけど」
「そうか。いいよ、俺も一緒に帰る」
 そう言うと藤井はそれまで読んでいたスポーツ新聞をたたんで鞄にしまってパイプ椅子から立ち上がった。
「さて、家に帰って労働に勤しむか。しかし、お前も大変だよな。二週間に一回、病院に通わなくちゃならないなんて」
「人はなんにでも慣れるもんだよ。さあ、閉めるよ」
尾崎と藤井は一緒に文芸部室を出た。二人で廊下を歩きながら藤井が言った。
「お前、そういえばなんていう病気だったっけ? 前に一度聞いたけど忘れちゃった」
「知ってどうする」
「なんだよ、教えてくれてもいいじゃんかよ」
「たまにね、生きていく自信がなくなるの。そういう病気」
「俺にだって生きていく自信がない時はある。人間なんて多かれ少なかれ、そんなもんじゃないのか」と藤井が言った。
「そういうレベルの問題じゃないの。私の言う生きていく自信がなくなるっていうのは、生きるエネルギーを根こそぎ奪っちゃうぐらいなのよ。こんなに悩むんだったら、もう生きていたくないってぐらい」
「それがお前の病気か」
「うん。暗い考えが次から次へと湧いてきて止められない。そういう時は夜も眠れない。じっと耐えて時間が過ぎるのを待つしかない。止まない雨はないとか、明けない夜はないっていうけど、あれって嘘ね。現実には止まない雨もあるし、明けない夜もある。ただ、かろうじてやりすごすことができるっていうだけよ」

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