第22話『クール』

文字数 678文字

文芸部室の中に小さなカナブンが一匹、どこかに入り込んでいる。カナブンは天井の蛍光灯にぶつかって、さっきから時々、カンカンと音を立てる。
藤井はそれまで読んでいたスポーツ新聞を丁寧に折りたたんで鞄にしまうと向かい合って座っている尾崎に訊いた。
「お前の読んでいるその小説、面白い? 」
「まあまあだね。なるべく人に迷惑をかけないで生きていたいっていうのが主人公のポリシーなの」と尾崎が答える。
フウン、と藤井はつまらなそうに答えた。それからあくびをひとつした。
「私も人に迷惑をかけたくないな」と尾崎は言った。そして、ページを一つめくってからさらに言った。
「私、君に迷惑をかけてないよね」
カンと一回、カナブンが蛍光灯にぶつかる音がした。
「目を開けながら寝言を言っているようだと目ん玉ひっこぬくぞ、お嬢さん」
 尾崎は少し目を大きくして藤井を見た。藤井はもう一つあくびをしてから言った。
「人に迷惑をかけないで生きていたい? クールで結構なことだな。もし本気でそう考えているなら、山の中で仙人みたいに暮らすか、無人島を探してそこに一人で住め。いずれにせよ、現代社会にそんな考えをするヤツの住む余地はない」
カン、カンとカナブンがぶつかる音が二回した。藤井は尾崎に言った。
「尾崎、お前は頭はいいが、時々、とんでもなくマヌケになることがあるな。人間には自分の頭の良さを乗りこなすキンタマというものが必要だ。どんなに頭が良くてもキンタマがなければ意味がない。それどころか、周囲にも本人にも危険だ。世間には自分の手に負えないスポーツカーを乗り回した挙句に事故死する奴もいるんだからな」
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