第16話『ビコーズアイラブユー その一』

文字数 1,117文字

 文芸部室の窓の外には雲が熱く垂れこめている。六月の梅雨の時期にはよくある灰色の一日だった。
「そういえばさ」と読んでいた本をテーブルの上に置くと尾崎が言った。
「うん」と藤井がスポーツ新聞を読みながら返事をする。
「藤井君ってなんで文芸部に出入りするようになったんだっけ? 」
 藤井はスポーツ新聞越しに言った。
「野球部をやめて暇になっただろう。家に早く帰っても弁当屋の手伝いをさせられるだけだからな。時間をつぶせる場所がないかって学校中探してたら、偶然、ここを見つけたんだ」
「文芸部に出入りしているくせに読んでいるのはスポーツ新聞ばかりで自分からは一冊の本も読もうとしない」
 藤井は読んでいたスポーツ新聞からぬっと顔を出すと言った。
「俺だって本ぐらい読むぞ。面白そうな映画がないときにしょうがなくな。それにお前だってここで本を読んでいるだけで小説を書こうとしてないじゃん」
「文芸部にいるから小説を書くってわけじゃないんだけど」
 藤井は読んでいたスポーツ新聞をきれいに四つに折り畳むと言った。
「俺が将来、小説を書くとしたら、それまでの小説の既成概念に捉われない斬新なものを書くね」
「小説家志望の人はみんなそんなことを言うよね。それで、どんな小説にするの?」
「小説の王道と言えば恋愛小説だろう。一番、売れるのも恋愛小説だと聞くしな」
「藤井君、君には恋愛経験と呼べるものがあるのかい? 」
「題名はそうだなあ。意外と難しいなあ。クールで、それでいて難解すぎないのがいいな。お前、ひとつ考えてよ」
「クールで難しすぎない恋愛小説の題名? めんどくせえ」
「頼むよ。美人だし、頭良いだろう、お前」
尾崎は少し考え込んでから言った。
「藤井君、人はなぜ恋愛小説を書き、そして読むのだろう?」
「恋愛はみんな経験するものだから読者が共感しやすいからじゃないだろうか」
「違うよ。私が訊いているのはそんな表面的な問題ではなく、人はなぜ恋愛をするのかについてだよ。どうして人は恋愛という面倒くさいことをしなくちゃならないのかな。本来なら他の動物みたいに自分の遺伝子を残すための繁殖活動だけで十分なはずでしょう。なぜ、私たち人間は恋愛をするのか、その理由を一発で言い表せたら恋愛小説の題名として理想的なんじゃないかな」
「理由なんてあるものか。恋愛とはするものではなく、落ちるものだ。その人と出会って、その人が好きになっちゃったんだから、もうどうしようもないじゃないか」
尾崎は肩をすくめてため息を一つ吐くと言った。「じゃあ、君の恋愛小説の題名は「私はあなたが好きだから」でいいんじゃない? 」         
藤井は言った。「お前にはもっとセンスがあるものと期待していたよ」
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