第3話『告白 その一』

文字数 1,552文字

文芸部室の窓の外では雨がサアサアという静かな音を立てて降っている。途切れ途切れとなりながらもずっと続いている銀色の糸の向こうに見える山の輪郭はぼやけている。窓にも水滴が幾つもついている。ツー・トン・ツー・ツー・トンとまるでモールス信号のようだ。窓は閉めてあるが、その隙間から雨の匂いが密やかに忍び込んでくる。部室の中にまで雨の匂いは濃く漂っていた。

藤井はパイプ椅子に座り、テーブルに片肘をついて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。雨の降る音を聞きながら、その匂いを嗅いでいると眠くなってくる。藤井がうつらうつらし始めていると、そこへ尾崎が突然、爆弾を投げ込んだ。

「藤井君、広瀬さんに告白してみれば? 」
「えっ? 何だって? 」
人は本当に驚くと、定型的な反応しかできないものである。
「だからさ、いい加減、広瀬さんにコクってみなよ」
藤井は完全に目を覚まして尾崎を見た。
「突然、何を言い出すんだ、お前」
「最近、私、腹の底から笑っていないなあと思って」と読んでいた本をテーブルの上に置くと尾崎は言った。
「なんで俺が広瀬さんに告白するのが笑える話題になるんだよ。それに広瀬さんには付き合っている男がいるって、先月、俺に教えたのはお前だろう。そのせいでいまだに地獄の底を這いずりまわっている俺にそんなことを言うか? 」
「あれ、宮崎君とでしょ。なんでも別れたらしいよ」と尾崎はこともなげに言った。
「えっ、マジ? 本当? 」と藤井が驚いて大きな声を出す。
「いや、私も本人に確認したわけじゃないから何とも言えないけど、今日、クラスの女子がそんなことを話しているのを聞いた」
「お前が広瀬さんと宮崎が付き合ってるって俺に教えてくれてから、まだ一か月ぐらいしか経ってないじゃんか」
「そうだね」
「そうか。広瀬さん、気の毒にな」
そう言って藤井は再び雨の降る窓の外を憂鬱そうに見た。そんな藤井に尾崎が声をかける。
「藤井君、これはチャンスだよ。昔からよく言うでしょ。失恋して傷ついているときの心の弱みにつけこめば女の子は簡単に落ちるってさ」
尾崎の方を振り返ると藤井は言った。「お前ね、俺は正々堂々と広瀬さんに告白して付き合いたいの。弱みにつけこむとかは考えたくないの」
チッと尾崎は小さく舌打ちした。
「じゃあ、言い方を変えよう。今、傷心している広瀬さんを慰めてあげられるのは、藤井浩、世界にお前しかいない」
すると、それまで窓の外の雨模様の景色のように暗かった藤井の顔がパアッと明るくなった。
「おっ、なんかいいじゃん。じゃあさ、宮崎と比べて俺が勝っている点を五つ、挙げてみてくれ。そうしたら、広瀬さんに告白する勇気が出るかも」
「うわあ、めんどくせえ」と尾崎が渋面を作る。
「そんなこと言わないでさ、長い付き合いだろう。頼むよ、三つでいいからさ」と藤井が譲歩した。
尾崎が右手の人差し指、中指、薬指の三本を立ててみせる。
「仕方ねえな。まず、野球部に入っている」
尾崎がまず薬指を一本折る。
「今は入ってないよ。正確には野球部に入っていた、だ。次は? 」と藤井が続きを促す。
「宮崎君より背が高い」薬指に続いて中指が折れる。
「なんか、微妙だな。それってホントに女の子にアピールできるポイントなのか」
「うるせえな。ブースカ言うなら、これでやめるぞ」と人差し指を立てたまま尾崎が言った。
「ごめんなさい、僕が悪かったです。最後、お願いします」
尾崎は宙を睨んだまま考え込んでいる。
「頑張れ、尾崎」と祈るような声で藤井は言った。だが、人差し指は結局、最後まで折れなかった。
「えっ、ホントに終わり? 」
尾崎は右手の人差し指を折りたたむ左手と組んでテーブルの上に置き、藤井を見つめ直すと言った。
「藤井君、人はね、勝ち負けではないんだよ」
「いい話にして終わらせようとするな」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み