顔のない死体(1)

文字数 1,019文字

 耀子先輩は夜七時過ぎた後、やっとバス停に戻ってきた。初夏とは云え、山中の村では陽の陰るのも早く、夕暮れの時間を越えて辺りは既に暗くなって来ている。

 にも関わらず、彼女は悪びれもせず、僕に手を振ってこっちに向かって来た。
「先輩、もうバス出ちゃいましたよ!」
「ごめん、ごめん」
「どうするんですか?」
「幸四郎……。幸四郎だって、覚悟してバス逃したんでしょう? 嫌では無ければ、一緒に野宿しましょうよ?」
 僕はその言葉で、正直全てを許す気になってしまう。確かに、僕はバスを逃した時に耀子先輩と野宿することを覚悟していた。否、僕は耀子さんと泊まることを期待していた。彼女とならば、秘境の山の奥でも構わない。
 だが……。
「駄目ですよ、ここはヤマビルが出るそうですからね。朝になるかも知れませんが……、道路を降って駅まで歩いて行きましょう」
「そうね……。きっと、星が綺麗だわ……」

 僕は耀子先輩との同衾は諦めた。その替わり、全天の天の川を眺めて散歩するデートを選択した。どっちでもいい。彼女と泊ったところで、僕には何もすることが出来ない。彼女は、僕などより遥かに強いのだ。
 勿論、強引に手を出すなど卑劣な行いだ。だが、正直、そんな事すら僕は考えてしまう……。もし、仮に、僕に、彼女を力づくで抑え込める力があったなら……。

「お困りの様ですね。今晩は、公民館にお泊りになられては?」
 七十代くらいの、人の好さそうな老人が僕たちに近づき声を掛けてきた。この村に来てから初めて見た村人の笑顔だった。
「え?」
「私はね、この蛭原村の村長をやらしてもらっている山岸と云う者なのですけどね、どうもお困りの様子なんで……。宿泊施設ではありませんが、外にいるよりはましでしょう。畳の部屋もあるし、野宿するよりは良いと思いますよ」
「よろしいのですか?」
「困った時は相見互いですよ」
 そう言うと、山岸村長は目の前にある公民館へと僕たちを連れて行き、持っていた鍵で戸を開き、耀子先輩と僕を中に招き入れた。

 公民館の内部には、長い卓袱台のある十畳ほどの会議用和室があり、その部屋の隅に座布団が山の様に重ねて積まれている。
「済まないねえ。布団も何もなくて」
「いえ、助かります」
 山岸村長の謙遜の言葉に、耀子先輩は深々と頭を下げて礼を述べる。
「大したものは用意できないが、わしの家から何か食えるものを持ってきてやろう」
 そう言い残し、村長は僕と耀子先輩を置いて公民館から出て行った。
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登場人物紹介

要耀子


某医療系大学看護学部四回生。ミステリー愛好会に所属する謎多き女性。

橿原幸四郎


某医療系大学医学部二回生。ミステリー愛好会所属。

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