第7話 ママチャリ300kmの旅 その1
文字数 1,496文字
外は夜。
リュックを背負い、荷台に空気入れをしばり、私はママチャリにまたぐと、心臓がドキドキと、冒険心を思い出していた――。
私は出発する前、荷物の準備をしながら脳内シミュレーションをしていた。
そして、この旅を成功させるための絶対条件を導き出す。
・怪我をしないこと
・自転車をパンクさせないこと
・あきらめないこと
この心技体ともいえる絶対条件をクリアするには、
・交通事故をしないように交通ルールを守る
・こまめにタイヤに空気を入れて走行する
・やる気と体力がある一日目で進んでおく
この3点が重要だと結論付けた。
私はそれを肝に銘じて、とうとう家を出た。
自転車をこぎ、23区を駆ける。東京は1月の夜だった。都心に近づくにつれて冬らしいイルミネーションが増えていったのを思い出す。皇居周辺や、赤坂にある豊川稲荷の前を通ったことを覚えている。人も建物も徐々に洒落ていく街中。そのなかを、全力無職が走り抜ける。途中、道を90度ほど間違えて数km走行距離が増えてしまったが、そのときに普段は見ることのない夜の六本木の喧騒を見られたので、それもまた一つの思い出だ。
23区を抜けると、建物が低くなり、夜空が広くなっていく。
東京にも穏やかな時が流れる場所もあることを改めて肌で感じながら、かといって、そのときの私の状況では、静寂よりも喧騒のほうが疲労をごまかす力になった。私はひたすらに自転車を漕いで、ようやく東京都の境目に立つ。
目の前には、神奈川県川崎市と書かれた看板。
これをスマホで写真を撮った。
自転車で東京を横断できたことがうれしかったんだと思う。
それから私はまた漕ぎだす。途中でコンビニの明かりに誘われて休憩したり、自転車を漕がなければ決して見ることのなかった町の何気ない住宅街の灯をスマホで撮ったり。
だが漕げば漕ぐほど、静かになっていく。
素直に思ったことは、さっきまで見ていた首都の景色と比べると、やはり静かだ。
まあ、都心と比べても仕方ないのだが。
そんな静かな道中で、印象に残ったものがある。
それは、暗闇の中にぽつんと道沿いでひとつ明るいファーストフード店。
店内はガラス越しで丸見えなのでふと覗いてみると、スーツを着ている中年らしき男性が目に入った。
その容姿は、東京の街中を歩いていても違和感のない、私よりもはるかに洒落ていて東京が似合うダンディな方だった。彼は静かに、そして、おいしそうにハンバーガーを食べていた。
私はその光景に、なぜか心を奪われた。
これについて何がよいと感じたのかと問われても、ギャップなのか、侘びや寂びなのか、そのときはわからなかったが、今考えてみると、その夜にはじめて“人を見た”からなんだと思う。
東京の街には人がたくさんいた。だがそれらは言い方が悪くなるが、東京に染まった装飾品であり、景観の一つぐらいにしか思っていなかった。
だが彼からは、少なくともあのハンバーガーを食べている光景からは、人間を感じた。
べつに深い意味もない。深く考えて話したわけでもない。
ただ、あのときの旅でそれが印象に残った。
つづく
それと申し訳ない。
あのときの旅のことを振り返りながら書き記していくと、続々と書きたいことがわいてしまい、轢き逃げの話は次回にするといっておきながら、轢き逃げの「ひ」の字も書かなかったことをここでお詫びする。だが、その話の前にもプチイベントがあったことも思い出した。
それも書いておきたいのだ。
次回こそ、轢き逃げ回にしたい。
ちなみに、プチイベントのキーワードは「パンク」と「ペンギン」。