第11話 ママチャリ300kmの旅 その5(山岳地帯・前編)

文字数 1,130文字

 私は車には轢かれたが、とくに体に異常はなかった。

 90度も向きの曲がった自転車のハンドルも力づくでひねると元通りになり、少しばかり前輪がくねりとしているが、走行には差支えなし。

 私は旅を続けるため、事故現場を後にする。


 比較的平坦な夜道を走り続けていると、空が明るくなってくる。夜明けだ。
 視界がすべて明るくなったころには、私は山に入る手前の大通りを走っていた。そこは大通りに沿って建物が密集して立ち並び、夜明けとともに人や車の数が増えていく。それを目にして、何もない夜道ばかり走っていた自分のなかに、ささやかながら安心感が生まれた。やはり人は人とつながってしかるべきなのかもしれない。今、それを構築する余裕はないが。

 それに天気は曇り。やはり雪の話が現実味を帯びてきた。

 山を越えている途中で天候が変わってしまうのは問題だ。ここからしばらくは山岳地帯で、山をいくつか越えていかなければならないのだが、ただでさえ走行が楽ではない山道で雨や雪などが降られては極端に体力を消耗してしまう。私は天候を気にしながらも、山に足を踏み入れる。


 ここで、一言。

 ――山、やっぱりきつかった。

 最初の上り坂で実感した。

 さきほどの大通りもいくらかの勾配はあったが、ギアチェンジして立ち漕ぎをすれば難なく進めたのだが、山の坂の勾配には通用せず。自転車での上り坂は苦痛でしかなく、自転車を降りて進むしかなかった。下り坂は言わずもがな楽なのだが、下ったぶんだけ、また上りもある。それに自転車に乗れない時間があるだけ進行が遅れる。さらには、夜通しペダルを漕いでいた脚も山を前にして声をあげ始めた。

 このとき距離はまだ100kmを越えていなかったと思う。
 一日100km進む計算だったが、正直もう休みたかった。

 ちなみに、宿は街にあるネットカフェで済ませる算段だった。まあ、そんなものが山にあるわけもない。だから音をあげて休もうにも、その場に腰をおろすくらいがせいぜい。だがおろせば最後、今度は進むのが煩わしくなる。これは以前に、飲み会のあとに約60kmを歩いて帰ることになったときの経験だ。
 
 だから、私は自転車をひきながら歩くほかに術はなかった。
 疲労のたまった太ももは、休ませろと言わんばかりに、耐えることのできる鬱陶しい痛みをぐちぐちと生み続ける。スマホのマップで道のりを見る。周囲は緑色ばかりが目立っていた。ネットカフェを見つけるのにずいぶんとマップを滑らせた。

 山岳越えは避けられないと覚悟していた。
 だが、まだまだ考えが甘かったようだ。
 振り返ればいたるところで無計画さが際立つ旅だが、しかしなにさ、ゴールできればすべて良しなのだ。
 
 無職は山をも、凌駕する。


 つづく
 
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