第24話 ママチャリ300kmの旅 その終わり
文字数 1,358文字
旅も、いつか終わる。
残りの距離は、とうに100kmを切っていた。
茶畑の高原を抜けると、連なった丘のふくらみを一望できる下り坂の前にいた。そのふくらみに沿うように低地へ続く曲がりくねった長い下り坂。
そんな下り坂をさも映画のワンシーンのように駆け抜けていく。
気を利かせてくれたのか、曲がりくねる下り坂には車が一台も走っていなかった。私はペダルから足をはなして、広げる。上から一気に駆けおり、全身で風を切っていく感覚が心地いい。登ったぶんだけの苦労が、凝縮して還元される。
きっと下っている私の裏では、映画『LIFE!』の主題歌が流れていたことだろう。
低地まで下るとそこには枯れ色の畑が一面に広がり、そのなかにポツンとひとつだけコンビニがたっていた。私はそこでフライドチキンを食べることにする。
じつはこの旅の道中では、コンビニを見つけるたびに休憩がてらよく寄っていた。
そこで暖かいものを食べたくてフライドチキンばかりを買っていた。それとたまにエナジードリンク。
でも何度か食べていたはずなのに、そこで食べたフライドチキンが一番記憶に残っている。
味がよかったからではない。
きっと旅の終わりが近づいていたから憶えていたのだと思う。
畑に囲まれたコンビニの室外機の横でフライドチキンをかじり、コンビニの正面では田舎風景を崩さない車両の数をした電車が通り過ぎていく。それを見て私はまたかじった。
それからの道は、もう山を登ることもなくなった。
私は初心を思い出すように、ただひたすらに道を走る。
日は暮れていく。
疲労はもちろんたまっていたが、最後という言葉が体を引っ張っていく。
そして夜になる。
だが、ここには東京のように高層で赤く光る蛍はいない。
深夜0時をまたいで走るような電車の音もない。
私に干渉してくるのは休暇の知らない信号機のみ。
不思議なもので、走る道路から故郷を感じていた。
若いころ、高校生のころは、自転車でよく色々な道をしゃかりきになって走っていた。
有り余る体力で、サドルに腰も下ろさずに。それが楽しくて、気持ちよかった。
あのときのアスファルトの道路から感じる衝撃、漕ぎやすさ、起伏……。
東京に出るまでにずっと味わっていた道の“味”を、思い出す。
――『愛知県』
暗闇のなか、その文字の書かれた看板が、私の上にあった。
私は自転車を降りた。
見えもしないが、その看板の横にあるであろう境界を見る。
これをまたぐために、私は“ただひたすら”に自転車で走ってきたのだ。
とくに深い意味もなく、とくに深く考えずはじめた旅。
振り返れば、ふざけた旅だった。
道は間違えるし、自転車の空気入れは壊れるし、車には轢かれるし。
枯れ草や積雪の上を歩かされるわ、追い風が容赦ないわ、夜の山道を歩かされるわ……。
ほかにも細かいことを思い出せばキリがないが、
嫌いじゃない旅だった。
夜の静岡の片隅で、
誰にも見られず、誰にも応援されず、誰にも知られない一人が、
――愛知を踏みしめる。
マップはもういらない。
もう語ることもないだろう。
ここからはただ、ひたすらに走っただけだから。
でも、しいて語るなら。
実家の玄関を開けたとき、「ただいま」と言ったくらいか。
おわり
残りの距離は、とうに100kmを切っていた。
茶畑の高原を抜けると、連なった丘のふくらみを一望できる下り坂の前にいた。そのふくらみに沿うように低地へ続く曲がりくねった長い下り坂。
そんな下り坂をさも映画のワンシーンのように駆け抜けていく。
気を利かせてくれたのか、曲がりくねる下り坂には車が一台も走っていなかった。私はペダルから足をはなして、広げる。上から一気に駆けおり、全身で風を切っていく感覚が心地いい。登ったぶんだけの苦労が、凝縮して還元される。
きっと下っている私の裏では、映画『LIFE!』の主題歌が流れていたことだろう。
低地まで下るとそこには枯れ色の畑が一面に広がり、そのなかにポツンとひとつだけコンビニがたっていた。私はそこでフライドチキンを食べることにする。
じつはこの旅の道中では、コンビニを見つけるたびに休憩がてらよく寄っていた。
そこで暖かいものを食べたくてフライドチキンばかりを買っていた。それとたまにエナジードリンク。
でも何度か食べていたはずなのに、そこで食べたフライドチキンが一番記憶に残っている。
味がよかったからではない。
きっと旅の終わりが近づいていたから憶えていたのだと思う。
畑に囲まれたコンビニの室外機の横でフライドチキンをかじり、コンビニの正面では田舎風景を崩さない車両の数をした電車が通り過ぎていく。それを見て私はまたかじった。
それからの道は、もう山を登ることもなくなった。
私は初心を思い出すように、ただひたすらに道を走る。
日は暮れていく。
疲労はもちろんたまっていたが、最後という言葉が体を引っ張っていく。
そして夜になる。
だが、ここには東京のように高層で赤く光る蛍はいない。
深夜0時をまたいで走るような電車の音もない。
私に干渉してくるのは休暇の知らない信号機のみ。
不思議なもので、走る道路から故郷を感じていた。
若いころ、高校生のころは、自転車でよく色々な道をしゃかりきになって走っていた。
有り余る体力で、サドルに腰も下ろさずに。それが楽しくて、気持ちよかった。
あのときのアスファルトの道路から感じる衝撃、漕ぎやすさ、起伏……。
東京に出るまでにずっと味わっていた道の“味”を、思い出す。
――『愛知県』
暗闇のなか、その文字の書かれた看板が、私の上にあった。
私は自転車を降りた。
見えもしないが、その看板の横にあるであろう境界を見る。
これをまたぐために、私は“ただひたすら”に自転車で走ってきたのだ。
とくに深い意味もなく、とくに深く考えずはじめた旅。
振り返れば、ふざけた旅だった。
道は間違えるし、自転車の空気入れは壊れるし、車には轢かれるし。
枯れ草や積雪の上を歩かされるわ、追い風が容赦ないわ、夜の山道を歩かされるわ……。
ほかにも細かいことを思い出せばキリがないが、
嫌いじゃない旅だった。
夜の静岡の片隅で、
誰にも見られず、誰にも応援されず、誰にも知られない一人が、
――愛知を踏みしめる。
マップはもういらない。
もう語ることもないだろう。
ここからはただ、ひたすらに走っただけだから。
でも、しいて語るなら。
実家の玄関を開けたとき、「ただいま」と言ったくらいか。
おわり