第5話 エッセイ、と思しきものを書いてみて
文字数 941文字
無職が懸賞金につられてエッセイなるものをここまで書いてみて、5話目。
そこそこに書き綴ってみて思ったことは、なかなかにムズイ。
こうみえて、エッセイを書くにあたってネットでざっくりとそれについて調べてはいるのだ。
そこではエッセイを、
――随筆であり、形式は自由で、しかし事実を書くもの
とまあ、こんな感じに書いてあったので、それを信じて今日まで書いてきたのだが、他人に見られる、評価されるという側面をもつエッセイとなると、はたしてこのまま書き進めてもよいのだろうかと苦心する。
日々の思ったことを素直に書くのが一番ではあるが、私のエッセイは、すでに知られているような「蛇口をひねると水が出たよ! すごいね!」ぐらいのものしか書いていないような気もする。
そのような類を無学のままに書き続けてもいいのだが、自分の書いたものが評価されてほしいという欲があるのも、また事実。
とはいえ、エッセイに嘘はいけない。しかしながら、評価される面白いものを書きたい。
うーん。
……あったな。そういえば。
嘘もつかずにそれなりに面白いものが。
事実は小説よりも奇なり。
私はどんな人間にも、絶対に面白い話や体験があると信じている。
ないという人は、その本人が気づいていない、もしくは忘れていた、または主観的に面白くないと受け取ってしまっていただけである。いや、そうだ。
そして私にもあった。思い返せば面白い実体験が。
深夜に約60キロの距離を歩いて帰る羽目になり、途中、国道の歩道の片隅で寝たこと。
あのイタリアのヴェネツィアで、英語もしゃべれないのにホテルでオートロックの罠にかかり、深夜の駅前で欲しくもないシャーベットを食べる羽目になったこと。
うむ、私の物語はいつも深夜から始まるな。
まあ、それらはまたの機会があれば書くとしよう。
私はこのエッセイの最後を、
嘘をつかずに、それなりに面白くて、そして語りたかったことで、
締めたいと思う。
これはもはやエッセイではなく、ただの過去話になってしまうかもしれないが、なあに、エッセイとは随筆だ自由形式だ。フィクションじゃなければ問題なし。
ただ少々この話は長くなってしまうかもしれない。
なにせ私が、はじめて無職になった話だからだ。
そこそこに書き綴ってみて思ったことは、なかなかにムズイ。
こうみえて、エッセイを書くにあたってネットでざっくりとそれについて調べてはいるのだ。
そこではエッセイを、
――随筆であり、形式は自由で、しかし事実を書くもの
とまあ、こんな感じに書いてあったので、それを信じて今日まで書いてきたのだが、他人に見られる、評価されるという側面をもつエッセイとなると、はたしてこのまま書き進めてもよいのだろうかと苦心する。
日々の思ったことを素直に書くのが一番ではあるが、私のエッセイは、すでに知られているような「蛇口をひねると水が出たよ! すごいね!」ぐらいのものしか書いていないような気もする。
そのような類を無学のままに書き続けてもいいのだが、自分の書いたものが評価されてほしいという欲があるのも、また事実。
とはいえ、エッセイに嘘はいけない。しかしながら、評価される面白いものを書きたい。
うーん。
……あったな。そういえば。
嘘もつかずにそれなりに面白いものが。
事実は小説よりも奇なり。
私はどんな人間にも、絶対に面白い話や体験があると信じている。
ないという人は、その本人が気づいていない、もしくは忘れていた、または主観的に面白くないと受け取ってしまっていただけである。いや、そうだ。
そして私にもあった。思い返せば面白い実体験が。
深夜に約60キロの距離を歩いて帰る羽目になり、途中、国道の歩道の片隅で寝たこと。
あのイタリアのヴェネツィアで、英語もしゃべれないのにホテルでオートロックの罠にかかり、深夜の駅前で欲しくもないシャーベットを食べる羽目になったこと。
うむ、私の物語はいつも深夜から始まるな。
まあ、それらはまたの機会があれば書くとしよう。
私はこのエッセイの最後を、
嘘をつかずに、それなりに面白くて、そして語りたかったことで、
締めたいと思う。
これはもはやエッセイではなく、ただの過去話になってしまうかもしれないが、なあに、エッセイとは随筆だ自由形式だ。フィクションじゃなければ問題なし。
ただ少々この話は長くなってしまうかもしれない。
なにせ私が、はじめて無職になった話だからだ。