第4話 ソフト麺と工場

文字数 1,177文字

 早朝の食品工場から垂れ流れる食品の匂いは無職にも平等だ。
 
 朝飯を食べずに散歩でその工場の横を通ると、美味い。

 それはさておき、どこかで得た知識なのだが、匂いは記憶とよく繋がっているらしい。たしかに、私はその匂いを嗅いだことですぐにある記憶を思い出す。

 小学校の給食で食べたあのソフト麺を。
 あれはうまかったなー。
 ミートソースかけて食べたなー。
 そうすると芋づる式に、給食で好きだったもの、嫌いだったものが記憶の中から掘り起こされる。串カツが好きで、一口さんまが嫌いで。

 あの頃は純粋に毎日を楽しんでいたな。

 そう思いながらも、まさか自分の未来の最先端が『無職』とは、あの頃の私は思ってもみなかったことだろう笑。実際、思ってなかった笑。もう笑いをつけてごまかすほかない笑


 ……ふと思ったのだが。
 小学校の雰囲気を、昨今の疲弊した大人に疑似体験させられるサービスがあれば儲かるのではないだろうか。廃校などを改築して。
 音楽室でみんなで歌ったり、同じ教室で給食をみんなで食べたり、昼休みに校庭でみんなで遊んだり。
 大半の疲れ切った大人はあの頃に帰りたいと思っているはずだ。いける、はずだ。
 とはいえ、私にはそんなサービスを提供する器量も余裕もないゆえ、どこかの酔狂な者に頼むほかない。

 それもさておき。
 私は工場を見ると、こう、説明しがたいのだが、偉大というか、尊敬というか、かっこよさのようなものを感じてしまう。それはなぜなのかと私は散歩しながら考える。
 その答えはすぐに導き出せた。

 工場には、“オシャレ”がないからだ。

 こいつは何を言っているんだ、と思われたくないので説明させていただく。
 たとえばオシャレとは、服でいえば服の形、装飾、色彩などを変えて個性を出すこと、ときには寒い冬でも脚を出したり、暑い夏でもTシャツのうえにもう一枚羽織ったり……実用的ではないが、これらはオシャレであり、いわばオシャレとは「個性を出すための遊び心」と言ってもいいのではないだろうか。あえて多めにポケットをつけたり、わざとボロボロにしたりすることもあるが、それらもオシャレのひとつだ。
 
 だが逆を返せば、実用的でない部分が内包されているということだ。

 しかし、実用性と効率性が優先される工場ではどうだろうか。
 頭のなかでパッと工場を想像してみてほしい。きっと多くの方がゴチャゴチャとした建物を思い浮かべるはずだ。しかし、そのゴチャゴチャしたものすべてが、その細部一つ一つまでもが実用性の塊になっている。
 
 つまるところ。あれだけゴチャゴチャしていようとも、それが実用性100%の完璧な姿だと思うと、そのギャップに興奮を覚えないだろうか?

 ……覚えないか。まあ、各々の感性は違うから仕方あるまい。


 そんな工場の魅力について考えながら、私はまたソフト麺の味を思い出す。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み