第26話「ロー・エリアの暮らし」

文字数 4,851文字

 ロー・エリアは、イプシロン・エリアのような整然とした街並みではなく、廃墟だらけで、雑然としていた。至る所にゴミが散らばり、そのゴミをカラスたちがつついてあさっていた。
 怪しげなビルも建っていた。露店もあったが、やはりどこか怪しげな空気が漂っている。町角には、下着のような恰好をした女が立って客を誘っていた。その女の立つ道の奥に、ネオンの看板がビカビカと光っていた。
 そのような所を通り過ぎて、川辺へ来ると、そこにはたくさんのバラックがひしめき合っていた。バラックは、木の板やぼろ布やトタンなどで出来ていた。
「ここが俺たちの住み家だ。」
 マリンは驚いていた。
 ルカのバラックを覗くと、そこは、人一人が横になれるだけの狭さで、着替えの入った段ボールが一つと、生活用品が少し置いてあるだけだった。
 バラックの外に、共用の冷蔵庫やコンロが置いてあり、そこで皆で料理を作って皆で食べるようになっていた。
 また、共同で使う風呂は、ドラム缶をブロックの上に置いたもので、ドラム缶に水を入れて、ブロックの間で火を焚いて、湯を沸かして入るようになっていた。
 洗濯は、井戸が近くにあり、そこに大きなたらいが置いてあって、そこで洗い、川の上の橋に紐で吊るして洗濯物を干していた。
 トイレは、共同で使うトイレがあって、旧式のウォシュレット・トイレで、旧下水道は、今でもロー・エリアでは機能していた。トイレ、下水処理に関して、他のエリアや、パラダイスでは、水を使わず、もっと発達した処理技術が用いられていた。
 ゴミは、昔はその辺に捨てたり、川に捨てたりしていたが、ゴーレムが出来てからは、定期的に、ゴーレムの者が見回りついでに引き取ってくれるようになった。
「びっくりしただろ?」
 ルカが言った。
「イプシロンと比べて、原始的な生活って感じか。でもまあ、俺はここでの暮らしが気に入ってるけどな。」
「そうね…。皆で暮らしているってところが、家族みたいでいいと思うわ。」
「見たことねえきれーなねえちゃんだな。」
と、バラックの住人が話しかけてきた。
「ルカ、友達を連れて来たのかい。」
「ああ。マリンていうんだ。」
「マリンちゃんか。ルカをよろしくな。そうだ、これから皆で夕食なんだ。一緒に食べていくといい。」
「はい、ありがとうございます。」
 マリンも、バラックの夕食を皆と共に食べた。
「今日は本当にありがとう。夕食までごちそうになっちゃって。おいしかったわ。」
「そりゃ、よかった。それじゃ今度は、お前んトコを見せろ。そこまで送って行くから。」
 ルカとマリンは、それぞれのライドで、イプシロン・エリアへ向かった。
 マリンは、「RED CAT」から少し離れた所にあるアパートメントに一人で住んでいた。
「ふーん。さすがに俺んトコと全然違うな。綺麗で立派なトコじゃねえか。」
「少し、寄って行かない?」
「ああ…。」
 マリンの部屋は、六畳一間に、ダイニング・キッチンと、風呂、トイレ付きだった。
 玄関に入ってすぐ、花のようないい香りがした。下駄箱の上に置いてある花瓶に、ピンクの花が飾ってあった。
「そこに座ってて。今、お茶を淹れるから。」
 ダイニングの椅子に座ると、ルカは物珍しそうに部屋を眺めた。こんなに整然とした綺麗な部屋を見るのは初めてだったし、女性の一人暮らしの部屋に入ったのも初めてだった。
「これは何の茶なんだ?普通の味と違うが…。」
「ハーブティーよ。口に合わなかった?」
「いや。これはこれでうまいな。」
「よかった。」
 しばらくして、マリンが話し出した。
「そういえば、ルカは父も母もいないって言ってたけど…。」
「ああ。あそこにいる奴ら皆、捨てられたりした孤児なんだ。だからこそ、家族みたいに、皆で支え合って生活してるんだ。」
「そうなんだ…。」
 少し沈黙したあと、再びマリンが口を開いた。
「私もね、似たようなものなの。子供の頃は、カイ・エリアにいて、親は漁師をしていたわ。でも、生活が苦しくて、ある日、私はイプシロン・エリアに置き去りにされたの。9歳だった。捨てられたって分からなかったの、最初は。ずっと待っていても、戻って来なかったし、私はBOXも持ってなかった。どうやってイプシロンからカイまで行って、うちに帰ればいいかも分からない。ふらふらさまよってたら、人買いに捕まって。パラダイスに売り飛ばされそうになってたところを、ゴーレムの人に助けてもらったの。それが、テキーラさんと、ジンジャーさん。『RED CAT』の人たちよ。その後も、色々お世話してもらって、その恩返しがしたくて、『RED CAT』で働いているの。」
「そういうことだったのか…。」
「私、色んな人に助けられてばかりね。ルカにも。」
「俺だって、お前のおかげで仕事を見つけられたぜ。お互い様だ。」
「そうね。」
 しばらく互いの話をして、時が過ぎ、夜の11時を過ぎた。
「もうこんな時間。大変、ルカさん、引き留めちゃってごめんね。明日も仕事なのに。」
「いや、大丈夫だ。なんか、楽しかったぜ。じゃあ、またな。マリン。」
 ルカはエアライドに乗って、夜のイプシロンを走っていった。

 しばらく走っていて、ふとルカは、あとをつけられている気配を感じた。振り向くと、ヘルメットを被り、ライダースーツを着た者が、エアライドに乗ってこちらへ向かって走ってきた。
 何か危険な匂いを感じたルカは、スピードを上げて走った。
 すると、後ろを走る者もスピードを上げて追ってきた。
 曲がり角を曲がってもついてくる。どこまでも、追いかけてくる。
「ふん、追いつけるものか。」
 ルカは更にスピードを上げ、引き離した。が、すぐに追いつかれた。
 後ろを走る者は、ルカと少し距離をおいて、ぴたりとついてきた。
「ちっ、なんなんだよ、一体…。」
 このままロー・エリアのバラックへ戻るのはまずい気がしたので、ルカは、イプシロン・エリアをぐるぐると回ってやり過ごそうとしたが、奴は、どこまでもついてきた。
 ふとルカは、奴が人間なのかと疑った。黒いヘルメットに黒いライダースーツ。黒いエアライド。人間を感じさせるものがなかった。しかし、ルカを執拗に追いかけてくるのだ。
 「奴」の後ろから、更にもう一台の白いエアライドが現れた。その隣には、エアブレードを履いた女が駆けていた。
「ルカ!そいつはサイバー・ゴーストだ!逃げろ!」
 白いエアライドに乗った男が叫んだ。よく見ると、その男は、昼間会ったフィンという男だった。銀髪が特徴的だったので、ルカはよく覚えていた。
「フィン!」
 ルカは言われた通り、逃げたが、ゴーストはそれでも追ってきた。
 フィンは、ゴーストのエアライドに飛び乗り、フィンの空っぽになったライドにウォッカが乗った。そして、フィンは、間髪入れずに、ヘルメットごとゴーストの首を剣で斬り落とした。大量の黒い血が辺りに飛び散った。フィンの白い服にも、黒い血がべっとりとついた。
 道にゴーストの頭が転がった。それを、後から来たウォッカが()き潰した。
 首を失ったゴーストは、なおもライドに乗ったまま動かない。ルカは逃げ続けている。
 フィンは、ゴーストのライドを操作して急停止させた。
 大きな音がして、思わずルカは振り返った。
 そのとき、ちょうどフィンが、ゴーストの体を真っ二つに、電気を帯びた剣で斬り裂くところだった。斬り裂いた瞬間、白い閃光が走り、闇が眩しく割れた。
 道に転がされたゴーストの胴体は、やがて炎に包まれて、ゴーストのライドも、燃え移った炎に包まれて焼かれた。
「これもよ!」
と、ウォッカが潰れたゴーストの頭を炎の中に投げ入れた。
 ライドを停めてその一部始終を見ていたルカは、呆然としていた。
「て…てめえら…、殺したのか…。ザンコクだな…。」
「サイバー・ゴーストだ。殺さなきゃ、死なない怪物だ。お前の方が、ゴーストに殺られるトコだったんだ。」
 フィンは、ミリタリーブーツにミリタリーパンツ、黒いTシャツの上に白いロングコート、頭にはゴーグルという出で立ちで、黒い血まみれになりながら、笑っていた。しかしその笑いは、快活な笑いだった。
「早く帰った方がいい。またゴーストと鬼ごっこは嫌だろう?」
「…フィンだっけ。ありがとう。」
「ちょっと。あたしにはお礼なし?」
 ウォッカが膨れてみせた。
「あんたも、ゴーレム?」
「昼間、フィンと一緒の猫を見なかった?それがあたし。ウォッカっていうの。よろしくー。」
「ああ、あの猫か…って…?え?」
 ルカは訝しげに、ウォッカを見た。
「ま、その説明は後日。さっさと帰れよ。じゃまたねー。」
 フィンはルカに手を振って、ウォッカと共に去っていった。
「どーいう奴らだ…。」
 ルカは首を傾げながら、帰路についた。

「確かに残酷かもね。あんなに、浄化にこだわってたフィンが、ゴーストを簡単に殺してしまうなんて…。サイバーになって、人が変わったんじゃないの?」
「そうか?でも、殺す=浄化だからなア。サイバー・ゴーストの場合は。しょーがないだろ。」
「なんかフィン、ちょっと楽しそうなんだもの…。」
「それはいかん傾向だな。キールの言ってた『ルツィフェル化』にゃ気をつけねーと。」
「なにそれ?」
「サイバーになった奴は、自分の力をコントロールしないと、使いすぎて、『アーリマン化』したり『ルツィフェル化』することがあるんだと。つまりそれは、サイバーの力に飲み込まれて、ほぼサイバー・ゴーストになっちまうのと同じことさ。」
「ええっ!?サイバーにもそんなリスクがあるのね。」
「ああ。アーリマン化=キカイ化、ルツィフェル化=バンパイア化。」
「テキーラさんたちは、特殊サイバーってことで、キール博士にも認められたらしいけど、そもそも、ルツィフェル=バンパイアの人で、理性を保ってるのっているの?」
「まあ、テキーラたちはそもそもサイバーじゃないからな。サイバー・ゴーストに理性や心はない。だから、ルツィフェル、つまりサイバーのバンパイアで、理性を持ってる奴はいない。俺の学習によると、ルツィフェルは、獣の姿をした怪物みてーな外見らしい。アーリマンは、さっき殺ったみてーな、機械みたいな奴。」
「さすがフィン、よく勉強してるのね。」
「お前が勉強不足なんだ。何でも俺に聞けばいいと思ってんだろ。」
「えへへ…そのとーりです。ところでさ、あのルカって、マリンを助けた人なんだよね。目が青くて鋭くて美形だねー。マリンも美人だし、すごくお似合いじゃない?」
「ふーん、そうなのか?」
「もう、鈍感ね。マリンはね、ルカのために仕事を紹介してあげたのよ。」
「そういや、昼間も『RED CAT』の前にいたなあ、あいつ。」
「フィンはもう少し、人間関係を勉強した方がいいんじゃない。」
 フィンは、十字眼を開いて、サイバー・ゴーストの気配を探った。
 十字眼(クロス・アイズ)。
 この時代へ来て、フィンが新たに獲得した力。
 昔背中に背負っていた、『呪いの剣』が、フィンの眼と一体になり、浄化すべき存在を発見する能力に変わった。
 十字眼になると、外見上にも、変化が現れる。緑の目が黄金に光り、瞳孔が十字型になる。
 その眼を開くと、浄化すべき存在、つまり、サイバー・ゴーストの気配が分かるのだ。
「…もう、この辺にはいないようだ。」
 フィンの目が元の緑に戻った。
「すごいよね、その十字眼て。金色に光って綺麗だし…。」
「十字眼なんて、キールの奴、変な名前付けたもんだな。」
「キール博士は、サイバー手術の結果、そうなったと思ってるんでしょ。」
「ああ。しかしこれは、手術の結果じゃない。おそらく。呪いの剣が変化したものだろう。まだ、浄化の使命が終わってはいないということだ。」
「フィンはいつになったら、その『使命』とやらから、解放されるのかしらね…。」
「もう十分解放されてるさ。」
「え?」
「さ、もう帰ろうぜ。今日のパトロールは終わりだ。」
 時刻は午前二時になろうとしていた。
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