5-9 帰ってきた男
文字数 1,632文字
その男は、三年ぶりに空の樹に戻ってきた。
(こんなに花が多かったか?)
大樹の枝に広がる樹海を歩きながら男――シグレは内心で首をひねった。季節の変化に乏しいこの熱帯では、樹木の花開く時期は特に決まっていない。そして紅葉のような一斉の落葉もないために、森は常に緑だ。だから花が咲いても、緑の下地に白い斑点が浮いて見える程度のはずだった。
だが。
「すごい光景ですね。まるで満天の星の下にいるような」
「ああ」
空を見上げながら感嘆している部下に同意する。本来なら木漏れ日に輝く緑の覆いは今、白や赤、黄色など色とりどりの花弁で色付いていた。少なくとも自分がこの森を出たときは、これほど花が咲き誇ることはなかったはずだ。たまたま森全体で開花が重なったのか、それとも――。
(ヒタクが手入れをした成果、か? ……いや、ないな。この森は一人で管理できる広さじゃない)
管理者から教わった草花の手入れに、夢中になって取り組んでいた弟の顔を思い浮かべる。だが異変に対する考察は、隣を歩く部下の声で終わりとなった。
「隊長、あそこに人が!」
「!」
即座に思考を断ち切り視線を走らせる。すると探すまでもなく、細身の身体に風をまとったような装束の女性――カグヤと目が合った。
「……マディウン。皆を集めて、そのまま待機していてくれ」
「待機でいいんですか?」
「彼女がフソウの管理者だ。不興を買うと天人の遺産どころではない」
高ぶる気持ちを抑え、隊を率いる者として必要な指示を出す。
「俺が話をしてくる」
「了解です」
相手との距離はそれなりにある。だがシグレは、あえてゆっくりと歩みを進めながら声をかけた。
「久しぶりだ」
「そう。誰かと思ったらあなただったの」
「ああ……」
返ってきた声には温度が感じられなかった。少なくとも、再会を喜ぶ雰囲気ではない。
今の自分の立場を考えれば当然だが。
「突然すまないな、大所帯で押しかけて」
「ええ」
エクアトリア連邦世界樹調査隊隊長。
それが現在のシグレの肩書きだ。
「いつか、こんな日が来ると予想はしていた。白虹 へ至るために、個人ではなく国家が動く日が」
カグヤは空の森の樹冠を押し潰しながら強行着陸した、大型飛行船に目を向けながら続ける。その声には非難がにじみ出ていた。
「もっとも、それにあなたが加担するとは全くの想定外だったけれど」
兵士たちが邪魔な樹々を切り開き、花が無残に散っていた。鳥たちも空へと追いやられ、獣たちが次々に緑の奥へと逃げ込んでいる。だがシグレは、かつて過ごした楽園の悲劇を気にすることなく彼女だけを見つめ告げた。
「俺は、自分の未来を自分でつかむために空へ出た。天人の遺産を手に入れるためなら、俺は手段を選ばない」
「随分な言い草ね。ヒタクが聞くと怒るわよ。そうでなくてもあなた、ろくに説明もしないで姿を消したではないの。泣きじゃくるあの子をなだめるの、大変だったわよ」
「……あいつは今どうしている? 姿が見えないようだが」
「デート。今頃どこかの島で、かわいい娘 とお茶でもしているのではないかしら」
「?」
思わぬ返答に戸惑う。だが彼女は、それ以上のことは語らず本題に入った。
「それで、あなたはこれから何をどうするというの。まさかフソウを登って白虹 へ至ろうというのではないでしょう」
「そのまさかだ」
「!?」
「この樹を、本来あるべき姿に戻す。お前の役目ももう終わりだ」
「……そう。そこまで知ってしまったの」
それまで真 っ直 ぐ見返してきていたカグヤの目が伏せられた。さらりとした銀の髪に顔が隠れ、全てを受け入れた静かな声だけが彼女の感情をあらわにする。
限界だった。
気持ちを抑えきれず、シグレは彼女の手を取った。
「たとえ人でなくても構わない。俺は、天人の遺産 が……!」
「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しい。けれど――」
管理者は悲しそうに、だが顔を上げ決然と口を開く。
「あなたの想いに応えることはできない。あなたと共に生きることはできないの」
(こんなに花が多かったか?)
大樹の枝に広がる樹海を歩きながら男――シグレは内心で首をひねった。季節の変化に乏しいこの熱帯では、樹木の花開く時期は特に決まっていない。そして紅葉のような一斉の落葉もないために、森は常に緑だ。だから花が咲いても、緑の下地に白い斑点が浮いて見える程度のはずだった。
だが。
「すごい光景ですね。まるで満天の星の下にいるような」
「ああ」
空を見上げながら感嘆している部下に同意する。本来なら木漏れ日に輝く緑の覆いは今、白や赤、黄色など色とりどりの花弁で色付いていた。少なくとも自分がこの森を出たときは、これほど花が咲き誇ることはなかったはずだ。たまたま森全体で開花が重なったのか、それとも――。
(ヒタクが手入れをした成果、か? ……いや、ないな。この森は一人で管理できる広さじゃない)
管理者から教わった草花の手入れに、夢中になって取り組んでいた弟の顔を思い浮かべる。だが異変に対する考察は、隣を歩く部下の声で終わりとなった。
「隊長、あそこに人が!」
「!」
即座に思考を断ち切り視線を走らせる。すると探すまでもなく、細身の身体に風をまとったような装束の女性――カグヤと目が合った。
「……マディウン。皆を集めて、そのまま待機していてくれ」
「待機でいいんですか?」
「彼女がフソウの管理者だ。不興を買うと天人の遺産どころではない」
高ぶる気持ちを抑え、隊を率いる者として必要な指示を出す。
「俺が話をしてくる」
「了解です」
相手との距離はそれなりにある。だがシグレは、あえてゆっくりと歩みを進めながら声をかけた。
「久しぶりだ」
「そう。誰かと思ったらあなただったの」
「ああ……」
返ってきた声には温度が感じられなかった。少なくとも、再会を喜ぶ雰囲気ではない。
今の自分の立場を考えれば当然だが。
「突然すまないな、大所帯で押しかけて」
「ええ」
エクアトリア連邦世界樹調査隊隊長。
それが現在のシグレの肩書きだ。
「いつか、こんな日が来ると予想はしていた。
カグヤは空の森の樹冠を押し潰しながら強行着陸した、大型飛行船に目を向けながら続ける。その声には非難がにじみ出ていた。
「もっとも、それにあなたが加担するとは全くの想定外だったけれど」
兵士たちが邪魔な樹々を切り開き、花が無残に散っていた。鳥たちも空へと追いやられ、獣たちが次々に緑の奥へと逃げ込んでいる。だがシグレは、かつて過ごした楽園の悲劇を気にすることなく彼女だけを見つめ告げた。
「俺は、自分の未来を自分でつかむために空へ出た。天人の遺産を手に入れるためなら、俺は手段を選ばない」
「随分な言い草ね。ヒタクが聞くと怒るわよ。そうでなくてもあなた、ろくに説明もしないで姿を消したではないの。泣きじゃくるあの子をなだめるの、大変だったわよ」
「……あいつは今どうしている? 姿が見えないようだが」
「デート。今頃どこかの島で、かわいい
「?」
思わぬ返答に戸惑う。だが彼女は、それ以上のことは語らず本題に入った。
「それで、あなたはこれから何をどうするというの。まさかフソウを登って
「そのまさかだ」
「!?」
「この樹を、本来あるべき姿に戻す。お前の役目ももう終わりだ」
「……そう。そこまで知ってしまったの」
それまで
限界だった。
気持ちを抑えきれず、シグレは彼女の手を取った。
「たとえ人でなくても構わない。俺は、
「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しい。けれど――」
管理者は悲しそうに、だが顔を上げ決然と口を開く。
「あなたの想いに応えることはできない。あなたと共に生きることはできないの」