7-8 空宙を進む
文字数 2,131文字
「なんか、動きづらい……」
「ほんと。空の上がこんなおかしなところだったなんて、思ってもみなかったわ」
重力が打ち消された状態というのはどうにもなれない。翼で飛ぶのとはまた違う。だが空の交易を生業 とする少女の方は、言葉ほどには苦労していなかった。安定した姿勢で宙を滑り、さらには雑談を持ち掛けてくる余裕まである。
「あんたってさ、しっかりしてるように見えて、どこか抜けてるのわよね」
「そ、そうかな?」
「ええ。クロロネシアから戻ってくるときとか、お姉さんのことになると思いっきり割り切るのに。さっきのあの慌てようったら」
「うぅ……」
「クァ」
「ほら。この子もそうだって言ってるわ」
「え? ヤタの言ってることが分かるの?」
「もちろんよ」
などと言葉を交わすうちにヒタクも落ち着いてきた。改めて周囲を見回してみる。
(何かかがらんとしてる……というか、何もない? あ、あの矢印は道案内かな。じゃあ、その下に書かれてる記号が行き先ってことかな)
照明こそあるが、他にはところどころに標識の浮き出た壁しかない、殺風景な空間が続く。だが向かう先が白虹 という施設の管理室ならば、今進んでいるのは業務用の通路のはずだ。余計な装飾がないのは当然だろう。
ロボットの案内に従いながら、明るくも寒々とした空間を浮遊する。そうしてどれくらい進んだだろうか。とある角を曲がったところで、ヒタクは小さく声を上げた。
「あ、待って」
「ハイ、ドウサレマシタ?」
調査隊の一員だろうか。通路の先に制服姿の男女が浮かんでいるのが見えた。アヌエナも気付いて、振り向くロボットの腕を引っ張った。
「いったん戻るわよ。そこの角に」
「ワカリマシタ」
相手側に気付かれる前に急ぎ身を隠す。幸い、向こうはこちらを見ていないようだった。どうやら空の上の世界を観察しているらしく、壁に設けられた大窓を取り囲むようにして、外の光景に見入っている。
「『こんとろーるるーむ』って、あの先かな」
「ハイ、ソウデス」
「当たりみたいね。……さて、次はどうするか」
「何とかして向こう側に行けるといいんだけど」
二人額を突き合わせて相談していると、案内人が申し出た。
「なにカ、おてつだいシマショウカ?」
「おてつだい……あ! あなたみたいな『ろぼっと』って、ここにもいる?」
「ハイ」
「じゃあカグヤさんを探す間、あいつらを押さえててもらうっていうのはどう? そこまでは無理でも、注意を引き付けてもらうとか」
アヌエナが閃 いたとばかりに声を弾ませる。
立ち塞がる相手は大人、それも軍人であることを考えれば彼女の提案はもっともだ。しかしヒタクは、あえて否定的に答えた。
「それは……やめておいたほうがいいと思う。何か騒ぎが起これば姉さんだって気付くだろうし、そしたら今度はあの人が命令するよ。僕らを捕まえて地上に送り返せって」
子供のお願いと管理者の指示、どちらが白虹 の整備員にとって優先度が高いのか。
その点を指摘すると、彼女も納得したとばかりにうなづいた。
「確かに。あの人、『ろぼっと』のまとめ役だったわね。いくらこの子が親切だからって、なにもかも頼るわけにはいかないか」
「うん」
「せめて中立でいてくれたら……ん?」
「どうしたの」
「そう言えばカグヤさんって、どうして六つ星に協力してるのかしら? あんたのお兄さんに頼まれたとか?」
「……あれ? ホントだ」
問われてヒタクも疑問に思った。自分の知る姉なら、どこか特定の国に協力することはなさそうに思える。
(兄さんに頼まれたから? でもそれこそ、私情を挟むようなことはしないように思えるけど……)
樹の洞 の奥に消えた後ろ姿を思い浮かべていると、さらに別の疑問が湧き始める。
(そういえばフソウって、天人が空に降りるときに建てたって話だけど……、森で見たアレはどう考えても……、でも雪のところでロボットに案内された時は……)
「結局、本人に直接聞くしかないってことね」
「! そう、そうだよね」
袋小路に陥りかけたヒタクの思考を、アヌエナの声が引き戻してくれた。まるで頭の中を覆う霧晴れた気分だった。
(そうだよ。僕が森に残ったのは、姉さんの手助けをしたいからなんだ。あんな一方的なお別れじゃなくて、ちゃんと説明してもらわなくちゃ)
少年は決意も新たに、前へ進もうと――。
「高速展翅――」
「ちょ、ちょ!」
絡繰 り仕掛けの翼に手を掛けたところで、少女に止められた。
「なにいきなり、突撃しようとしてんの!」
「え? だって、向こうに行くにはあそこを通らなきゃ」
「ばっか! すんなり通れると思ってるの? 向こうの方が数が多いんだから。のこのこ姿を見せたりしたら、そのまま捕まっちゃうでしょ!」
「うん。だから勢い任せに突っ切ろうと――」
「……あんたって、物知りな割に考えなしね」
「そ、そうかな?」
「そうよ。知識はあっても知恵はないっていうか」
「う」
少女の残念そうな物言いが、かえって深く胸に突き刺さる。だが同時に悔しさも覚えて、ヒタクは言い返した。
「じ、じゃあ、君に何かいい考えがあるっていうの?」
「もちろん。こういう時はね、相手の数を減らすのが一番よ」
そう言ってアヌエナは、傍らで次の指示を待つロボットの頭をなでた。
「ほんと。空の上がこんなおかしなところだったなんて、思ってもみなかったわ」
重力が打ち消された状態というのはどうにもなれない。翼で飛ぶのとはまた違う。だが空の交易を
「あんたってさ、しっかりしてるように見えて、どこか抜けてるのわよね」
「そ、そうかな?」
「ええ。クロロネシアから戻ってくるときとか、お姉さんのことになると思いっきり割り切るのに。さっきのあの慌てようったら」
「うぅ……」
「クァ」
「ほら。この子もそうだって言ってるわ」
「え? ヤタの言ってることが分かるの?」
「もちろんよ」
などと言葉を交わすうちにヒタクも落ち着いてきた。改めて周囲を見回してみる。
(何かかがらんとしてる……というか、何もない? あ、あの矢印は道案内かな。じゃあ、その下に書かれてる記号が行き先ってことかな)
照明こそあるが、他にはところどころに標識の浮き出た壁しかない、殺風景な空間が続く。だが向かう先が
ロボットの案内に従いながら、明るくも寒々とした空間を浮遊する。そうしてどれくらい進んだだろうか。とある角を曲がったところで、ヒタクは小さく声を上げた。
「あ、待って」
「ハイ、ドウサレマシタ?」
調査隊の一員だろうか。通路の先に制服姿の男女が浮かんでいるのが見えた。アヌエナも気付いて、振り向くロボットの腕を引っ張った。
「いったん戻るわよ。そこの角に」
「ワカリマシタ」
相手側に気付かれる前に急ぎ身を隠す。幸い、向こうはこちらを見ていないようだった。どうやら空の上の世界を観察しているらしく、壁に設けられた大窓を取り囲むようにして、外の光景に見入っている。
「『こんとろーるるーむ』って、あの先かな」
「ハイ、ソウデス」
「当たりみたいね。……さて、次はどうするか」
「何とかして向こう側に行けるといいんだけど」
二人額を突き合わせて相談していると、案内人が申し出た。
「なにカ、おてつだいシマショウカ?」
「おてつだい……あ! あなたみたいな『ろぼっと』って、ここにもいる?」
「ハイ」
「じゃあカグヤさんを探す間、あいつらを押さえててもらうっていうのはどう? そこまでは無理でも、注意を引き付けてもらうとか」
アヌエナが
立ち塞がる相手は大人、それも軍人であることを考えれば彼女の提案はもっともだ。しかしヒタクは、あえて否定的に答えた。
「それは……やめておいたほうがいいと思う。何か騒ぎが起これば姉さんだって気付くだろうし、そしたら今度はあの人が命令するよ。僕らを捕まえて地上に送り返せって」
子供のお願いと管理者の指示、どちらが
その点を指摘すると、彼女も納得したとばかりにうなづいた。
「確かに。あの人、『ろぼっと』のまとめ役だったわね。いくらこの子が親切だからって、なにもかも頼るわけにはいかないか」
「うん」
「せめて中立でいてくれたら……ん?」
「どうしたの」
「そう言えばカグヤさんって、どうして六つ星に協力してるのかしら? あんたのお兄さんに頼まれたとか?」
「……あれ? ホントだ」
問われてヒタクも疑問に思った。自分の知る姉なら、どこか特定の国に協力することはなさそうに思える。
(兄さんに頼まれたから? でもそれこそ、私情を挟むようなことはしないように思えるけど……)
樹の
(そういえばフソウって、天人が空に降りるときに建てたって話だけど……、森で見たアレはどう考えても……、でも雪のところでロボットに案内された時は……)
「結局、本人に直接聞くしかないってことね」
「! そう、そうだよね」
袋小路に陥りかけたヒタクの思考を、アヌエナの声が引き戻してくれた。まるで頭の中を覆う霧晴れた気分だった。
(そうだよ。僕が森に残ったのは、姉さんの手助けをしたいからなんだ。あんな一方的なお別れじゃなくて、ちゃんと説明してもらわなくちゃ)
少年は決意も新たに、前へ進もうと――。
「高速展翅――」
「ちょ、ちょ!」
「なにいきなり、突撃しようとしてんの!」
「え? だって、向こうに行くにはあそこを通らなきゃ」
「ばっか! すんなり通れると思ってるの? 向こうの方が数が多いんだから。のこのこ姿を見せたりしたら、そのまま捕まっちゃうでしょ!」
「うん。だから勢い任せに突っ切ろうと――」
「……あんたって、物知りな割に考えなしね」
「そ、そうかな?」
「そうよ。知識はあっても知恵はないっていうか」
「う」
少女の残念そうな物言いが、かえって深く胸に突き刺さる。だが同時に悔しさも覚えて、ヒタクは言い返した。
「じ、じゃあ、君に何かいい考えがあるっていうの?」
「もちろん。こういう時はね、相手の数を減らすのが一番よ」
そう言ってアヌエナは、傍らで次の指示を待つロボットの頭をなでた。